| 検索ビュー | エクアドル | 項目ビュー |
| I. | プロローグ |
南アメリカ大陸北西部の赤道直下にある共和国。正式国名はエクアドル共和国。国名のエクアドルはスペイン語で「赤道」のこと。沖合西約965kmの太平洋上にガラパゴス諸島を領し、面積は27万2045km²。人口は1392万7650人(2008年推計)。首都はキト。
| II. | 国土と資源 |
エクアドルは地理上、4つの地域にわけられる。海岸平原のコスタ地域は国土の4分の1以上を占める。中央高地のシエラ地域は南北につらなる2つの山脈からなり、人がすむ山間盆地が点在する。東部密林のオリエンテ地域は国土の半分を占め、アンデス山脈のなだらかな東側斜面をなしている。ガラパゴス諸島は火山をかかえた6つの大きな島と、9つの小さな島からなる。
シエラ地域は、アンデス山脈の中の2つの山脈、コルディエラオクシデンタル山脈とコルディエラオリエンタル山脈にまたがる地域で、標高4800m以上の峰が12以上ある。コトパクシ山(5897m)は世界でもっとも高い火山である。
| 1. | 気候 |
エクアドルは赤道直下に位置しているが、高度差があるため、気候は変化にとむ。コスタ地域は高温多湿で年平均気温は約26°C。シエラ地域は、標高に応じて年平均気温は7~21°C。キトは標高約2850mで、年平均気温は13.7°C。オリエンテ地域はコスタ地域よりも高温多湿で、年平均気温は37.8°Cに達し、年降水量は約2030mm。
| 2. | 植生と動物 |
エクアドル北部の海岸地方と、南部の内陸地方は熱帯雨林におおわれている。アンデスの斜面は湿度が高く、コケ植物の多い蘚苔林(せんたいりん)が広がっている。コルディエラオクシデンタル、コルディエラオリエンタルの両山脈の東側と西側はオリエンテ地域と同様に高温多湿で、標高3000m付近までは密林が広がり、それ以上の高さには高山植物が自生する。
エクアドルの動物の種類は多様で、302種(2000年)の哺乳類がすみ、大型哺乳類ではクマ、ジャガー、ヤマネコなど、小型哺乳類ではイタチ、カワウソ、スカンクがいる。爬虫類では、アンデス山脈の斜面や海岸沿いの低地にトカゲ、ヘビ、ワニなど380種が生息している。鳥類も1388種と豊富で、越冬のため北アメリカからわたってくる鳥もいる。ガラパゴス諸島には貴重な固有種が多く、野生動物保護地域となっている。
国土の38.3%(2005年推計)が森林におおわれているエクアドルでは、森林が重要な資源である。鉱物資源としては石油、天然ガス、金、銀、銅などがある。
| III. | 住民 |
エクアドルの人口のおよそ80%は先住民とメスティソである。残りは、ヨーロッパ人(おもにスペイン人)と黒人がほぼ同じ割合を占めている。人口の約62%が都市部でくらしている。また、人口の半数近くがシエラ地域にすみ、その多くが先住民である。また、残りの大半がコスタ地域にすみ、多くはメスティソや黒人たちである。オリエンテ地域やガラパゴス諸島にすむ人々はわずかで、かつて支配層だったスペイン系の人々は代々、キトやクエンカ、グアヤキルにすんでいる。
| 1. | 行政区分と主要都市 |
エクアドルは22の州にわけられ、さらに県、区などにわけられる。首都のキトは、シエラ地域北部にある都市で、人口は139万9378人(2001年)。西部のグアヤキルは首都キトより人口の多い港湾都市で商業の中心地でもある。クエンカは工業、商業が盛ん。そのほかにサントドミンゴデロスコロラドス、マチャラ、マンタなどの都市がある。
| 2. | 言語と宗教 |
エクアドルの公用語は、もっとも多くの人がつかっているスペイン語である。農村部にすむ先住民はインカの言語だったケチュア語(→ ケチュア)を話す。
