| 検索ビュー | 橋 | 項目ビュー |
| I. | プロローグ |
道路や鉄道、運河や水路などが、川、海峡、谷などを横断したり、ほかの道路や鉄道などと立体交差する場合、中空にかけわたして通行できるようにした構造物。送電線やパイプラインをとおす橋もある。運河や水路をとおすための橋を水路橋、または水道橋(→ 水道)とよぶ。
構造からトレッスル橋(構脚橋)、トラス橋、アーチ橋、吊り橋に分類される。また、構造材料から木橋、石橋、鋼橋、アルミニウム合金橋、鉄筋コンクリート橋、プレストレスト・コンクリート橋などに分類され、橋軸の形からは直橋、斜橋、曲線橋などがある。
| II. | 歴史 |
もっとも古い橋は、丸太を1本か2本川の上にわたしたり、ロープのようなものを小さな谷間にはったものと想像される。このような橋は今でものこっている。両端だけでささえた単純な形態の橋は、ここから誕生した。飛び石を利用して川をわたるとき、石と石との間に木の丸太をかけてわたりやすく工夫したのが、複数の橋脚がある橋の原型である。
| 1. | トレッスル橋 |
木の杭(くい)を川底にうちこんで橋をささえることで、木の丸太を梁(はり)とした構造の橋が発明され、ひろい川にも橋をかけられるようになった。このような橋がトレッスル橋である。トレッスル橋は、今でも谷川や河川で船の運航にさしつかえない所でひろく利用されている。石の橋脚で木の部材をささえる方法が開発され、木の梁で橋を建設する技術は大きな進歩をとげた。
| 2. | 船橋 |
固定した橋脚のかわりに船をつかうことで、船橋が生まれた。前1800年、メソポタミア南部のバビロンで煉瓦のアーチによる橋がつくられたとつたえられるが、やはり木の梁による橋は、古代の人たちがもっとも利用したもののようである。
橋の形態でいえば、ほかにも単純な形態の吊り橋や片持ち梁によるゲルバー橋が、すでにインド、中国、チベットなどで建設されていた。船橋は、アケメネス朝ペルシャのダレイオス1世とクセルクセス1世の軍隊のギリシャ遠征のときにつかわれていた。
| 3. | アーチ橋 |
ローマ人たちは、木造のトレッスル橋を多くつくった。この橋がどんなものであったかは、カエサルの「ガリア戦記」にくわしく記録されている。しかし、現存している帝政ローマ時代の橋は、ふつう上は平らな道路で、その下を1層あるいは2層以上の半円形の石造りのアーチでささえたものであった。
ローマ時代初期の例としては、前219年ごろスペインのバルセロナに近い、マルトレルにつくられた橋がある。前1世紀のものとしては、イタリアのリミニにあるポンテ・ディ・アウグスト橋がある。フランスのニームにあるポン・デュ・ガールは、長さ275m、高さ47.2mにもおよぶアーチが3段重ねになり、大規模なローマ時代の水道橋としてもっともよく原形をとどめている例であろう。建設されたのは、前1世紀である。
半円形のアーチにつづいて、尖頭アーチが短いスパン(支点間距離)につかわれた。近代のアーチ橋は、弓形または半楕円形のアーチをつかって長いスパンをとり、アーチを高くしなくても自由に船などが下をとおれるようにしている。1803年、イギリス人の土木技師ジョン・レニーが設計した、スコットランドのケルソーをながれるトウィード川にかけられた橋は、半楕円形のアーチをつかった橋として重要である。
| 4. | トラス橋 |
ガーダー(大梁)による橋は、ガーダーの強度によってスパンに制約がある。この構造上の制約は、部材を三角形を基本にくみあげたトラスを導入することで解決している。トラス橋は、三角形にした補強部材をくみあわせて、主桁(けた)にもちいたものである。
レオナルド・ダ・ビンチは、トラスをつかった橋のスケッチをのこしている。イタリアの建築家アンドレア・パラディオの作品にもこの橋がある。1760年ごろ、スイスでトラスをつかった橋が2カ所でつくられたが、1840年になるまでそれほど多くはなかった。アメリカ合衆国では、50年ごろには木造のトラスから鋳鉄と錬鉄をくみあわせたトラスにかわり、のちに鋼製のトラスに発展した。
