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ジャマイカ
I. プロローグ

西インド諸島西部の立憲君主国。正式国名はジャマイカ。イギリス連邦に属する。カリブ海の大アンティル諸島中3番目に大きい島で、キューバの南に位置する。東西は約235km、南北は80kmである。面積は1万991km²。人口は280万1544人(2008年推計)。首都は最大都市のキングストンで、大きな商業港となっている。

II. 国土と資源

国土は南部の沿岸部をのぞいて全体に山がちである。主要な山系として東部にブルーマウンテン山脈があり、同国最高峰のブルーマウンテン山(2256m)がそびえる。小規模な山系が各所で枝分かれしながら西方へとのびており、広い高原をかこんでいる。海岸線の長さは1022kmで、とくに南岸では不規則にいりくんでいる。キングストン、モンテゴベイ、セントアンズベイ、ポートマリアなど多くの天然の良港にめぐまれている。島の各地に温泉がわき、大きな地震にもみまわれる。河川はあるが船舶の航行はできない。

1. 気候

海岸部の低地は熱帯気候である。この地域の年平均気温は27.6°Cであるが、北東の貿易風によって暑さと湿気はやわらげられる。高原地帯と山岳部の年平均気温は、標高900m付近で約22°Cである。年降水量は地域差があり、北東部の山岳地帯では5080mm以上のところもあるが、キングストン付近では813mmである。9~11月に雨が多くふる。夏の終わりから秋の初めにかけて、ハリケーンがやってくる。

2. 天然資源

石膏、岩塩などが採掘される。島の中心部にボーキサイト(生産量1330万t(2004年))の鉱床があり、埋蔵量は世界有数。沿岸部の土壌は肥沃(ひよく)である。

3. 植生と動物

植生は多様で豊かである。ヒマラヤスギ、オオハマボウ、マホガニー、ロッグウッド、シタン、コクタン、パルメットヤシ、ココヤシ、オールスパイスなどが自生し、マンゴー、パンノキ、バナナなど海外からもちこまれた植物も広く栽培されている。

動物では鳥類が113種(2000年)と多彩である。オウム、ハチドリ、カッコウ、コビトドリなどがとくに豊富である。もともと島には、大型の哺乳類や有毒な爬虫類はいなかったが、現在は哺乳類が24種、爬虫類が36種生息している。

III. 住民

住民の大部分は、アフリカ系ないしアフリカ系とヨーロッパ系の混血で、17~19世紀に奴隷(奴隷制)として移入された人々の子孫である。少数派としてインド系、ヨーロッパ系、中国系がいる。住民のほぼ半数が農村部にすんでいる。

1. 人口の特色

人口は280万1544人(2008年推計)、人口密度は259人/km²である。かつて高かった人口増加率は、2008年には0.75%にさがった。アメリカ、イギリス、ラテンアメリカ諸国への移民がかなりの数にのぼる。

2. 主要都市

14の行政区域にわけられている。キングストンの首都圏地域の人口は57万5000人(2003年推計)で、ほかの重要な都市にはモンテゴベイとスパニッシュタウンがある。

3. 言語と宗教

英語が公用語だが、住民の多くはアフリカ系諸言語、スペイン語、フランス語などをとりこんだクリオーリョ語(クレオール語)を話す。宗教はキリスト教が多数を占め、プロテスタント諸派を中心に少数のカトリックがいる。そのほか少数派としてユダヤ教、イスラム教、ヒンドゥー教がある。ポコマニア(アフリカ原始宗教)、ラスタファリ運動(アフリカ帰還運動)などの活動もおこなわれている。

4. 教育と文化

義務教育は6~11歳で、2000年には、初等学校に32万8496人がかよっていた。高等教育ではキングストンにある西インド大学(1948年創立)モナ・キャンパスが、カリブ地域全体の主要な高等教育機関として機能している。9000人以上の学生が在籍し、図書館の蔵書も50万冊以上にのぼる。

300年以上もイギリスの植民地だったため、イギリス文化の影響が言語や生活習慣などにのこっているが、アフリカ文化の影響も大きく、両文化がまじりあっている。ジャマイカ独特の音楽であるレゲエは、ボブ・マーリーらによって広められた。レゲエはとくに1980年代のイギリスのロック音楽に大きな影響をあたえ、キングストンにはボブ・マーリー博物館がある。

IV. 経済

経済の中心は農業であるが、ボーキサイトを中心とする鉱業や各種製造業、近年では観光業の発達で経済の多様化がすすんでいる。2006年のGDP(国内総生産:GNPとGDP)は100億米ドル、1人当たりでは3757.90米ドルである。