エクアドルの先住民のほとんどは、スペイン人に征服されるとカトリックに改宗した。1863年にはカトリックが国教となった。しかし89年までに政教分離がすすみ、1904年には教会の国家管理をさだめた法令が出された。教会の財産が没収され、信教の自由が導入された。現在、人口の95%がカトリック教徒である。オリエンテ地域のわずかな先住民が伝統的な宗教を信仰している。
| 3. | 教育 |
識字率を高めるキャンペーンが1944年からはじまり、2005年までに15歳以上で93.1%が読み書きできるようになった。5~14歳を対象に義務教育を無料で実施しているが、農村部には学校がない所も多い。
エクアドルの高等教育機関としては、キトのエクアドル中央大学(1586年創立)、エクアドル・カトリック大学(1946年)、クエンカのクエンカ大学(1868年)、グアヤキルのグアヤキル大学(1867年)などがある。
| 4. | 文化 |
エクアドルでは部族ごとにある程度すみわけているので、それぞれが特色ある文化をもっている。インカ帝国に支配された部族の子孫である高地の先住民は、伝統的な民俗音楽を昔のままの横笛やパンパイプで演奏している。オリエンテ地域にはインカとスペインの支配からのがれた人々の子孫が居住し、アマゾン流域の先住民と似かよった風俗、習慣を維持している。コスタ地域にはスペインの植民者とアフリカの黒人奴隷の子孫がすみ、スペインとアフリカの文化が混合した独特の文化を生みだしている。キトやクエンカには、スペイン植民地時代の古い建物や町並みがのこり、キトの旧市街とサンタ・アナ・デ・ロス・リオス・クエンカの歴史地区が世界文化遺産(→ 世界遺産)に登録されている。
18世紀後半から、キトを中心に出版や文学活動が盛んになり、フアン・モンタルボやホルヘ・イカサらの作家・詩人を輩出した(→ ラテンアメリカ文学)。
キトにはエクアドル中央銀行考古学博物館、自然史博物館、コロニアル・アート美術館、国立美術館など多くの博物館や美術館がある。またグアヤキルに中央銀行考古・人類学博物館、市立博物館が、クエンカの近くにはインカ時代やプレ・インカ時代のコレクションを展示する私立博物館がある。キトの国立図書館は1792年に創設され、エクアドル最古の図書館のひとつである。
| IV. | 経済 |
エクアドルの経済をささえてきたのは伝統的な農業だが、1965年に工業開発法が制定されてから工業化がすすみ、織物、電気製品、薬品などが製造されるようになった。70年代には石油が産出され、北東部のプトゥマヨ川沿いの油田地帯とエスメラルダス港とをむすぶアンデス横断パイプラインの完成で石油の輸出がはじまった。GDP(国内総生産:→ GNPとGDP)は414億米ドル(2006年)、1人当たりでは3136米ドルである。
| 1. | 農林漁業 |
耕地面積(耕地と長期作付用地)はエクアドル国土の9.3%(2005年推計)で、おもにシエラ地域やコスタ地域に広がっている。主要作物はバナナで、第2次世界大戦後にアメリカのユナイテッド・フルーツ社(チキータ・ブランド)が進出し、バナナの世界的生産国となった。ほかにサトウキビ、コーヒー、カカオ、米、トウモロコシ、ジャガイモなどが重要な作物である。
エクアドルはバルサ材の生産国として世界的に知られる。林産品にはほかにもマングローブ樹皮、アイボリーナット(タグワヤシの実)、ゴムがある。
ガラパゴス諸島周辺の海域は世界でも有数のマグロ漁場で、エビも大量に水揚げされ、漁獲量は49万t(2005年推計)。エクアドル本土の沿岸も豊かな漁場である。
| 2. | 鉱工業とエネルギー |
エクアドルの主要な鉱物資源は金、銀、銅、鉛、亜鉛である。1920年代初めにはじめて発見された石油は、現在ではエクアドルの産業基盤となっている。石油や天然ガスなどの資源(→ 化石燃料)は国家の所有だが、高率の課税をともなった採掘許可が外国企業に対してあたえられている。2004年の石油生産量は年間1億5012万バレルである。
エクアドルの工業は、伝統的に国内消費向け製品の生産が主体だった。工業開発法の施行により、食品、石油製品、繊維、化学製品の工場が建設され、工業生産はGDP(国内総生産)の10%程度を占める。