| 5. | 吊り橋 |
1800年ごろアメリカでつくられた吊り橋は、川の両岸にたてた塔のような構造物の間に鎖をわたしたもので、この鎖から吊り棒で水平な路面をささえた。約10年後には、同じ方式の橋がイギリスでもつくられている。16年には、はじめてワイヤーケーブルをつかった吊り橋が、フィラデルフィアのスクールキル川にかけられた。
| III. | 現代の橋 |
現代の橋を分類するときは、構造、および構造材料を基準にするのが一般的である。現代の橋には、片持ち梁の橋、吊り橋、鋼製アーチ橋、コンクリート製アーチ橋、組積造アーチ橋、鋼製トラス橋、鋼製ガーダー橋、および船橋などがある。橋の下を船が通過できるようにする必要がある場合、橋桁を高くできないときは、主桁を可動式にする工法をとる。
| 1. | 片持ち梁の橋 |
片持ち梁による橋の特徴は、橋のスパンを両端で支持しないで、ガーダーやトラスの中央部近くで支持することにある。
たとえばスコットランドのクイーンズフェリーにあるフォース橋は、1882~90年に、イギリスの土木技師ジョン・ファウラーとベンジャミン・ベイカーによって建設された、片持ち梁方式による鋼製の鉄道橋である。橋の全長は1.6km以上におよび、2つの主要なスパンはそれぞれ521.2mある。カナダのセントローレンス川にかかるケベック橋は1917年に完成した。主要なスパンは548.6mある。橋には複線の鉄道線路と道路がはしっている。
サンフランシスコのバレーオの近くにあるカーキネス海峡橋は1927年に完成し、橋の2つの主要スパンはそれぞれ335.3m、さらに橋を固定するため152.4mのスパンをもうけた耐震構造となっている。インドのコルカタのフーグリ川にかかるハウラ橋は、主要なスパンが457mある。これは43年に完成した。ミシシッピ川にかかる2本のグレータ・ニューオーリンズ橋は、ともにスパンが480mある。
| 2. | 現代の吊り橋 |
1846年、ウェストバージニア州のホイーリングのオハイオ川に、全長307.9mの吊り橋が建設された。ドイツ系アメリカ人の土木技師ジョン・ローブリングの設計施工によるもので、世界ではじめてのワイヤーケーブルによる長大スパンの吊り橋であった。
ニューヨークにあるブルックリン橋もローブリングが設計し、1883年に開通した。この橋の中央部のスパンは486.2mある。1931年に完成したジョージ・ワシントン橋のスパンは1066.8mある。
サンフランシスコのゴールデンゲートは1937年に開通した。この橋の中央部のスパンは1280.2mあり、227.4mの高さの塔状構造物からつりさげている。橋の底部から水面までは67.1mある。58年に完成したミシガン州のマキノー橋は、中央部のスパンが1158.2mある。ニューヨークのブルックリンとスターテン島をむすぶベラザノナローズ橋(1964)は、中央部のスパンが1298.5mある。
現在、世界でいちばん長い吊り橋は、1998年に開通した、明石海峡大橋(→ 本州四国連絡橋)で、そのスパンは1991mある。
世界でいちばん高い吊り橋は、水面から321mの高さにあり、コロラド州にあるアーカンソー川のロイヤル地溝にかかっている。1973年の後半には、トルコのイスタンブールにあるボスポラス海峡をまたいで全長1079mの吊り橋が開通し、はじめてヨーロッパとアジアが高速道路でむすばれた。
| 3. | 現代の鋼製アーチ橋 |
はじめての鋼製アーチ橋は、ミズーリ州のセントルイスをながれるミシシッピ川にかけられた。設計はアメリカ人土木技師ジェイムス・ブキャナン・イーズで、1874年に開通した。
この橋は3つのアーチで構成され、アーチのスパンはそれぞれ、153m、158.5m、153mである。ニューヨークにあるイーストにかかるヘルゲート鉄橋は、1917年に完成した当時は世界でいちばん長い鋼製アーチのスパンといわれた。設計はアメリカ人土木技師、グスターブ・リンデンタールである。スパンは297.8mある。
