バッハ,J.S.
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バッハ,J.S.
IV. バッハ復興

バッハの没後、その名はオルガン、チェンバロの名演奏家とだけ記憶され、作品がかえりみられることは少なかった。当時は前古典派が台頭しつつあった時期で、新しい音楽の多くが対位法からはなれてホモフォニーの構造をとっていたのに対し、対位法によるバッハの音楽は当時の人々にいかにも古くさく思えたのである。したがって、その後約80年間モーツァルトやベートーベンといった一握りの音楽家をのぞくと、バッハの音楽に関心をはらう者はなかった。

バッハ見直しの機運は、19世紀半ばに高まる。ドイツの作曲家メンデルスゾーンが1829年に「マタイ受難曲」の復活演奏をし、これがきっかけとなって一般大衆の関心もバッハにむけられるようになった。50年にはバッハ協会が設立され、バッハ作品の発掘・編集がすすめられ、99年までかけて46巻の「バッハ全集」が刊行された。ただし、当時の「バッハ復興」はロマン派音楽の全盛期と一致していたために、演奏にしばしばバッハの意図とことなる歪曲(わいきょく)がくわえられた。

しかし20世紀になると、哲学者でプロテスタントの医療伝道師でもあったオルガン奏者・音楽学者のアルベルト・シュワイツァーがまずバロック・オルガンについて熱心に説き、そうした熱意にうながされて、現在ではバッハの音楽と時代に忠実な演奏様式が明らかにされつつある。1954年からは「新バッハ全集」が刊行されはじめた。

バッハは作曲法を、ほとんど独学で習得した。勉強の方法は当時の習慣にしたがって、フランス、ドイツ、イタリアの流行音楽と過去の音楽とを筆写することであった。長兄ヨハン・クリストフのもとにいたころ、兄が大切にしている楽譜をひそかにもちだして月明かりのもとで写譜したエピソードがある。ほかの作曲家の作品の筆写は終生にわたってつづけ、しばしばそれらを編曲している。