エクアドルは電力需要の63%(2003年推計)を水力発電で供給し、残りは火力発電でまかなっている。1990年代初めに300万kWの発電能力をもつ発電所を建設し、2003年には総発電量は113億kWhとなった。
| 3. | 通貨と貿易 |
エクアドルの通貨単位はスクレだったが、経済の安定化をはかるため、2000年4月から米ドルへの切り替えがおこなわれた。エクアドル中央銀行(1927年設立)が発券銀行である。
2003年の輸出額は60億米ドル、輸入額は65億米ドルである。輸出額の70%以上は石油、カカオ、コーヒー、バナナ、生花で、輸入品は、輸送機器、機械類、自動車、自動車部品、化学製品、食料品である。貿易相手国はアメリカ、コロンビア、ベネズエラ、ペルー、ブラジル、チリ、パナマ、イタリア、日本、中国など。
エクアドルはコロンビア、ペルーなどとともに、アンデス共同体(CAN)のメンバーである。アンデス共同体は共同のエネルギー政策、関税引き下げ、工業や農業の発展、政治協力、貿易改善、共同市場の創設にとりくんでいる。エクアドルはラテンアメリカ自由貿易連合(LAFTA)の創設メンバーだったが、ラテンアメリカ自由貿易連合は1981年にラテンアメリカ統合連合(ALADI)に改編された。ラテンアメリカ統合連合は貿易の促進による参加国の経済的、社会的な向上をめざして、南アメリカの大半の国が加盟している。2004年にはメルコスール(南米共同市場)に準加盟。また1973年から92年までOPEC(石油輸出国機構)のメンバーだった。
| 4. | 交通と通信 |
エクアドルの道路総延長は4万3197km(2004年)に達し、パン・アメリカン・ハイウェーが南北にはしっている。国有鉄道は総延長965km。エクアドルのおもな港町としては、国内の主要都市と飛行機や鉄道でむすばれたグアヤキルのほか、ラリベルター、エスメラルダス、マンタ、プエルトボリーバルがある。グアヤス川、ダウレ川、ビンセス川は浚渫(しゅんせつ)され、船が航行できる。キトやグアヤキルの近くには国際空港がある。
キトのラディオ・ムニシパル(AM)、ラディオ・コルディエラ(FM)など、エクアドルには多くのAM、FMラジオ局があり、地上波テレビのほか、ケーブルテレビをみることもできる。36紙(2000年)の日刊紙が発行されており、おもな新聞としてはキトのエル・コメルシオやグアヤキルのエル・ウニベルソがある。
エクアドルの労働人口は640万人(2006年)で、そのうちの8%(2005年)が農林漁業に、21%が製造業や建設業に従事している。労働団体がいくつかあり、最大のものが労働総同盟で、手工業労働者、知識人、港湾労働者、鉄道労働者などもそれぞれ労働組合に参加している。
| V. | 環境問題 |
国土の38.3%(2005年推計)が森林である。1980年代に急激にすすんだ森林伐採の速度は一時ほどではなくなったとはいえ、伐採はいまだに盛んにおこなわれており、毎年、全森林の1.43%(1990-2005年)が消失している。南アメリカ諸国のうち、エクアドルはパラグアイについで森林伐採率が高い。材木の切り出しを奨励し、無人ないし過疎の地域への入植を推進する政策が、こうした森林の消失に拍車をかけている。
消失した森林地帯の大部分は原生林で、他にほとんど類をみない豊かな生物多様性はこの原生林の特徴だった。種の多様性にくわえ、ここに生息していた生物の大半が固有種でもあったことから、この原生林をうしなったことは重大な損失である。森林伐採は、種の消滅だけでなく、土壌浸食、洪水、砂漠化の原因ともなっている。
森林伐採率が高い一方で、公園や保護区は全土の9.3%(2004年)を占める。エクアドル政府ははやくから債務・環境スワップ(他国からの債務をそれにみあう自国の環境保全を実行することで帳消しにすること)をとりいれ、エコツアー(→ エコツーリズム)も盛んになった。エコツアーの目的地は固有種が豊富なことで有名なガラパゴス諸島が多い。ガラパゴス諸島とエクアドル中央部の標高800~5000mにあるサンガイ国立公園は世界自然遺産である。