ニューヨーク州のスタテンアイランドからニュージャージー州のバイヨンヌをむすぶバイヨンヌ橋(1931)は、スパンが503.5mあり、全長は2468.9mにおよぶ。オーストラリアのシドニーにあるシドニーハーバー橋(1932)はスパンが502.9mある。
カナダのオンタリオ州クイーンズトンとニューヨーク州ルイストンとの間のナイアガラ川にかかる橋は、1965年に開通し、304.8mの鋼製アーチを使用して、固定式の鋼製リブによるアーチとしては世界最長である。ウェストバージニア州のフェイエットビルにあるニューリバーゴージ橋は77年に完成して、そのスパンは518.5mある。
| 4. | コンクリート製アーチ橋 |
20世紀になると間もなく、鉄筋コンクリート構造の技術開発により、コンクリートをつかったアーチの橋は大きな進歩をとげた。1940年に完成したスペインにあるエスラ川にかかるエスラ橋は、196.6mのスパンである。オーストラリアのシドニーにあるグレイズビル橋は、パラマッタ川の水面から45.7mの高さにあり、コンクリート製のアーチで304.8mのスパンがある。コンクリート製のアーチで、スパンが390m、高さが67mのクルク(サンマルコ)橋がクロアチアで79年につくられている。
コンクリート製のアーチを多用する構造は、とくにアメリカでは陸橋につかわれている。ペンシルベニア州のタンクハンノック鉄道陸橋は1916年に完成し、全長は723.9mある。この陸橋は、54.9mのアーチ10基と、30.5mのアーチ2基とでできている。ペンシルベニア州のコロンビア高速道路陸橋は、全長が2089.7mあり、28基の56.4mのコンクリート製のアーチでできている。
| 5. | 現代の組積造アーチ橋 |
鉄道が発達すると、半円形のアーチ構造が復活した。スコットランドのモーチリンに近いエアー川にかかる石造のバロックマイル陸橋は、半円形のアーチで54.9mの長さがある。いちばん長い石造のアーチによる鉄道陸橋は、ペンシルベニア州のロックビルにある。この陸橋は、旧ペンシルベニア鉄道、現在のアムトラック(→ 鉄道)の4本の軌道をのせ、サスケハナ川をこえている。ロックビルの陸橋は1902年に開通し、スパンが21.3mある48基のアーチがあり、全長は1161mある。
イタリアでは、全長が3657.6mで、222基のアーチでできた陸橋がベネツィアラグーナの上にかかり、ベネツィアと本土をつないでいる。
世界最大の組積造アーチのスパンは、1903年に完成したドイツのプラウエンにあるシラ橋の89.9mである。最近のアメリカでは、組積造アーチの橋は建設費がかさむため、大きなものはつくられていない。
| 6. | 現代の鋼製トラスとガーダー橋 |
鋼製トラスによる工法は、低コストで建設できるためひろく利用されている。近年の技術開発で、以前より長いスパンがとれるようになり、連続トラスによる工法が多くつかわれるようになった。
この連続トラスの特筆すべき例としては、オハイオ川にかかるリンデンタールのサイアトビル橋(1917)がある。トラスの全長は472.4mあり、それぞれ236.2mの2つのスパンでできている。オレゴン州にあるコロンビア川にかかるアストリア橋(1966)は、いちばん長い連続トラスの橋で、スパンは375.5mある。
近年開発されたガーダーによる橋の工法に、いわゆる直交デッキがある。これは、十文字に鋼材で補強した平鋼板を橋につかい、この鋼板が道路面の床材となると同時に、短手方向の床梁と長手方向の支持ガーダーの頂部フランジとしてはたらく。アメリカでこの構造による最大の橋は、サンフランシスコにあるサンマテオ・ヘイワード橋で、1967年に開通した。全長は約11.3kmにおよび、主要なスパンは228.6mある。この橋の鉄骨部分には高張力鋼を使用して、その延長は2941.3mあり、このうちの167.6mが直交デッキ構造となっている。
| 7. | 現代の船橋 |
