交響曲
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交響曲
III. ドイツ、オーストリア

1740年ごろまでに、交響曲はオーケストラのための最大のジャンルとなり、ドイツのマンハイムとベルリン、オーストリアのウィーンを中心に創作がおこなわれた。ボヘミアの作曲家ヨハン・シュターミツは、マンハイムのオーケストラの水準を高め、国際的に名声のとどろく楽団にそだてるとともに、その能力を最大限に活用する交響曲を書いた。シュターミツは、4楽章構成の交響曲を作曲した初期の作曲家のひとりで、メヌエット楽章の次に速いテンポの終楽章をおいた。ソナタ形式の楽章では、第1主題と第2主題がするどく対比させられている。

ベルリンでは、グラウンやカール・フィリップ・エマニュエル・バッハ(バッハの息子)が3楽章構成の交響曲を書いた。彼らの作品は、主題間のコントラストに欠けるが、主題の巧みな展開と豊かな感情表現を特徴とする。

ウィーンでは4楽章構成が主流となり、第1楽章がとくに入念につくられた。ウィーンの交響曲には管楽器が積極的にとりいれられ、曲全体の旋律を統合する試みもなされた。たとえば、第1主題から第2主題へ移行する推移部に、第1主題の断片が利用され、旋律素材の統一がはかられた。ウィーンの初期(前古典派)の交響曲作曲家には、モンやワーゲンザイルがいる。バッハのもうひとりの息子、ヨハン・クリスティアン・バッハも主要な交響曲作曲家である。イタリアでまなび、ロンドンで活動した彼の交響曲には、イタリア風の優美なメロディがみちあふれている。