| 銅 | 項目ビュー | ||||
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| IV. | 日本における銅の歴史 |
日本では弥生時代の遺跡から銅鐸(どうたく)や銅剣などの青銅製品が土出している。銅鉱石という名が歴史上はじめてあらわれるのは、7世紀後半になってからのことである。「日本書紀」や「続日本紀」に銀鉱や銅鉱の記述がはじめてあらわれる。重要なのは「続日本紀」にみられる、708年(慶雲5)、武蔵国秩父郡から和銅の献上があったという記述である。いわゆる秩父銅の発見である。元号は和銅元年とあらためられ、銅貨である和同開珎が多量につくられ、流通するようになった。752年(天平勝宝4)には、座高約16mの青銅に金で仕上げをした奈良の大仏の開眼供養がおこなわれた。
その後、鋳銭が下火になり、中国から銅銭が輸入されるようになった。平安末期から鎌倉時代にかけて、宗銭が輸入され、流通した。室町時代には明銭(おもに永楽通宝)が輸入されて流通した。その一方で、採銅事業が活発になり、銅が重要な輸出品となった。
その後豊臣秀吉、徳川家康が鉱工業に力をいれたため、17世紀中期以降銅鉱業が飛躍的に発展し、銅は長崎貿易の重要な輸出品となった。明治期にはいって溶解炉製錬法などがとりいれられ、産銅量はさらにふえ、日本はアメリカ、チリにつぐ銅産出国となった。反面、水質汚染による足尾鉱毒事件や、日立、別子、小坂などでおきた製錬所の排煙による被害が深刻になり、その解決が大問題となった。第1次世界大戦後は電力業の発展による電線などの需要が多くなり、銅の輸入国となった。第2次世界大戦後は国内の資源がさらに枯渇し、銅生産はスクラップの再利用と輸入鉱石の精錬にかわった。1991年の総需要量は約260万tで、うち約30%が銅プリント基板やそのエッチング液、加工くず、廃くずなどのリサイクルによっている。
元素記号Cu。原子番号29。原子量63.546。周期表(→ 周期律)の11族に属する遷移元素である。融点1084°C。沸点2580°C。密度8.95g/cm³(20°C)。