水上にうかぶ橋は、軍事目的では臨時のものだが、地域的な条件によっては常設のものとしてつかわれる。インドのコルカタにあるフーグリ川にかかる浮橋は、466.3mの長さがある。道路面は水面から8.2mの高さにあり、それぞれ長さが48.8mで幅が3.1mの鉄船14隻の上に支持されている。
シアトルに近いワシントン湖にかかるコンクリート製の船橋は、全長が1.6kmにもおよび、その上を高速道路がはしっている。この橋では25あるコンクリート製の箱船がボルトで連結され、錨で固定されている。また、橋の下を大きな船が通過できるように、望遠鏡の筒のように伸縮して、箱船間のスパンが調節できる構造となっている。
| 8. | 可動式の橋 |
箱船間のスパンがひろがる船橋のほかに、可動式の橋としては、はね橋、旋開橋、あるいは吊り上げ橋などがある。どの方式にするかは、地域の条件できまる。はね橋のいちばん古い形式は、材木でつくって城の濠(ほり)にかけた板橋を、城から鎖でひきあげるものである。蝶番(ちょうつがい)式でうごき、釣り合い用のおもりがある1~2スパンの可動式の橋は、せまい水路で通過する船舶の多い所に適している。
ロンドンのテムズ川にかかるタワーブリッジ(1894)は、はね橋の例としてもっとも有名である。アメリカでは、シカゴのシカゴ川にかかるアウタードライブ・ブリッジは、2層式のはね橋で、スパンは79.3mある。オハイオ州のロレインにある、双葉型のはね橋は、101.5mの長さがある。
| 8.A. | 旋開式の橋 |
旋開式の橋は、橋のスパンの可動部分が中央で旋回軸やターンテーブルに固定してあるもので、いちばん長い可動スパンは166.1mである。この橋は鉄道と高速道路がはしる橋で、1927年に完成し、アイオワ州のフォートマジソンをながれるミシシッピ川にかかっている。
| 8.B. | 吊り上げ橋 |
垂直吊り上げ方式の橋は、船を通過させるため水面からの高さを確保する必要がある場合につかわれる。
いちばん長い吊り上げスパンの橋は、鉄道の単線軌道がはしる橋でニュージャージー州のステイタンアイランドとエリザベスの間にあるアーサー水路にかかり、1959年に完成した。吊り上げスパンは170.1mの長さがある。水面から橋の下までの高さは、橋がしまっているときに9.5mあり、橋があがるときは41.2mになる。
垂直吊り上げ方式の橋で画期的な例としては、アーカンソー州のパインブラフをながれるアーカンソー川にかかっている橋がある。この橋は、船が通過できる水路が6つのスパンにわかれ、スパンの長さはそれぞれが72.9mある。どのスパンも、左右のスパンに吊り上げ装置がある。この仕組みは、川の主要な水路が、ときどき位置をかえることを考えたものである。
| 9. | 複合型の橋 |
近年につくられた長い橋では、いくつかの構造をくみあわせたものが多い。この例として重要なものに、サンフランシスコにあるベイ・ブリッジ、ニューヨーク市にあるトライボロブリッジ、バージニア州にあるチェサピーク湾ブリッジ・トンネルなどがある。
ベイ・ブリッジは、導入部分もふくめて、約12.1kmの長さがある。この橋は2つの部分からなり、ひとつはイーストベイにかかる部分で、426.7mの片持ち梁によるスパンである。もうひとつはウェストベイにかかる部分で、704.1mの吊り構造によるスパンである。この2つの部分は、イエルバブエナ島の所で、152.4mの2層デッキのトンネルと、243.4mの陸橋とでつながれている。
トライボロ橋は、マンハッタン地区からの橋と、クイーンズ地区からの橋と、ブロンクスからの橋がランドール島の上で合流し、全長は約5.6kmある。構造的には、全長457.2mにおよぶブロンクス水路にかかる7つのトラス橋、ハーレム川にかかる全長が234.7mある3つのトラス橋、および94.5mの垂直吊り上げ式の橋、ランドール島とワード島とリトルヘルゲートをとおる3.6kmの陸橋、ヘルゲートにかかる中央のスパンが420.6m、両サイドのスパンが214.9mの吊り橋から構成されている。