石油はエクアドルの主要な天然資源であり、貴重な財源でもある。その一方で産業廃棄物、なかでも石油産業から出る廃棄物が深刻な水質汚濁の原因になっている。漁業の分野で急速な成長をとげているエビの養殖場をつくるために、海岸沿いの湿地帯の破壊がつづいている。
| VI. | 政治 |
現行憲法は2008年10月に公布。行政府の長は大統領である。大統領は国民の直接投票で選出され、任期は4年。2期連続再選がみとめられている。大統領は軍の最高指揮官でもあり、緊急事態には非常大権があたえられる。
立法権は一院制の議会がもつ。定員は124名で任期は4年。議会は立法のほかに条約の批准、最高裁判所や高等裁判所の判事の選任などをおこなう。
各州は大統領により任命される州知事がおさめ、選挙で州議会議員が選出される。県では選挙によって県会議員がえらばれ、県会議員が議長を選出する。農村区域の行政は大統領に任命された行政官がおこなっている。
| 1. | 司法 |
エクアドルの裁判所には、最高裁判所、高等裁判所、地方裁判所がある。刑事訴訟は1名の判事と3名の陪審員からなる特別陪審でおこなわれ、科料は禁止されている。死刑はない。
| 2. | 厚生・防衛 |
エクアドルでは伝染病予防には有効なプログラムが確立されている。黄熱病は撲滅され、マラリアや結核も激減している。しかし、栄養失調や乳幼児の死亡率(5歳以下の幼児死亡率は1000人当たり24人(2006年))の高さは依然として問題となっている。1991年には、ペルーから入ったコレラが流行し、606人の死者が出た。
政府は1942年以来、社会保障政策を拡充し、農民や労働者、職人、専門職などに対して健康保険、傷害保険、出産保険、失業保険を整備し、老齢者には年金制度をスタートさせている。医師1人当たりの人口は677人(2004年)。
20歳の男子を対象に12カ月の選抜徴兵制がとられる。2004年の兵力は、陸軍3万7000人、海軍5500人、空軍4000人である。
| VII. | 歴史 |
エクアドルの太平洋岸でおこったバルビディア文化は、前3000年ともいわれるアメリカ大陸最古の土器文化とされ、「バルビディアのビーナス」とよばれる女性土偶が数多く発見されていることでも知られる。その後にみられる古代の建造物の遺跡は、中央アメリカのマヤ文明と関連があると考えられている。のちのインカ文明をふくめ、いずれも文字による記録はのこされていない。インカ文明はペルーのクスコからティティカカ湖周辺を中心に発展していた。インカ帝国は、15世紀後半にはエクアドルの先住民部族を支配しており、初期のスペイン人侵略者にとって大きな軍事的障害となっていた。
| 1. | スペインの支配 |
1526年バルトロメ・ルイスにひきいられたスペイン人一行が現在のエクアドルの海岸にはじめて上陸した。32年、ピサロが指揮するスペイン人がこの地に侵入してインカをほろぼし、2年後、一帯を支配下においた。ピサロは40年12月、弟のゴンサロをキトの総督に任命した。その直後、ピサロは暗殺され、ゴンサロはスペインに反旗をひるがえして単独支配をつづけたが、48年4月、スペイン軍はハキハワナでゴンサロ軍をやぶり、ゴンサロを処刑した。
エクアドルの地域は最初、16世紀スペインのアメリカにおける二大行政区のひとつペルー副王領(→ 副王制)にふくまれたが、18世紀にはヌエバグラナダ副王領になるなどの変遷をたどった。
スペインに対する最初の蜂起(ほうき)は1809年におこった。ボリーバル将軍の副官スクレにひきいられた解放軍が最終的にスペイン軍を打破したのは22年で、エクアドルは現在のベネズエラ、パナマ、コロンビアをふくむグランコロンビアの南部領域となった。
| 2. | 独立 |
