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灌漑
I. プロローグ

植物の生育を維持するために土地に人工的に水をひくこと。雨が少なくて土地に水分がじゅうぶんでない地域では、灌漑がおこなわれている。たとえばコムギなどは、年間の降雨量が500mm以下の乾燥地域では灌漑が必要になる。

多雨地域であっても、農作物などの収量と品質維持のため、乾季などにかぎって灌漑がおこなわれることもある。不規則に雨がある地域では、収穫物の収量を確実に増加させるために、乾季に灌漑がおこなわれている。

灌漑をおこなうことで、耕作可能地域と世界の食料生産は飛躍的に増大した。1800年にはおおよそ810万haの土地に対して灌漑がおこなわれていた。この数字は、1900年には4100万ha、50年には1億500万ha、現在では2億haをこえるまで増加した。灌漑されている土地は全耕作地域の約2割であり、灌漑されていない土地の2倍をこえる収量をもたらすこともある。

一方で灌漑によって土地は水浸しになったり、作物がかれてしまう水準にまで土壌塩度(塩の濃度)が増加してしまうこともある。現在、世界の灌漑されている土地の3分の2が、この問題に直面している。

II. 歴史

灌漑による農業は、前5600年ごろにはすでにメソポタミアではじまっていることが、考古学的な発掘でわかっている。古代エジプト人がナイル川流域で灌漑をおこなっていたこともわかっており、前2100年、中王国期までには複雑な灌漑システムが普及している。ナイル川から水がひかれ、モエリス湖にいたる19kmの水路もそのうちのひとつであった。シュメール人は、前2400年には、南メソポタミア(現イラク南部)の畑に水をひく灌漑設備をもっていた。中国人は、前2200年には灌漑設備をもっていた。ペルー人も洗練された灌漑システムを紀元前後までに建設しており、北アメリカ先住民たちも8~14世紀に、アリゾナ渓谷のソルト川から水をひいた広大な灌漑された土地をもっていた。

1. 古代の灌漑技術

流水から高い所の畑まで水をくみあげる初期の仕組みのひとつに、エジプト人の「はねつるべ」がある。これは釣り合いばかりの竿(さお)の一端にバケツのついているものである。同じ目的でつかわれるアルキメデスのねじポンプ(ポンプ)は円筒形をしていて、手回し式の幅広なねじが入っている。円筒の低くなっている先を流水の中においてねじをまわせば、高い所に水がはこばれる仕組みとなっていた。

ペルシャ式車輪は、現在でもインドでつかわれているが、一部が水につかった縦型の車輪で、へりにはバケツがついている。車輪をまわす牽引動物(けんいんどうぶつ)は、それとかみあった横型の車輪をまわし、車輪がまわるにつれてバケツがいっぱいになり、畑に水をはこぶ溝の上でこぼされる仕組みとなっている。

水をくみあげなくても、上流にダムをつくっておけば、常に水を必要な高さまでもちあげることができる。水は重力によって水路をとおり低い地域にながれ、ゆるい斜面の畑の全面にながされる。初期の文明人はこの方法を簡単な土塁をつかって大規模におこなっていた。これは基本的に、巨大なコンクリート建造物を利用した現代のダムや灌漑方法と同じ原理である。

III. 灌漑の方法

現在、おもに使用されている灌漑方法は4つある。すなわち湛水灌漑(たんすいかんがい)、うね間灌漑、散水灌漑、滴下または細流灌漑である。

1. 湛水灌漑

湛水灌漑は、狭い間隔で栽培される米などの作物に対して、土地が平坦(へいたん)で水が豊富な場所でおこなわれている。水が溝から一面にながされ、作物の種類や土壌の間隙率(かんげきりつ)や水はけによって、一定の期間、水がのこっている。

同じ湛水灌漑の、溜池浸水法は果樹園でつかわれており、溜池が樹木の周りにほられ、水がいれられる。

2. うね間灌漑

うね間灌漑は、ワタや野菜など、一列にならんだ作物に対してつかわれている。「うね」とよばれる平行にならんだ「あぜ」は、でこぼこして湛水灌漑できない畑に水をいきわたらせるために使用される。

3. 散水灌漑

散水灌漑では、少量の水でよりよい管理をすることができる。ひとつひとつの散水器はパイプにそって枝状に広がり、作物の根の深さに水がいきとどくまで、連続して円をえがくように水滴が噴射される。

散水灌漑のひとつセンター・ピボット灌漑は、時計の長針のように円をえがいてうごく散水器の長いアームを利用している。これはとくにアルファルファなどの飼料作物の耕作などで使用されており、1年に数回の収穫が可能となる。

4. 滴下、細流灌漑

滴下または細流灌漑では、細いプラスチック管によって、わずかな水分が頻繁に作物の根の付近にまかれる。この方法は、アメリカ、イスラエル、オーストラリアで成功をおさめており、蒸発や地面への浸透による損失が最小限におさえられている。

