交響曲
印刷するには、[ファイル] メニューの [印刷] をクリックします。
交響曲
IV. ハイドンとモーツァルト

ウィーン史上で最初の交響曲の大家は、地元オーストリアの作曲家ハイドンであり、オーケストラ作品に、たえず新しい技法と趣向を導入しようと努力をつづけた。交響曲の数は106曲にのぼり、これらを通じて交響曲形式を長大化させた。

ハイドンの交響曲は、第1楽章の冒頭にしばしばテンポのおそい序奏がおかれ、ソナタ楽章では対比的な複数の主題をもちいるよりも、1つの主題を展開させていることが多い。終楽章はソナタ形式かロンド形式をとり、それまでの作曲家の作品にはないほどの活力と重量感をもつ。また対位法(複数の旋律線の絡み合い)を交響曲の様式にとりいれ、盛んに活用した。終楽章で楽員が1人ずつステージからきえていく趣向の交響曲第45番「告別」(1772)のように、奇抜なアイデアの作品でも、上記のような性格はかわらない。

ハイドンと年下の友人モーツァルトは、互いの交響曲の技法にかなりの影響をあたえあった。音楽史上屈指の交響曲の巨匠であるモーツァルトは、41曲の交響曲に抜群の想像力を発揮している。晩年の3大交響曲、第39番変ホ短調、第40番ト短調、第41番「ジュピター」(3曲とも1788)は、交響曲を単なる娯楽音楽の領域から心の奥底を表現する芸術作品へとひきあげた。このほか、第35番「ハフナー」(1782)、第36番「リンツ」(1783)、第38番「プラハ」(1786)などが有名である。