1830年、エクアドルは独立した。初代大統領フロレスは独立戦争の英雄で、キトの保守派を代表した。33年、キトの保守派とグアヤキルの自由派の間で内戦がおこった。これは長期にわたる抗争の始まりだった。この抗争の中でエクアドルの歴史上有名な3人の独裁者が誕生した。保守党のフロレス、モレノと自由党のアルファロである。アルファロがふたたび大統領の座についた1907~11年に、比較的リベラルな新憲法がさだめられた。
エクアドルは第2次世界大戦では連合国側についた。1944年、自由党のアロヨ・デル・リオにかわって保守党のベラスコ・イバラが大統領にかえりざいた。45年、国際連合(国連)の原加盟国となった。同年12月31日に新憲法が公布され、この憲法は67年までつづいた。
1947年ベラスコが軍事クーデタで政権をおわれた直後に反革命がおこり、フリオ・アロセメナが臨時大統領となり、翌年6月、元駐米大使プラサ・ラソが大統領に選出された。同年、ボゴタで開かれた第9回米州諸国会議に出席し、米州機構憲章に調印した。
長期にわたってつづいてきたペルーとのアマゾン地域での国境紛争が1941年に再燃した。42年には新国境を画定するリオデジャネイロ議定書に調印するが、50年、60年にも紛争は再燃した。リオデジャネイロ議定書を、エクアドルは強制されたもので無効と主張しつづけ、その後も武力紛争などがおきた。
| 3. | 不安定な政局 |
1952年ベラスコは、左右両派連合の候補者として3度目の大統領選に出馬して当選、56年まで政権を維持した。56年の大統領選では、保守党のポンセ・エンリケスが自由党候補者をやぶった。60年の大統領選では、無党派の候補として立候補したベラスコが、ポンセ政権の保守主義的経済政策を痛烈に批判して広範な改革をおこなうことをうったえて当選した。しかし、効果的な改革プログラムをしめせなかったため、61年11月、辞任においこまれた。その直前、彼はアメリカから10年間にわたり援助をうけることを約束した「進歩のための同盟」文書に署名した。
ベラスコの後をアロセメナ・モンロイ副大統領がついだが、彼も長期政権を維持することができず、1963年7月、農地改革をふくめた経済、社会改革をとなえる軍部政治委員会にとってかわられた。64年、軍部政治委員会は「進歩のための同盟」協議会に開発10カ年計画を提出し、開発プロジェクトへの借款交渉をはじめた。まもなくそれは莫大(ばくだい)な財政赤字をもたらしたため、65年7月、2週間の暴動ののち、反政府派がうけいれやすい内閣が成立したが、政治的不安定はつづいた。66年3月、反政府デモが全国的な暴動に発展し、軍部政治委員会は政権の座からおろされた。
1966年11月まで暫定政権がつづいたが、新憲法制定をめざしておこなわれた総選挙で成立した議会は、アロセメナ・ゴメスを大統領に選出した。アロセメナ政権は多くの反対にあいながらも、67年5月、新憲法を発布。翌年6月、新憲法のもとで大統領選挙がおこなわれ、ベラスコがかえりざいた。ベラスコの第5期政権は成功しなかったが、70年まで軍部の協力を背景に独裁的支配がつづいた。72年、ふたたび軍部がクーデタをおこし、ベラスコをアルゼンチンに追放し、クーデタの指導者ロドリゲス・ララ将軍が大統領に就任した。
| 4. | 新たな繁栄 |
新たな政権は農業、住宅、工業に重点をおいた経済5カ年計画を作成した。1972年、アメリカの会社が開発した新油田から産出された原油がはじめて輸出され、エクアドルはベネズエラについでラテンアメリカで2番目の石油輸出国となった。石油は外貨を獲得し、外国人の投資をふやしたが、同時にインフレがおこり、貧富の差が拡大した。
1976年、ロドリゲス大統領は退陣し、ポベダ・ブルバーノ海軍中将を議長とする執政評議会がひきつぐことになった。以後、数年間、インフレ圧力は弱まり、78年には新憲法に対する国民投票と大統領選挙がおこなわれた。79年4月、ハイメ・ロルドス・アギレーラが大統領となり、新憲法が発効した。
