ブルボン家
印刷するには、[ファイル] メニューの [印刷] をクリックします。
ブルボン家
II. フランスのブルボン家

記録にのこる最初の当主は9世紀後半にブルボンの領主だったアデマールだが、その直系の子孫ベアトリス・ド・ブルボン(1310没)はカペー朝(カペー家)のフランス国王ルイ9世の第6子ロベールと結婚し、その子ルイ(1279~1342)が1327年に初代ブルボン公となった。ブルボン家は王族でありながら、王の権力からなかば独立してフランス中部に広大な領地をきずいた。

1527年に当主シャルルが死去すると直系のブルボン家は断絶したが、傍系のバンドーム伯シャルルがブルボン公の称号をうけついだ。その子アントアーヌはピレネー山脈西方の国ナバーラの国王の娘ジャンヌと結婚、その子アンリ・ド・ブルボンがナバーラ国王となった。アンリは宗教戦争(ユグノー)に際して新教徒の指導者となったが、89年にフランス国王アンリ3世が死去してバロワ朝の血統がとだえると、カトリックに改宗してアンリ4世として即位し、ここにブルボン朝が成立した。

アンリ4世が暗殺されたのち、長男がルイ13世として1610年に即位した。ブルボン朝第3代にはその子がルイ14世として43年に即位し、1715年まで王位にあったが、その間に子と孫をあいついでうしなったために、ルイ14世の没後は曽孫(ひまご)が5歳でルイ15世として即位した。ルイ15世の死去(1774)後は孫がルイ16世としてついだが、フランス革命の際、92年に王位をうばわれたのちに処刑された。皇帝ナポレオン1世の退位後、ルイ16世の弟が国王ルイ18世となり、ついでその弟がシャルル10世として即位した。シャルル10世が七月革命で亡命したのちにはブルボンの本家から王位についた者はなく、その孫シャンボール伯アンリが王位継承者とされたが、その死後、ブルボンの本家は断絶した。七月革命の際に王位についたルイ・フィリップはルイ14世の弟フィリップにはじまるオルレアン家の出身であり、現在ではその子孫であるパリ伯の家柄がブルボン家をついでいる。