バッハ,J.S.
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バッハ,J.S.
III. 後期

1723年、バッハはライプツィヒにうつり、終生を同地ですごす。経済的にも精神的にもめぐまれていたケーテン時代と対照的に、ライプツィヒの聖トーマス教会と教会付属学校のカントル(音楽監督)、および聖歌隊長という職務にはさまざまな困難がつきまとった。市議会も市民も彼の才能をただしく評価することができず、議会とはもめ事がたえなかった。彼らにはバッハが、時代遅れの音楽形式にしがみつく頑固な老人としか思えなかったのである。しかし、当時もてはやされ、時代の先端とされた曲が現在ではほとんどわすれさられているのに対して、ライプツィヒ時代に書かれた教会カンタータは200以上が現存し、今でも演奏されつづけている。

バッハの教会カンタータの多くは、合唱とオーケストラの楽曲ではじまり、独唱と伴奏によるレチタティーボ(叙唱)とアリアが交互にくりかえされたのち、コラール(ルターがつくった単純な讃歌をもとにする讃美歌)でしめくくられる。音楽はいつも歌詞に密接によりそい、その歌詞は豊かな表情と深い信仰心にささえられている。そうした作品に「昇天祭オラトリオ(その国にて主をほめまつれ)」(オラトリオとよばれるが、実質的にカンタータ)や、6曲のカンタータから構成される「クリスマス・オラトリオ」がある。「ヨハネ受難曲」、「マタイ受難曲」、ロ短調ミサ曲といった大曲もライプツィヒ時代に書かれた。鍵盤楽曲としては、「ゴルトベルク変奏曲」、「平均律クラビア曲集」第2巻、「フーガの技法」が名高い。「フーガの技法」には、同じ主題にもとづく16のフーガと4つのカノンがおさめられており、バッハの対位法技法の集大成となっている。1750年に視力がおとろえ、手術をうけたが失明。その年の7月28日、卒中で死去した。