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ブルネレスキ,F.

1377~1446 フィレンツェの建築家で、イタリア・ルネサンスの創始者のひとり。クラシック様式の復興と、数学、比例、遠近法にもとづく建築を提唱し、中世から近代にいたる過渡期の重要な美術家となった。ルネサンス美術

1377年フィレンツェに生まれ、初めは金銀細工師としての修業をつんだ。1401年、サン・ジョバンニ洗礼堂ブロンズ門扉制作者選定のコンクールに参加したが、ギベルティにやぶれ、その後は建築家に転向。18年には、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の大円蓋(だいえんがい)造営の委嘱をうけた。芸術的にも技術的にも重大な革新をもたらしたそのドームは、八角形の内外2層の殻からなる。その形は構造的必要性から生まれたもので、機能主義的な建築の初期作例のひとつにかぞえられる。

ブルネレスキは、円天井に必要な8本のリブをドームの外側にもうける設計上の工夫をほどこして、ドームに装飾的な骨格をあたえ、レリーフや、円形窓、うつくしく調和のとれたクーポラを配した。このドームによって、はじめて内部と同様の力強い効果が外観にも生みだされたのである。

メディチ家の墓所でもあるサン・ロレンツォ教会(1418~28)、オスペダーレ・デリ・インノチェンティ(1421~55)などの建築において、彼は古代ローマ建築から想をえて、簡素な幾何学的スタイルを考案する。当時まだ主流であった感情にうったえる複雑なゴシック様式とはことなり、その様式は、直線、水平面、立方空間をもちい、数学的正確さを強調していた。この「壁面建築」は、やがて多くのフィレンツェ・ルネサンス建築の基調となる。

晩年には、今までの線的で幾何学的な様式からはなれ、いくらか彫刻的でリズミカルな様式へとうつる。その代表例が未完成のサンタ・マリア・デリ・アンジェリ教会(1434年着工)、バシリカ式のサント・スピリト教会(1436)、パッツィ家礼拝堂(1441年頃)である。たとえば、サンタ・マリア・デリ・アンジェリ教会では、内部は平らな壁面ではなく、集中式八角堂の壁はそれぞれ荘重なニッチ(壁龕:へきがん)がうがたれている。実体と空間が交錯するこのスタイルは、次のバロック建築をみちびく第一歩となった。

ブルネレスキは、他の芸術領域でも革新者であった。彼は画家マサッチョとともに、科学的遠近法を再発見した初期ルネサンスの巨匠のひとりである。1415~20年には、遠近法を駆使して2点の絵を制作していると考えられ、マサッチョの初期作品の1点は、彼が建築背景をえがいたとされている。

ブルネレスキが同時代人や後継者たちにおよぼした影響は、きわめて大きい。これは20世紀になっても同様であり、現代建築家たちは、理論的建築家の代表格として彼に尊敬の念をいだくようになった。1446年、フィレンツェにて没。