| ナポレオン戦争 | 項目ビュー | ||||
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| IV. | 第3次対仏大同盟 |
ナポレオンはイギリス制覇をねらって、ドーバー海峡に面したブローニュに大軍を集結した。これに対してイギリスは、オーストリア、ロシア、プロイセンとともに第3次大同盟を結成(1805年4月)、ふたたびフランスと開戦した。フランス軍はウルムの会戦でオーストリア軍を破り、ドナウ川沿いにすすんでウィーンを陥落させた。1805年12月に、ロシア皇帝アレクサンドル1世とクトゥーゾフ将軍のひきいるロシア軍がオーストリア皇帝軍に合流、ナポレオン指揮下のフランス軍とアウステルリッツでたたかったが、この戦闘は「三帝会戦」の名でしられている。ナポレオンはこの戦闘に快勝し、プレスブルクの和約をむすばせ、第3次大同盟は崩壊した。
イタリアでもマセナ将軍がひきいるフランス軍がヨーハン大公のオーストリア軍をやぶった。ナポレオンは、1806年に兄ジョゼフをナポリ王とし、弟ルイをオランダ王とした。またドイツにおいては、諸邦をまとめてライン同盟を結成させて、フランスの保護下におき、これによって神聖ローマ帝国は崩壊した。
ナポレオンはヨーロッパ中枢部を制圧したが、海上においては、イギリスに上陸しようとしたフランス・スペイン連合艦隊が1805年10月、ネルソン提督ひきいるイギリス艦隊にトラファルガーの海戦でやぶれ、制海権をうしなった。翌年11月から、ナポレオンは、大陸諸国にイギリスとの通商関係を断絶させる大陸封鎖を命令するが、海上での支配権をうしなったことで、この政策の遂行は困難になった。