ゴシック美術
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ゴシック美術
II. 建築

ゴシック時代の中心的な芸術分野は建築だった。12世紀の前半、ロマネスク建築から発展したゴシック建築は、ほかの芸術分野がルネサンス様式をうけいれたあとも、北方ヨーロッパでは16世紀までずっと生きつづけた。たくさんの世俗建築もゴシック様式でたてられたが、建築が革新され高みに達したのは教会建築だった。

ゴシック建築の美学的特質は、リブ・ボールト(アーチとボールト)にある。中世の教会は、堅固な石造ボールトで天井や屋根をささえていた。この構造は重量があるので、壁を外におしたおして建物をこわしかねなかった。そのために壁は、石造ボールトの重みをささえる必要性からぶあつく重くなる。12世紀初め、石工たちは、さまざまな方向にはしる細い石のアーチによってリブ・ボールトを進化させた。

12世紀後半にはじまった北フランスにおける一連の巨大な大聖堂は、新しいゴシック・ボールトの特徴をじゅうぶんに活用している。ボールトの外にはじける力が、リブの小さな区域に集中し、とがったアーチによって下方にながれていけば、石の圧力はフライング・バットレスとよばれる建物の外からの支えでおしかえすことができる。この点に気づいたゴシック大聖堂の建築家は、ロマネスク建築のぶあつい壁の代わりにガラス窓のあるうすい壁にかえ、その結果、内部空間はかつてないほどの高さに達した。

ゴシック・ボールトとともに、建築のプラン(平面図)もさまざまな形をとるようになる。しかし身廊が袖廊(そでろう)と交差し、そこから内陣となる大聖堂の十字形プランは、ロマネスクの教会とあまりちがわない(教会建築)。ゴシック大聖堂は、フランス・ロマネスク建築が生んだ構造部分のシュベをうけつぎ、発展させた。シュベとは、教会の東端にある建築の突出部で、半円形の周歩廊、放射状に広がる礼拝堂、聖域の突端をとりかこむ多角形のアプス(後陣)からなる。また1階のアーケードの細い角柱、細くとがったボールトの軸、建物全体につけられたとがったアーチは、仰高性を強め、ゴシック建築のもっとも力感ある構造をつくりだした。

西正面をのぞけば、ゴシック大聖堂の外側はそびえる支壁と翼のような一連のバットレスをもち、ボールト群をささえる骨組みになっている。西正面だけは独立して構成されている。ゴシック教会の正面は2つの塔をそなえ、3区分された内部の廊下を反映して3区分され、中央入り口の上に大きなばら窓がある。

1. 初期ゴシック時代

12世紀前半のフランスの教会で、ゴシックのリブ・ボールトの構造が散発的にあらわれた。1140年代初めになると、パリ郊外のサン・ドニ修道院付属教会のシュベの構造において、北方の大聖堂の出現をみちびくゴシック建築の特徴的な形態がつくりだされた。サン・ドニの周歩廊では、細長い円柱がボールトをささえ、放射状の礼拝堂をわける壁をなくして、広々とした内部に発展する充実した空間を生みだしている。

サン・ドニの様式は1160年代に、大聖堂の始まりとなるパリのノートル・ダム大聖堂(1163年着工)にひきつがれる。壁を少なくし、内部の支えを小さくする実験の時代が到来した。内部の立面図の伝統的な3層構造に新たな層をくわえることで、高さはいちじるしくました。トリフォリウムとよばれる新たな層には、高窓の外壁もしくは側廊上部の大きな回廊の上壁にせまい通路がもうけられている。

2. 盛期ゴシック時代

初期ゴシック時代のさまざまな実験は、シャルトル大聖堂(1194年着工)で最終的に解決された。ロマネスク教会以来の第2層の回廊をトリフォリウムにかえることで、簡潔な3層構成が確立された。高窓は、地上階のアーケードとほぼ同じ高さに達した。小さなばら窓をいただくとがった2連窓により、高窓自体の明るさはました。こうして、以後のゴシック教会の基準となる内部の主要区分が決定された。

シャルトル大聖堂にはじまる盛期ゴシック時代は、ランス大聖堂(1210年着工)で全盛期にはいる。ランス大聖堂は調和のとれた重厚な外観によって、ゴシック大聖堂の中でも古典的な静澄さの点で群をぬいた存在である。後期ゴシック建築の特徴は棒状のはざま飾りで、ランスの建築家によってつくりだされた。窓は、マリオンとよばれる細長い仕切りでわけられた。