| 5. | 経済の低迷 |
1981年5月、ロルドス大統領は飛行機事故で死亡し、弟のレオン・ロルドス・アギレーラが副大統領となり、元副大統領のウルタード・ラレアが大統領となった。84年5月の大統領選では、保守派の実業家レオン・フェブレス・コルデロ・リバデネイラが決選投票で左派候補をやぶった。フェブレス・コルデロ政権は頻繁にくりかえされる軍部の反乱に手をやいた。
1988年の大統領選では、民主左翼(ID)のロドリゴ・ボルハ・セバジョスが決選投票の末、大統領に選出された。また92年8月の選挙では、キリスト教社会党(PSC)からわかれた共和連合党のシスト・ドゥラン・ベジェンが大統領になった。ドゥラン政権は国営企業の民営化をすすめ、石油会社ペトロエクアドルを民営化する政策をとった。その他の政策としては、未利用の土地を貧農に解放せずに売却するという方針の農地改革をおこなおうとし、広範な反対運動にあった。
1994年の議会選挙ではドゥランの保守的政策への反対票が多かったが、同年の国民投票ではドゥランの提案した憲法改革案の大部分が承認された。95年1月、アマゾン地域でペルーとの国境紛争が再燃し、一時停戦協定がむすばれたものの、両国は事実上断絶関係にあった。しかし、リオ・グループの仲介もあり、97年から国境画定交渉がはじまり、98年10月に和平協定に調印し、99年5月には最終的に国境が画定している。
| 6. | つづく政局の混乱 |
1996年7月に、ドゥラン大統領の任期満了にともなう大統領選挙がおこなわれ、中道左派のロルドス党(PRE)のアブダラ・ブカランが貧困層の救済などを公約にかかげて当選した。ブカラン大統領は、前政権の緊縮政策に立脚した新自由主義経済政策を継続。しかし、97年2月、放漫財政や公共料金の大幅値上げなど政府の経済政策への不満が増大し、ゼネストで首都は混乱した。国会は大統領罷免を決議したのにつづき、副大統領を暫定大統領に選出。軍部が事態収拾にのりだし、2日後にはアラルコン国会議長を暫定大統領に選出したが、その後も政局の混乱はつづいた。大統領罷免手続きに関して憲法に明確な規定がないことが混乱をまねいたとして、97年11月、憲法改正のための暫定国民議会が設置された。98年に施行された改正憲法では、議会は内閣の解散権をもたないことが規定され、大統領の罷免権に関しては、(1)審議開始に議会の4分の1以上が賛成すること、(2)大統領が憲法にしるされている罪をおかしていること、(3)罷免に議会の3分の2以上が賛成することが法制化された。
1998年の大統領選挙では人民民主(DP)のジャミル・マワが当選、8月に就任した。マワ大統領は2000年1月に非常事態宣言を出し、通貨暴落による経済破綻(はたん)を回避するために自国の通貨を米ドルにかえるドル化政策をうちだした。しかし、まもなく先住民インディオや労働者らが首都に集結してはげしい抗議デモがおき、それに軍部がくわわってクーデタに発展した。マワ大統領は辞任をこばんだが結局辞任し、まもなくグスタボ・ノボア副大統領(無所属)が新大統領となった。
ノボア大統領は就任後すぐにドル化政策を実行、2000年3月に経済改革基本法を制定し、為替リスクの回避とインフレの終息をはかった。政情不安はつづき、翌01年2月には、IMF(国際通貨基金)の緊急援助をうけるための公共料金値上げなどに反対する先住民たちが首都で大規模な抗議行動をくりひろげ、大統領は全土に非常事態を宣言したが、先住民と政府は対話をつづけ、運動は収束にむかった。01年6月、ノボア政権は消費税率を12%から14%へひきあげ、IMFの融資条件にこたえたが、同年8月に憲法裁判所がこれを違憲としたため、消費税は12%にもどった。
