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| III. | 現代のテロリズム |
第2次世界大戦後の世界で、テロリズムが世界的注目をあつめるようになったのは、1960年代の中東におけるアラブ・イスラエル紛争(→ 中東戦争)の激化を契機としている。それというのも、イスラエル占領地の奪還をめざすパレスティナ・ゲリラたちが、PLO(パレスティナ解放機構)に結集し、ハイジャックなどのテロリズムを展開したからである。
また北アイルランドのIRA(アイルランド共和軍)は、イギリスからの独立を要求して、イギリス全土で長期にわたって爆弾テロをくりかえした。これらは地域的・民族的・宗教的紛争の当事者たちが、ゲリラ的テロリズムを主要戦術として採用したもので、こうした紛争にともなうテロリズムの場合、犠牲者は無差別なものになる。
1970年代になると、アラブ・ゲリラのテロリズムは、ゲバラなどを指導者とする南米のゲリラ革命戦術とともに、旧西ドイツ、イタリア、日本など先進産業国家の過激な左翼運動に影響をあたえた。先進産業社会のテロリストたちは、共産主義イデオロギーによって影響される一方、中産階級の若者たちの支持をあつめ、テロリズムによって国家の反動的暴力を暴露しようとした。
テロリズムがこうした国際的な広がりをもって登場した原因のひとつに、技術の発達があげられる。たとえば、武器は小型化し、しかも破壊力をました。交通の発達はすばやい攻撃を可能にし、通信の発達は敏速な情報交換を可能にした。そうしたことで、都市ゲリラはきわめて効果的な破壊をなしうるようになったのである。
旧西ドイツにおいては、バーダー=マインホフ・グループとして知られる赤軍派が、銀行を襲撃したり米軍事施設を攻撃したりした。もっとも衝撃的な事件は、1977年の経営者連盟会長シュライヤーの誘拐・殺害事件であり、ソマリアでのルフトハンザ機ハイジャック事件である。日本赤軍の場合も同様であるが、ドイツ過激派はパレスティナ・テロリストと連携していた。しかし70年代の終わりまでには、赤軍メンバーの多くは逮捕されるか死亡してしまった。
イタリアのテロリスト集団のうちもっとも有名だったのは「赤い旅団」である。この集団はイタリアのアナーキスト的伝統と政治的混乱の産物といってよく、その活動は、1978年のモーロ首相誘拐・殺害事件で頂点に達した。その後左翼テロリズムは没落していったが、それにかわって、マフィアもからんだ右翼テロリズムが台頭してきた。80年にはボローニャの駅が、93年にはフィレンツェの美術館がテロによって爆破されている。政府とマフィアとの闘いでは、多くの担当検事がマフィアに殺害された。