ブールジュ大聖堂(1195年着工)の内部は5廊式の広大な空間によって構成された。ブールジュの建築家は、高窓を大きくする代わりに地上階のアーケードを高く大きくし、高窓の位置をさげてトリフォリウムの高さと同じにした。盛期ゴシックは短期間で終わりをつげ、1220年代に登場したアミアン大聖堂の身廊では、支柱を細くして垂直性を強調した。アミアン大聖堂は、フランス・ゴシック大聖堂の最高峰ボーベ大聖堂(サン・ピエール大聖堂)への橋渡しになった。ボーベの建築家は、巨大な地上階のアーケードの上に、それとほぼ同じ高さの高窓をのせて、前例のない48mの高さを実現した。

3. レイヨナン様式のゴシック時代

ボーベ大聖堂は、ルイ9世がフランスの王位につく直前の1225年に着工された。ゴシック建築はルイ9世の26~70年の長い治世の間、レイヨナン様式とよばれる新しい時代にはいる。レイヨナンという言葉は「放射状の」という意味で、この様式の特徴となる車輪の軸のような巨大なばら窓の形に由来する。建物の高さは第一の目標ではなくなり、建築家は教会の石の枠を少なくし、窓の区域をふやし、トリフォリウムの外壁をはざま飾りのガラスにおきかえた。レイヨナン様式の教会の内部と外部は、盛期ゴシック大聖堂の量感効果の代わりに、すきとおった殻のようになった。

レイヨナン様式の特徴はサン・ドニの王立修道院付属教会でとりいれられ、新しい方式の最初の大きな企画となった。周歩廊と西正面だけはもとの構造のまま保持された。レイヨナン様式の代表は、パリのシテ島にあるサント・シャペルである。この広々とした宮廷礼拝堂は、1242~48年にルイ9世によりたてられた。巨大な窓は、地上近くから天井までつらなり、礼拝堂全体を、ステンド・グラスでおおいつくされた石の骨組みにかえている。

ゴシック建築の発展における窓の拡大は、内部に明かりをたくさんとりこむためではなく、増加するステンド・グラスの場所を確保するためだった。サント・シャペルやシャルトル、ブールジュの大聖堂でみられるように、ステンド・グラスでみたされたゴシック教会の内部は、ロマネスク教会と同じくらいうす暗い。しかしそれは、窓の輝きにうちふるえる明るんだ暗さである。主要な色は、暗くこい青、かがやくルビーのような赤である。

礼拝堂や側廊の窓の小さなステンド・グラスの円形枠には、聖書や聖人伝からの物語がえがかれた。見る者の間近にあるので、これらの絵は細部まで容易にみてとれる。高窓のステンド・グラスには、大きな単身像がえがかれ、下からはっきりみきわめることができる。1270年代にはじまった神秘的な暗さは、グリザイユ・ガラスが彩色パネルと併用されるようになるにつれてとりのぞかれ、色調もしだいに明るくなった。

4. ゴシック建築の普及

フランス・ゴシック建築は、ほかのヨーロッパの国々に深い影響をあたえた。大きなアーケードと小さな高窓をもつブールジュ大聖堂の方式は、フランスでは広まらなかったが、スペインでは盛んにとりあげられた。それは、1221年のトレド大聖堂にはじまり、14世紀初めのパルマデマリョルカ、バルセロナ、ジローナの大聖堂にもひきつづいて採用された。

ドイツではフランス・ゴシック建築の影響は決定的であった。ケルン大聖堂の内部は、アミアン大聖堂のレイヨナン様式をもとにしてつくられ、建物はボーベ大聖堂の高さをこえるほどになった。

イタリアとイギリスでは、フランス・ゴシックの影響は少なかった。フィレンツェにはイタリア風のゴシック教会があったり、シエナやオルビエートの大聖堂の正面にはフランス・ゴシックの面影がのこったりするが、それらはイタリア・ロマネスクからブルネレスキと初期ルネサンスにいたる過渡的な姿にすぎない。

イギリスでは、フランス・ゴシック建築の波及は2度だけだった。最初は1170年代のカンタベリー大聖堂の東側に影響があり、次はヘンリー3世のウェストミンスター寺院の場合である。そのほかでは、イギリスの建築家は独自の高度なゴシック様式を発展させた。イギリスの教会は、フランスの大聖堂の高くそびえる垂直性と機能的論理をしりぞけて、長大さと水平性を強調した。こうした極端な長大化は、しばしば2つのはなれた袖廊をもたらした。装飾的役割ももつリブの増加も、イギリス・ゴシックの特徴である。

イギリスの初期ゴシック建築のようすは、ソールズベリー大聖堂(1220年着工)にじゅうぶんしめされる。ウェストミンスター寺院での棒状はざま飾りの導入は、その後のはざま飾り模様の多様な展開をもたらした。13世紀後半~14世紀の装飾様式の時代には、リンカン大聖堂のうつくしいエンジェルの内陣(1256年着工)のような詩的な空間が生まれた。