アッシリア
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アッシリア
IV. 勢力の拡大と一時的な衰退

前1810年ごろ、アッシリア王のシャムシアダド1世(在位、前1813~前1781)は、アッシリアの領土をザグロス山脈から地中海にいたるまでに拡大した。シャムシアダドは、おそらく古代中東世界における最初の中央集権的な帝国の支配者だった。彼は王国をいくつかの地域にわけ、特別に任命された行政官や顧問団にまかせたほか、連絡のために駅伝の制度をもうけ、さらに定期的な人口調査もおこなった。しかし最初のアッシリア帝国は長続きせず、シャムシアダドの息子イシュメダガンはバビロニアのハンムラピ王にやぶれ(前1760頃)、アッシリアはバビロニア帝国の一部となった。

バビロニア帝国は2世紀ほどで衰退し、前16世紀、非セム系のカッシート人がバビロニアに侵入し、政治的な力をもった。いっぽう、別の非セム系山岳民族フルリ人は、メソポタミア北部全域に侵入し、彼らはさらにパレスティナにまで達した。また、別のインド・ヨーロッパ系の民族がフルリ人にまじってあらわれたとされるが、彼らの名は知られていない。このような民族の複雑な動きのため、前16世紀のメソポタミアの歴史は混沌としている。

前1500年ごろのアッシリアは、ミタンニ王国の属国になった。当時のミタンニは、北部メソポタミア全域を支配する帝国規模の国家だった。アッシリアは前14世紀初めまでミタンニの支配下にあったが、北部で勃興(ぼっこう)してきたヒッタイトによってミタンニが敗北すると、その混乱を利用してアッシリア王アッシュールウバリト1世(在位、前1365~前1330)が、ミタンニの支配をのがれ、逆にその領土を併合した。

アッシュールウバリト1世のあと、アダドニラリ1世(在位、前1307~前1275)、シャルマネセル1世(在位、前1275~前1244)、トゥクルティニヌルタ1世(在位、前1244~前1208)といった強力な支配者がつづき、アッシリアの領土はひろがり、エジプト、バビロニア、ヒッタイトとならぶ強国となった。