チェサピーク湾ブリッジ・トンネルは、1964年に開通した高速道路である。全長は28.2kmで、バージニア州のノーフォークとケープチャールスとを連絡している。この高速道路の工法は、人工島の間にある船の主要な水路の下は2本のトンネルを貫通させているほか、2つの固定式の鋼製の橋、ならびに16km以上もあるトレッスル橋をつかっている。
世界最長の橋は、全長が約38.6kmにおよび、ポンチャートレーン湖コーズウエイとよばれる2本の平行してならんだ橋である。この橋はルイジアナ州にあり、ニューオーリンズとコビントンの2つの都市をむすんでいる。
| IV. | 日本の橋 |
| 1. | 古代の橋 |
「古事記」には、イザナキノミコトとイザナミノミコトの2神が「天の浮橋」にたったことが記されており、これが橋という言葉がつかわれた最初であると考えられる。そのあとの「日本書紀」には、さらに「高橋」「打橋」などの名称もでてくるところから、8世紀ごろ、すでに橋が存在していたことが考えられる。
奈良後期の「万葉集」には、石橋(いわはし)という枕詞をつかった歌があり、平安時代の「源氏物語」には「夢の浮橋」の巻がある。鎌倉時代になると、藤原定家の「春の夜の夢の浮橋とだえして、峰にわかるる横雲の空」をはじめとして、橋を主題とした歌がつくられるようになった。当時の橋の施工技術は、かなり進歩していたようだが、歌の内容から考えると、実際に彼らのわたっていた橋の多くは、あまり堅牢(けんろう)なものではなかったようである。
丸太を利用する本格的な桁橋(けたばし)ができたのは古墳時代だが、この時代にやっと鉄製の手斧(おの)、まさかり、鉋、鑿などが一般的になった(→ 木工具)。つづいて奈良時代には朝鮮半島からの輸入鉄材などで、鉄製工具の使用はいっそう普及したが、板作りの道具としては手斧、鉋、楔などであった。平安時代になると、鉄製の道具はますます発達して、より盛んに使用されるようになったが、鋸(のこぎり)はあまり利用できなかったらしい。大型の鋸をつかって板材を製作するのは、室町時代の中ごろ(15世紀)になってからである。
| 2. | 橋の種類 |
橋には、さまざまな種類と形がある。日本古来の橋には大きくわけて、木材をつかう桁橋、舟橋、吊り橋、特殊な構造の肘木橋(ひじきばし)などと、石材を使用した石橋のほかに、木材と石材を併用したアーチ型の太鼓橋(たいこばし)などの種類があった。
| 2.A. | 桁橋 |
桁橋は、2本の橋脚の間に横木を水平にわたした橋台に桁板をかけ、その上に板などをわたしたもので、その原形は丸太の一本橋である。
桁橋の構造はすでに飛鳥時代(7世紀)には建設されていたが、この時代はまだ橋脚として川の浅い場所に杭(くい)を2本ずつうちこみ、横木をわたし、その上に橋桁として丸太や板をならべた簡単な構造であった。当時の技術はまだ幼稚だったので、長い橋では浅い所にしか杭をうてず、できあがった橋の形はまっすぐではなく、ジグザグになったものが多かった。
桁橋で、日本の歴史上最古のものは、4世紀前半の猪甘(いかい)の津の橋(大阪市東成区猪飼野町)であろう。このように原始的な桁橋は近代にいたるまで全国には多数あり、現在でも東京都文京区の旧水戸邸の庭園だった後楽園にある「八橋」などはこの形式である。
9世紀になると、ほぼ木橋は完成し、東海道、東山道の河川に橋をかけたという記録がある。この当時の三大橋として有名なものには宇治、山崎、瀬田の3橋があるが、ほかにも遠江(とおとうみ:現静岡県)の浜名橋や三河(みかわ:現愛知県)の矢矧橋(やはぎばし)、豊川の吉田橋などがある。京都の四条大橋や、牛若丸伝説(→ 源義経)で知られる五条大橋もこの時代にできた。
| 2.B. | 舟橋 |
水上に舟やいかだをつらね、その上に板をのせて橋としたもので、古くは浮橋ともいった。江戸時代の末まで、全国に多数の舟橋があり、各時代の記録がのこっている。
| 2.C. | 吊り橋 |
