国際連合
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国際連合
II. 国連の創設過程

最初の世界的規模での集団安全保障体制として第1次世界大戦後に組織された国際連盟が第2次世界大戦を防止できなかった原因には、主要国家が加盟していなかったことや、全会一致を原則とした意思決定手続きなど、国際連盟自体の問題もあった。したがって第2次世界大戦の初期から、国際連盟にかわる国際平和機構の必要性が提唱されていた。

しかし、戦争中に国連の構想がすすめられたことは、当時連合国と交戦中であった日本やドイツなどの諸国に対する安全保障上の例外的規定を国連憲章にふくめることにもなった。すなわち、それらの旧敵国に対しては、国連が誕生したのちにもその集団安全保障体制(安全保障)の枠外で各加盟国が軍事力をふくむ行動をとることを可能とした(いわゆる「旧敵国条項」)。今日でも規定としてはのこされているが、すでに効力をうしなっており、近い将来に削除される動きにある。

1. 戦後構想

1941年8月の米英共同宣言(大西洋憲章)において、フランクリン・ルーズベルト大統領とチャーチル首相は、「いっそう広汎(こうはん)かつ恒久的な一般安全保障制度の確立」に言及した。つづいて、26カ国が署名した42年1月の連合国共同宣言でもそのことがのべられている。45年3月1日までにさらに21カ国が署名し、これらの国家が同年4月から開催されたサンフランシスコ会議に参加して国連の原加盟国となった。43年10月、米・英・ソ3カ国の外相会談のあと、中国をくわえて4カ国によって採択されたモスクワ宣言(一般安全保障に関する4カ国宣言)の第4の原則は、できるだけはやい時期に、国際平和と安全のために「すべての平和愛好国の主権平等の原則にもとづく普遍的国際機構」を創設することをさだめている。

2. ダンバートン・オークス提案

ワシントン郊外のダンバートン・オークスで、1944年8月から10月にかけて米・英・ソ・中の4カ国でおこなわれた会議では、モスクワ宣言の抽象的構想を具体化する作業がおこなわれた。アメリカの用意した原案を基礎として10月7日に完成されたダンバートン・オークス提案(「一般的国際機構設立のための提案」)は、今日の国連憲章の原型となったもので12章からなり、戦後国際平和機構の内容がほぼ確定された。さらに、「国際連合」という名称もここで決定された。

3. ヤルタ協定

上述の会議では、いくつかの重要問題について合意がえられなかったが、翌1945年2月にクリミア半島のヤルタでおこなわれたルーズベルト、チャーチル、スターリンの米・英・ソ首脳による会談(ヤルタ会談)で決着がついた。たとえば、安全保障理事会での投票権については、理事国自身が紛争の当事国である場合、その紛争の平和的解決に関する議事の場合には当該理事国は投票を棄権しなければならず、強制的解決に関する議事については投票権を(したがって常任理事国の拒否権も)制限されないこととなった。

また、ダンバートン・オークス会議では、ソ連はその16の共和国(当時)のそれぞれを原加盟国としてみとめるように主張していたが、白ロシア(現、ベラルーシ)とウクライナの2共和国のみを原加盟国としてみとめることになった。さらに、国際連盟の委任統治制度にかえて、今日の国連憲章に規定されている信託統治制度を採用することが合意された。

4. サンフランシスコ国連創設会議

ダンバートン・オークス提案とヤルタ会談での決定事項を原案として、国連憲章を採択するために、米・英・中・ソの4カ国が共同主催国となって、1945年4月25日からサンフランシスコ会議が開催された。招請されたのは、日本かドイツに対して宣戦しているか、連合国共同宣言に署名した国家である。のちに、アルゼンチン、白ロシア、ウクライナ、およびドイツの占領から解放されたデンマークも招請され、会議の出席国は50カ国となった。ポーランドは、連合国共同宣言には名をつらねたが同会議には出席できず、署名する権利があたえられた。

同会議で問題となったのは、4大国間の合意である原案とその他の諸国の主張との調整と、米・ソの対立に関係するものであった。とくに、議事進行などの手続き事項をのぞくすべての実質的問題について、米・英・中・ソ・仏の5大国が拒否権をもつことが問題となった。その対象を限定しようとする中小国の主張はみとめられなかったが、安全保障理事会に対する総会の権限が部分的に強化された。また、経済社会理事会の権限も強化され、同会議ではじめて詳細な規定がもうけられた信託統治理事会とともに、主要機関とされた。

5. 国連の誕生

以上のような審議と部分的修正をへた国連憲章は、1945年6月26日に、サンフランシスコ会議の参加国50カ国とポーランドによって署名された。効力発生には5大国と、その他の署名国の過半数(すなわち24カ国)、合計29カ国が批准書をアメリカ政府に寄託することが必要であり、10月24日にこれが達成され、国連が成立した。この間に、太平洋戦争をふくめた第2次世界大戦のすべてが終結した。残りの署名国すべての批准書が寄託されたのは12月27日で、この51カ国が原加盟国とよばれる。第1回総会は、51カ国すべてが参加して、46年1月10日にロンドンの教会で開催された。