| ベルディ,G. | 項目ビュー | ||||
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| III. | ゆるぎない成功 |
ベルディは、「リゴレット」(1851年)、「イル・トロバトーレ」(1853年)、「ラ・トラビアータ(椿姫)」(1853年)をあいついで書き、新境地を開いた。ベルディの名を国際的にしたこの3作は、今日でもとくに人気が高い。「仮面舞踏会」(1859年)、「運命の力」(1862年)、「ドン・カルロス」(1867年)でベルディの名声はさらに高まった。これら中期の作品は、音楽による性格描写に格段の進歩をみせ、同時にオーケストラの役割を強化している。
ベルディのオペラの中で最高の人気をほこる「アイーダ」(1871年)は、スエズ運河の開通記念にエジプト総督の依頼で作曲され、カイロで初演された。1874年には、イタリアの文豪マンゾーニを追悼して「レクイエム」を作曲。オペラ以外の最高傑作となった。このジャンルの作品として、そのほかに劇的カンタータ「諸国民讃歌」(1862年)、弦楽四重奏曲・ホ短調(1873年)などがあげられる。
70代の高齢になってなお、ベルディはオペラの可能性を追求し、シェークスピアの悲劇「オセロー」を巧みに改編したボーイトによる台本をえて、傑作「オテロ」(1887年)に結実させた。最後のオペラとなった次作「ファルスタッフ」(1893年)も、シェークスピアにもとづくボーイトの台本がつかわれており、あらゆる喜歌劇の頂点をなす作品とみなされている。
ベルディのオペラは全体として、充実した内容、うつくしいメロディ、巧みな性格描写を特徴とする。型どおりの書法、古めかしい台本、技巧的な歌唱に固執していたイタリア・オペラを、音楽的にも劇的にも筋のとおった統一体に脱皮させた。彼のオペラは、現在、世界じゅうでもっとも頻繁に上演されるオペラにかぞえあげられる。
ベルディのイタリア語の綴(つづ)りは「イタリア国王ビットリオ・エマヌエレ」(Vittorio Emmanuele, Re d'Italia)の頭文字と一致するため、歌劇場における「ベルディばんざい!」(Viva VERDI!)の喝采(かっさい)は一時、イタリア独立と国家統一のひそかな合言葉にもなった。統一達成後の1861年から5年間、推挙されて国会議員をつとめている。1901年、ミラノで死去。