日本古来の吊り橋には、その用材として太く強い藤蔓(ふじづる)が多用されていた。中部地方の信濃や飛騨の舟津川にかかっていた長さ43.6m、幅1.5mの吊り橋や、阿波(徳島県)の祖谷渓の蔓橋(かずらばし)が代表的である。吊り橋をわたるときは、たいへんな恐怖心をともなったようで、それは松尾芭蕉が「かけはしや いのちをからむ つたかずら」とよんだほどであった。
現在も昔の形をとどめる橋はなくなったが、祖谷渓の蔓橋は現存している。これは長さ45m、幅1.5m、谷川から15mの高さにわたされた橋で、重要民俗資料に指定されている。
現在の吊り橋には、直径5~12mmの鋼線を何本もたばねて、太い鋼鉄製ロープにしたものを使用して橋桁をつっている。とくに最近ではコンピューターの導入で、複雑な計算が瞬時にしてできるので、架橋の技術も日進月歩となった。今や日本の吊り橋の技術は世界のトップレベルにあるといえよう。
| 2.D. | 肘木橋 |
肘木橋(ひじきばし)の構造は、まず梁(はり)にする木材を一方の端を土中にうめて固定し、もう片方の端を空中につきださせてフリーの状態にし、横木をおいた上に1段ずつ木材をずらして同じ形で重ね、しだいに中央へつきだしていく。これに橋桁や橋床(きょうしょう)をのせる。この梁を片持ち梁というが、これを利用した肘木橋の架け方は、1対の橋桁を両岸からつきださせ、次々に距離をつめながら橋桁や橋床をのばし、最後に両端を連絡させて完成する。
| 2.E. | 猿橋 |
山梨県大月市の猿橋は、黒部の愛本橋(あいもときょう)、木曽の桟橋(かけはし)とならび、昔から日本三大奇橋のひとつとされる(桟橋のかわりに山口県岩国市の錦帯橋(きんたいきょう)をあげる説もある)。桂川の深さ31mの渓谷にかけられ、橋脚のない肘木橋の一種である。その起源は明確ではないが、伝説によれば、推古天皇の時代(592~628)に来朝した百済の博士が、猿の群れが蔦(つた)をつかって川をわたるのにヒントをえて橋をかけ、その名もこれにちなんだといわれる。いずれにしてもかなり古い創建であることはまちがいない。この橋の最初の架け替えは1676年(延宝4)で、以後幕末までに9回の架け替え工事があり、その間に11回の大修理がおこなわれている。なお現在の橋は、1984年(昭和59)に改修されたものである。
| 2.F. | 錦帯橋 |
錦帯橋は基本的には猿橋と同じ肘木橋の一種である。日本で唯一のアーチ型3連の木造橋で、日本の木造、石造の橋の中で最長である。山口県岩国市の錦川に城の大手門前の橋としてかけられたもので、錦川は、本来は城の守りになっている川だが、暴風雨や洪水のときには氾濫(はんらん)して、城内と城外の往来が途絶した。
そうした弊害を解消するため、岩国藩3代藩主、吉川広嘉(きっかわひろよし)の手によって、1673年に最初の橋がかけられた。しかし、一度にかけられる橋の長さには限度があった。そこで考えられたのが迫(せり)持ちでささえるアーチ型の手法で、橋をささえるための石台を両岸の土手に2個、川の中央に4個築造して橋をかけた。ところが、はやくも翌年の大洪水によって中央の石台がくずれ、橋はながれてしまったため、3年後の76年にふたたび建設された。
すべてを木材で構成した35mのアーチ橋は世界にも類がなく、その美しさとともに有名である。だが、300年以上もの長期にわたって存続することができた理由は、たんに橋の上部構造が優秀なだけでなく、もっとも重要な点は、強い石組みの橋脚と川底の石張りの技術と、それを保護する橋脚の補強と川床の整備に力をいれたことである。しかし、1674年(延宝2)の再建以来、さしもに堅固であったこの橋も、1950年の台風による洪水のため第2、第3の橋脚がこわれたため再建したが、その再建にあたっては旧来の手法をそこなうことなく近代的な設計がほどこされ、3年後に完成した。
| 2.G. | 石橋 |
石材、煉瓦、コンクリートなどの材料を橋桁に使用するものを総称して石工橋という。その中でとくに主要材に石をつかっているのが石橋である。石橋の起源は、おそらく川の浅瀬に石をおきならべたもので、「万葉集」にうたわれた石橋(いわはし)は、この種の飛び石だった。やがて川幅のせまい所に、1枚の石をかけるようになったが、石は主として橋脚や橋台に利用された場合が多い。