1. 農業

労働人口の18%(2005年)が農林水産業に従事する。主要な作物はサトウキビで、年間15万tの粗糖が生産された。ほかのおもな農産物にはバナナ、柑橘類、タバコ、カカオ、コーヒー、ココナッツ、コショウ、ショウガ、マンゴー、クズウコンなどがある。ジャマイカ産のブルー・マウンテン・コーヒーは日本での需要も多く、日本企業の直営農場もある。ジャマイカはオールスパイスの世界最大の供給地である。牛、ヤギ、豚の飼育もおこなわれている。

2. 鉱業および製造業

ボーキサイトおよびアルミナ産業はジャマイカ経済の大黒柱であり、総輸出額の半分以上を占めている。2000年代前半、アルミナの年間生産量は350万~400万tだった。

ジャマイカ経済における製造業の重要性はしだいに高まっている。政府は輸入関税の免除やその他の免税措置などの特典をあたえ、いっそうの工業化をはかっている。食品、飲料、プリント生地、衣服、靴、塗料、農業機械、セメント、ラジオ、肥料などが生産されている。キングストンにある石油精製所では、国内需要の約半分を生産している。

3. 通貨と貿易

通貨単位はジャマイカ・ドル。発券しているのは中央銀行のジャマイカ銀行である。10行の商業銀行が営業している。

主要な貿易相手国はアメリカ、フランス、イギリス、カナダ、トリニダード・トバゴ、中国、日本、ブラジルである。2002年の主要な輸出品はアルミナ、ボーキサイト、砂糖、ラム酒、衣服、コーヒーであり、輸出額は年間11億407万米ドルにのぼった。おもな輸入品は食料品、化学製品、繊維、機械、石油で、輸入額は35億4310万米ドルだった。

観光業はジャマイカ経済をささえる重要な産業で、外貨獲得に大きく貢献している。年間168万人(2006年)もの観光客がおとずれた。とくにアメリカからの観光客が多い。

4. 交通

鉄道はあるが、旅客鉄道ではないので移動は道路や空路となる。ジャマイカの道路は総延長2万996km(2004年)をこえ、うち73%が舗装されている。多くの外国の航空会社とジャマイカ航空が海外をむすび、国内線はキングストン~モンテゴベイ間に、ジャマイカ航空や国内線専用の航空会社が運航。ほかに国内の主要都市をプロペラ機がむすぶ。

5. 労働

2006年に労働者は116万5183人となった。おもな労働組合に全国労働者組合(NWU)とブスタマンテ産業別労働組合(BITU)がある。両組合とも政党とのつながりが深く、NWUは人民国家党(PNP)、BITUはジャマイカ労働党(JLP)を支持している。それらをまとめるナショナルセンターとして1994年に設立されたジャマイカ労働組合同盟(JCTU)がある。

V. 環境問題

森林保護区、自然保護区、自然公園など、環境保護のための制度は充実しているが、つい最近まで、これらの制度を統一して管理・運営する仕組みがととのわなかった。そのため、ジャマイカの生態系は危機に直面している。貴重な森がプランテーション用地として次々に開拓され、野生生物の生息地が危険にさらされている。土壌の劣化や水不足も各地でみられる。沿岸部の海水は産業排水、生活排水、石油流出などで汚染されている。首都キングストンでは、自動車の排気ガス公害も深刻である。

ジャマイカは豊かな生物多様性をもち、固有種も多い。あわせて3000種の植物があり、そのうち、ここでしかみられないものが27%を占める。だが、この生物多様性は環境破壊によって打撃をうけている。政府は、休耕地を牧草地にかえる政策をすすめている。かつてジャマイカ全体をおおっていた森林も、1980年代初頭には、年間の森林伐採率が5%にも達し、現在もかなりのスピードですすんでいるため、残り少ない樹木は小さな森として山岳部に点在するだけである。

VI. 政治

1962年に公布された憲法によって、イギリスの制度を模した議院内閣制がしかれている。首相が政府の長になっている。国家元首はイギリス国王で、その代理として総督が首相推薦により任命される。

1. 行政・立法・司法

行政権は内閣に属している。首相は下院議院の多数党党首で、総督によって任命される。首相は内閣各大臣を任命する。

立法権は二院制の議会に属する。下院の60議席は5年の任期で公選される。上院は21議席で、うち13議席は首相の、残り8議席は野党指導者の推薦により総督が任命する。

法律および司法体系はイギリスのコモン・ローを基礎としている。裁判所は最高裁判所、控訴裁判所、その他の下級裁判所で構成される。

2. 政党

二大政党制である。人民国家党(PNP)は社会主義志向で、ジャマイカ労働党(JLP)は混合経済の中での自由な企業活動をみとめている。小政党には、1995年にジャマイカ労働党元幹事長が結党し、大統領制の導入など憲法改正をうったえる国民民主運動(NDM)などがある。