IV. 用水量

用水量は、耕地内で実際に消費される純用水量と導水中の水路における損失量をふくめたものである。

1. 畑の用水量

畑地における純用水量は、土面からの蒸発量と植物からの蒸散量の和から有効雨量と土湿貯留量をさしひいてもとめられる。有効雨量は、降雨量から、流去による損失量と根群域以下への浸透損失量をさしひいた値である。また、土湿貯留量は土壌の種類によってかわり、砂質土壌はこれが小さい。

畑地の用水量は、作物や土壌の種類、気象条件、さらに灌漑の方法によって大きくことなる。

2. 水田の用水量

一方、水田における純用水量は、田面蒸発量と蒸散量および浸透量の和から有効雨量をさしひいてもとめられる。浸透量は鉛直方向と畦畔(けいはん)からの横方向との合計である。また、有効雨量には3mm以下、80mm以上の雨量はくわえない。

水田における稲作期間中の用水量は、おおよそ1ha当たり1000万リットル(あるいは1m²当たり1000リットル)で、灌漑水の中には窒素、リン酸、カリウムなどの養分がふくまれている。水田において無肥料栽培をつづけても畑の場合より高い収量を維持できるのは、灌漑水からの天然養分の供給によるところが大きい。

V. 灌漑の問題点と課題
1. 塩分蓄積

連続して灌漑をおこなうことによって生じる最大の問題点は塩害である。土壌の上層に塩分が蓄積し、植物の生育を阻害または抑制する。ほとんどすべての灌漑水には、源泉の種類を問わず、ある程度の塩分がふくまれるが、土壌中にも、もともとミネラル分として塩分がある。水をまきつづけることでそれらの塩分がしだいに地表のほうへとけだし、地表の塩分濃度は高くなる。水はけがわるい所では、塩分が蓄積されるために植物の生育が不可能である。

そこで、水によって土壌の表面から塩分を排出させる水はけのよいシステムは、灌漑システムを成功させるために必要なものと考えられている。

前2100年には、土壌の水はけがわるいことが原因で塩分が増加し、メソポタミアのティグリス・ユーフラテス渓谷南部の豊かな土地が荒廃しはじめた。前1700年までに、この土地の収穫はかつて豊かだった当時の収穫量の4分の1にまで減少し、その収穫に依存していたシュメール人の巨大な都市国家は没落しはじめた。

1960年代にアスワン・ハイ・ダムが完成して以来、エジプト政府は、さらに多額の資金を投入して、ナイル渓谷原野に塩分が蓄積しないようにする必要があった。過去、数千年もの間、毎年洪水がおこり、ナイルの水が土地から塩分をとりのぞいてきたのだが、現在では、その洪水の作用を人工的な排水システムでおこなう必要がある。

2. これからの灌漑

1950年からの25年の間に、世界の灌漑地域は毎年3%ずつ広がっていったが、この比率はその後減少した。というのも、大規模灌漑がおこなえる場所のうち、経済的に実現可能な土地のほとんどが、すでに利用されているからである。また、かぎられた水資源に対する需要が増大するにつれて、利用可能な地表と地下水源を効率的に利用することがますます重要になっている。

灌漑は、過去にはただ、農民が土地に水をひくことであったが、現在では高度に技術的になっており、全般的な水資源、土壌の質、土壌の下にある地下水の状態について、膨大な情報をあつめることが必要となっている。これは、個人の農家にできる範囲をこえている。すでに灌漑がおこなわれている土地を保全する技術を発展させる方向で、現在、研究がすすめられている。農業:土壌管理:水

VI. 日本の灌漑

日本は、アジアモンスーン(モンスーン)地帯に属し、降水量は平均1600~1700mmと一般に多いが、不均一で、ある時期にはどっと雨がふって水害をまねき、ある時期には何日もふらずに畑作物は干ばつにみまわれることもある。夏期の蒸発散量の多い時期に10日以上も無降雨日がつづけば、畑作物の収量はいちじるしく低下することになる。

1. 水田

水稲の栽培のための水田灌漑は、弥生時代(弥生文化)以来の歴史をもち、静岡県の登呂遺跡の水田遺構はとくに有名である。水稲栽培には水の利用が欠かせないため、日本では古来から渓流や溜池、近世以降はおもに河川から必要な水を取得してきた。

水稲栽培面積は水源の大きさに左右されるため、これら水源や水の利用をめぐって細かな取り決めがうけつがれてきて、水利権として各地で複雑な規則が存在する。

2. 畑地

日本では、第2次世界大戦前までは灌漑といえばほとんど水田にかぎられていた。これは、封建社会(封建制)のもとでは米が経済の基本で、農業生産も米中心であったことによるところが大きい。畑地灌漑が活発におこなわれるようになったのは戦後で、果樹や野菜など、生産物の味や形などといった品質を重視する作物を中心に普及している。