612年に、百済人が御所の庭に呉橋(くれはし。中国風の石橋)をつくったと「日本書紀」にあるのが、記録として最古である。
現存する石橋で最古のものは、13世紀中ごろに建造された奈良県の笠置山中の堂橋とされている。江戸時代の初期には中国の技術が移入されて、アーチ構造の石橋が建造されるようになった。しかしヨーロッパにくらべ、日本では石橋はあまり発展しなかった。その理由として、石材の入手がむずかしかったこと、たびたび流失するので、木材をつかうほうが経済的だったことなどがある。石造のアーチ橋は長崎県、熊本県を中心に九州地方にみられる。長崎市の眼鏡橋(めがねばし)は、中国江西省の人、黙子如定禅師(もくしにょじょうぜんじ)の設計と施工管理によって、1634年(寛永11)に完成した。このあと在留中国人と日本人により、長崎では中島川を中心に、65年間に21の橋がかけられている。
同様な眼鏡橋は1839年(天保10)に諫早市の本明川にもかけられたが、1957年の洪水のとき流木をせきとめて被害を大きくしたため、現在では諫早公園にうつされている。
また1854年(安政元)に建設された熊本県山都町の通潤橋(つうじゅんきょう)は、サイフォンの原理を応用した水道橋で、石造アーチ橋の見事な技術をしめしている。毎年9月第1土曜日、日曜日の八朔祭(はっさくまつり)に、多くの観光客をあつめて放水の行事がおこなわれる。
近代の石橋としては、1887年(明治20)、それまでの木橋にかえ石造の眼鏡橋として建設され、今もなお皇居の壕(ほり)にかかる二重橋が有名である。
| 2.H. | 水路橋 |
水道や水力発電用の水路をとおす橋を、水路橋または水道橋という。日本では、江戸時代に今のJR中央線水道橋東口駅前にかかっていた水道橋(現在も石橋がかかっている)は、少し下流にこの橋とならんで、神田上水の懸(か)け樋があったので、この名があるという。だから、これは厳密にいえば真の水道橋ではないが、その仲間にはちがいない。
神田上水は井の頭のわき水をこの樋によって江戸市内におくり、市民に供給していた。そこで、いわゆる江戸っ子にとっては「水道の水で産湯をつかった」というのが、自慢のひとつでもあった。
| 3. | 橋さまざま |
| 3.A. | 日本橋 |
歌川広重がえがく東海道五十三次の最初にある日本橋(→ 日本橋)は、現在でも東京都中央区にかかっているが、もとは1603年(慶長8)日本橋川にかけられた木橋であった。江戸時代から1923年(大正12)の関東大震災まで、この川の両岸には魚河岸があり、この橋を中心にして大商店が軒をならべ、一大商業地区として繁栄をほこった。この橋は東海道をはじめとして全国に通じる街道の起点にもなっていた。
1911年にアーチ形の石橋にかわったが、今も橋の中央には道路元標の柱がたっている。橋の上を高速道路がはしるようになってからは、昔日の面影はない。
| 3.B. | 勝鬨橋 |
勝鬨橋(かちどきばし)は、東京都中央区の隅田川の河口にかかり、可動橋として1940年(昭和15)に開通した。全長246m、当時としては最新型の設備をもち、電動で橋を開閉した。橋桁の高さをこす大型船が通行するときは、橋の両側に赤信号が点灯し、監視塔に常駐している係員が橋上にでて通行人や乗り物などを制止する。やがて橋桁が中央からゆっくりと両側にはねあがり、船がとおりすぎるのを橋の手前でまつ。そのようなのどかな風景も、橋をとおる自動車の急増により、交通渋滞をまねくとして70年12月を最後にみられなくなった。
| 3.C. | 明石海峡大橋 |
本土と四国をむすぶこの大吊り橋で、明石海峡大橋の最大支間長が1991m、全長3911mで、1998年3月の完成時に世界最長となった。この橋の主塔の高さは海上約300m、橋桁をささえる海中橋脚は高さ70m、直径80mの円筒形で、その平面積は約5000m²、ほぼ20面のテニスコートほどの広さがある。→ 本州四国連絡橋