VII. 歴史

ジャマイカにはヨーロッパ人の来島以前から先住民アラワクが居住していた。ジャマイカという地名もアラワク語で「泉の島」を意味するハマイカからきている。1494年にコロンブスが第2回航海で島をおとずれ、1509年にスペインの植民地となった。現在のスパニッシュタウンであるセントラゴデラベガが最初の入植地で、23年ごろに建設され、以後350年間にわたって主都だった。先住民アラワクは過酷な労働と病気のために絶滅し、その後アフリカ人が奴隷として移入された。

1655年、ウィリアム・ペンにひきいられたイギリス艦隊によって占領され、70年のマドリード条約で正式にスペインからイギリスに譲渡された。17世紀の終わりにイギリスからの移住者がふえ、砂糖、カカオ、その他の農業および林業が急速に発展した。18世紀にはサトウキビ栽培を中心とするプランテーションでの労働力不足を解消するため、多くのアフリカ人奴隷が移入され、西インド諸島一の製糖産地となった。世界の奴隷貿易の一中心地でもあったが、1838年8月に奴隷制は廃止された。

奴隷制廃止後、多くの解放奴隷が農場をはなれて内陸部の土地にすみついたため、経済は大きな打撃をうけた。労働力の不足で多くのサトウキビ・プランテーションが破産し、貿易の縮小につながって長期の経済危機をまねいた。このころインド人や中国人の移民が増加した。重い課税、裁判での差別、土地の収奪などの植民地政策が深刻な社会不安をひきおこし、1865年10月にポートモラントで蜂起(ほうき)がおこった。政府は戒厳令を出して反乱をしずめ、きびしい処罰をおこなった。この反乱を機にジャマイカはイギリスの直轄植民地とされ、ほぼ1世紀にわたって享受してきた自治権をうしなった。代議制の政府が再興されるのは84年のことである。

ジャマイカは1958年1月、ほかのイギリスの植民地とともに西インド諸島連邦を結成し、連邦解体後の62年8月、独立を達成してイギリス連邦の一員となった。同年4月の選挙で勝利したジャマイカ労働党(JLP)の指導者、アレクサンダー・ブスタマンテが首相に就任。67年にはブスタマンテが引退し、同じJLPのヒュー・ローソン・シアラーが首相となった。68年、ほかのカリブ諸国とともにカリブ自由貿易連合を設立した。

1972年の総選挙ではマイケル・マンリーひきいる人民国家党(PNP)が政権をにぎった。労働者たちの支持をえたマンリー政権は経済成長を約束したが、左翼的な政策やカストロひきいるキューバとの外交関係の樹立などから国民の支持をうしない、悪化していた経済状態を改善できないまま80年の総選挙で敗北した。新たに首相となったJLPのエドワード・シーガは社会主義政策をしりぞけ、キューバとの関係を弱め、アメリカと緊密な関係をきずいて外国からの投資誘致につとめた。しかし、輸出鉱産物価格の低迷で経済再建はうまくゆかず、88年9月のハリケーンで大きな損害をこうむった。

1989年の総選挙ではPNPのマンリーが政権に復帰した。マンリーは穏健で自由な市場経済政策をうちだしたものの、健康上の理由で92年3月首相を辞任し、マンリーの後継者で副首相のパタソンが首相およびPNP党首となった。93年、97年の総選挙でPNPは大勝し、パタソンが政権を維持した。パタソン政権は、緊縮予算などでインフレの沈静化に成功し、98年には5年以内に共和制へ移行することを表明した。また低迷気味の観光産業の強化に力をいれた。2002年10月の総選挙でも与党PNPが勝利し、パタソン政権は4期目に入った。

2006年3月、14年間にわたって政権を維持してきたパタソン首相が引退し、2月のPNPの総裁選挙で勝利していたポーシャ・シンプソンミラーが首相に就任した。シンプソンミラー首相はジャマイカ初の女性首相として、治安対策などにとりくんだ。任期途中での首相交代だったため、憲法の規定による総選挙が07年9月におこなわれた。選挙期間中は銃撃で7人が死亡するなど混乱がつづいたが、野党JLPが下院60議席のうち33議席を獲得、シンプソンミラー首相ひきいるPNPは27議席と惜敗した。新首相にはブルース・ゴールディングが就任、JLPの18年ぶりの政権復帰となった。就任演説でゴールディングは、治安対策の強化や汚職追放を課題としてとりくむことを表明した。