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| IV. | イタリア半島のブルボン家 |
18世紀のイタリア半島には統一国家がなく、多くの国家にわかれていた。南イタリアにはナポリ王国、シチリア王国があって、ともにスペイン人の支配下にあった。スペイン国王フェリペ5世の子カルロスはナポリ、シチリア両国の王(カルロス7世)となったが、兄のスペイン国王フェルナンド6世が死去したためにその跡をつぎ(カルロス3世)、1759年に3男のフェルディナンド4世を両国の王とした。2つの王国はナポレオン戦争の終了後、併合して両シチリア王国となり、フェルディナンドはその国王となった。4代目のフランチェスコ2世はイタリア統一運動に直面して1860年に退位、翌年シチリア、ナポリは統一イタリア王国の一部となった。
ハプスブルク家の神聖ローマ皇帝カール6世の死後、娘のマリア・テレジアが皇位について、広大なハプスブルク家の領土をつごうとすると、フランス、スペイン、プロイセンなどが反対してオーストリア継承戦争がおきた(1740~48)。アーヘンの和約によって、マリア・テレジアの即位は承認されたが、スペインはハプスブルク家が支配していたイタリア半島内の小国を獲得した。カルロス3世の弟フェリペはこれによって1748年にパルマ公領とピアチェンツァ公領の君主となった。ここからはじまったスペイン・パルマ・ピアチェンツァ系のブルボン家は100年余りにわたってこれらの国を支配したが、1859年にイタリア統一運動によって廃位された。20世紀になって、この家系から現在のルクセンブルク大公家が生まれた。