2002年11月にノボア大統領の任期満了にともなう大統領選挙の決選投票がおこなわれ、愛国的社会1・21(PSP)から出馬した元陸軍大佐のルシオ・グティエレスが当選した。グティエレスは2000年1月にマワ大統領を失脚させたクーデタの中心人物のひとりで、貧困対策や汚職の撲滅をかかげ、先住民や労働組合に支持された。03年1月に就任したグティエレス大統領は、先住民組織政党のパチャクティク(PNP)と連立をくみ、外相ポストなどをあたえた。しかし、IMFとの合意による財政緊縮政策をすすめる大統領とパチャクティクは、社会保障や労働問題などをめぐってしだいに溝を深め、同年8月にパチャクティクは連立政権を離脱、政権基盤は弱体化した。国内経済は、緊縮財政の効果もあって03年の物価上昇率が6.1%にさがり、財政も黒字目標を達成した。
2004年に入ると、コロンビアやペルーとともにアメリカとの自由貿易協定(FTA)交渉をはじめ、輸出競争力強化のために積極的にうごいた。そして緊縮財政政策の一環として、ガソリンや電気料金の引き上げなどをおこなった。しかし、これに反対するデモがおこるなど、国民に財政政策や親米的な政策に対する不満が高まった。12月には、政権基盤強化をはかって、最高裁判事のほぼ全員を息のかかった判事にいれかえる人事をしたために野党が強く反発、側近のあいつぐ不正などもあって、05年4月、ついにキトを中心に数万人規模の抗議デモがおき、死者も出る衝突となった。結局、グティエレス大統領は国会で罷免され、政権発足から2年4カ月で失脚し、ブラジルに亡命した。後任大統領には憲法の規定でアルフレド・パラシオ副大統領が昇格した。
パラシオ政権は、小選挙区制導入などの政治改革やインフラ整備などを就任時の重点施策とし、経済政策では、経済成長と雇用促進を優先課題として2000年以来のドル化政策も継続した。05年10月、亡命していたグティエレス前大統領がコロンビアから帰国し逮捕された。06年には、アメリカの石油会社オキシデンタル・ペトロリアムが政府承認をうけずに石油を転売していたことが判明、アメリカとの自由貿易協定交渉に反対する先住民組織などが反発してはげしいデモがおきた。これを機にパラシオ政権は同社との契約を破棄、そのためにアメリカとの自由貿易協定交渉も中断した。
パラシオ大統領の任期満了にともなう大統領選挙の決選投票が2006年11月におこなわれ、左派のラファエル・コレア元経済相が、制度的革新国民行動党(PRIAN)をひきいる親米右派のアルバロ・ノボアをやぶって当選した。コレアは、パラシオ政権発足時に大学教授から経済相に起用されたが、石油収入をもっと社会政策にまわすようにと、債務返済を優先する世界銀行などを批判、4カ月たらずで辞任においこまれた。選挙期間中もアメリカとの自由貿易協定締結やドル化政策に反対し、アメリカ主導のFTAA(米州自由貿易地域)に対抗するメルコスール(南米共同市場)への正式加盟にも積極姿勢をしめした。また、反米で知られるベネズエラのチャベス大統領ともしたしく、天然資源の国家管理強化や国内のアメリカ軍の基地使用延長反対などを主張している。
| 7. | 改憲によって反米路線を推進するコレア政権 |
2007年1月に不安定な内政をかかえて船出したコレア政権は、新自由主義というアメリカの強い影響のもとにある経済を国民にとりもどし、新しい政治体制づくりをするとして、憲法改正のための制憲議会設置を問う国民投票を4月におこなった。富裕層を中心とする保守派が支配する議会の反対の声をおしきっての国民投票だったが、結果は賛成が大きくうわまわった。その後、制憲議会で新憲法草案が可決されたのをうけ、08年9月にはこの憲法改正案の是非を問う国民投票を実施、国民に承認されて新憲法は公布された。
この新憲法は「21世紀型社会主義」を標榜するといわれ、経済格差是正や大統領権限の強化、国家による資源管理強化がもりこまれた。もっとも重要な条項は大統領権限の強化とされ、議会解散権の大統領への付与や大統領の2期連続再選(1期4年)がみとめられた。2009年4月、この憲法にもとづいて大統領選挙と総選挙がおこなわれ、コレア大統領が新憲法下での初代大統領に当選した。