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放送
I. プロローグ

大気中の電磁波のうち電気通信につかわれるものを電波といい、電波によって音声と映像を不特定多数の視聴者につたえることを放送という。電波の使用には限界があり、世界の電波の利用法は国際電気通信条約および同条約付属無線通信規則できめられている。

無線通信規則では世界を3地域にわけて電波を分配している。そのため各国が放送に利用できる電波の変動範囲(周波数)の数はかぎられている。また無秩序に電波をつかうと他の電波と混信するので、無線局免許の必要が生じる。多くの国では政府が放送制度を運営管理している。税収から放送を援助して、国営または公共の放送制度をとっている国々もあるが、その場合も放送機関は政府から独立した権威をもつべきだとされている。民間の放送業者に免許をあたえるだけで、放送局は広告で利益をあげている国もあり、商業局と公共援助の局の混合制度をとっている国もある。

アメリカ合衆国も日本も混合制度をとっている。日本では受信料を徴収して経営するNHKと、広告収入に依存する民間放送が併存している。NHKはほとんど政府からの資金援助をうけていないが、その経営の最高決定機関である経営委員会の委員12名は衆参両院の同意をえて、総理大臣が任命する。

アメリカでは全世帯の98%がテレビをもち、ほぼ100%の世帯がラジオをもっている。日本のテレビ所有世帯は4350万世帯(1994)、1世帯に平均2台以上のテレビがあり、100%に近い所有率をしめす。ラジオは約1億6000万台、1世帯平均約3台もっていることになる。平均的なアメリカの家庭では毎日約7時間テレビをつけている。これに対し日本は約8時間20分で、1週間のうち1日以上ラジオをきく人は全人口の62%、このうち毎日きく人は15.5%である。

ネットワークテレビのプライムタイム(最優良時間)の視聴者は膨大な数にのぼり、アメリカ大統領のテレビ演説は6000万から8000万のアメリカ人がみている。放送の広告収入はアメリカ国内だけで年に240億ドル以上にのぼるが、日本でも放送の広告費はふえつづけ、1994年にはラジオ広告費は2029億円、テレビ広告費は1兆6435億円に達した。

II. ラジオの起源と放送の始まり

ラジオ放送は有線の電気通信から発展した。この技術はアメリカのサミュエル・モースの電信の発明(1844)とベルの電話の発明(1876)を基礎にしている。1870年代にイギリスの物理学者マクスウェルが電磁波の放射の理論を展開し、88年にドイツの物理学者ヘルツは研究室でそれを証明した。

これらの研究に刺激され成長したイタリアのマルコーニは、1894年にモールス信号を約2km先までおくり、無線通信の基本技術を発明したが、イタリアの郵便通信省は実用的でないとしてとりあげなかった。イギリスにわたったマルコーニは投資家の援助をうけて97年に会社を設立し、無線電信の限界度を拡大する実験を、海上の船とおこなった。1906年のクリスマスイブに、電信信号にまじって人間の声をきいた世界じゅうの通信手はびっくりした。

ラジオを大衆聴取者への放送につかう最初の発案は、1916年にアメリカ、マルコーニ社のデービッド・サーノフによるもので、講演や音楽会などを家庭できかせようという案だったが、上役は懐疑的で棚上げになった。

ウェスティングハウス・エレクトリックの副社長ハリー・デービスは、次の大統領選挙の結果発表の時までに、強力な送信機をつくるよう技術者フランク・コンラッドにもとめた。1920年11月2日、ペンシルベニア州ピッツバーグのKDKA局は、ハーディングが大統領に当選したことを放送した。これが世界最初の正式なラジオ放送とされている。

手軽につくられる鉱石ラジオが急速に普及するいっぽう、アメリカの発明家リー・デ・フォレストによる真空管の発明が1906年にあり、ラジオの技術的基礎となった。22年にはニューヨークのWEAF(現WNBC)で、最初の商業ラジオの広告が放送され、26年には約500万世帯がラジオをもつにいたった。ラジオ・コーポレーション・オブ・アメリカ(RCA)は、アメリカ電話電信会社(AT&T)とむすんで、最初の商業ラジオ・ネットワークを設立、20年代にはラジオは新しいマス・メディア産業となった。

初期のラジオは、同じ周波数で競合するラジオ局の電波障害に直面した。混信をなくすため1927年のラジオ法で連邦ラジオ委員会(FRC)がつくられ、これを管理することになった。34年の通信法では、FRCにかわって連邦通信委員会(FCC)が設立され、電話、電信、無線通信まで監督することになった。ヨーロッパ諸国でも20年代前半にラジオ放送がはじまった。

日本では1922年(大正11)に逓信(ていしん)省通信局が無線通信法にもとづいて、ラジオを「放送用私設電話」と規定し、25年3月に社団法人東京放送局を認可、ラジオ放送がはじまった。翌26年8月、東京、大阪、名古屋の3放送局が合併、社団法人日本放送協会(NHK)が設立された。戦後、50年に無線通信法が廃止され、民間のラジオ放送局ができるまで、NHKが日本で唯一の放送事業者であった。

III. テレビの発明と放送の始まり

テレビのアイデアは1880年代の空想科学読み物にも登場する。84年にドイツの発明家P.ニプコーは、回転する円盤をつかって有線で画像を電送する技術を開発したが、実用化しなかった。1927年、P.T.ファーンスワースが精巧な光電管を開発し、以来、電子的に体系づけられたテレビ放送の基本原理が利用できるようになった。

日本でも1926年、高柳健次郎がニプコー円板と光電管をつかって、ブラウン管をもちいたテレビを成功させた。これは当時の世界でもっとも高い水準にあった。

1928年に最初のテレビドラマ「女王の使者」がニューヨークの実験用設備で放送された。30年代、RCAの社長になったサーノフは物理学者ウラジーミル・ツウォリキンにテレビカメラ改良の研究をつづけさせ、RCAはエンパイア・ステート・ビルから実験放送をおこなった。テレビは39年の世界博覧会に劇的なデビューをした。

最初のテレビ受像機の画像は白黒で、画面も13cmと小さく、数百ドルもした。1940年代初めはテレビの夜明けの時代だったが、すでに第2次世界大戦がはじまっており、産業界の関心は戦争にむいていた。

戦後、アメリカのテレビ放送は急速にのびた。そのためVHF帯(超短波、チャンネル2~13)でのテレビ放送用周波数が少なくなり、1952年にはUHF帯(極超短波、チャンネル14~83)をテレビ送信に開放した。55年にはアメリカ全世帯の67%がテレビをもち、60年には87%までになった。

日本のテレビ放送は第2次世界大戦後にはじまった。1950年従来の無線通信法が廃止され、電波三法(電波法、放送法、電波監理委員会設置法)が制定された。電波監理委員会(2年2カ月で消滅)が新たにテレビ局に免許をあたえ、53年2月NHK東京テレビ局、同年8月日本テレビ放送網が開局、本格的テレビ放送がスタートした。NHK開局時の受像機台数は866台、当時の受像機は23万~29万円(大卒初任給が約1万円)であった。しかし人々の関心は大きく、街頭テレビに大群衆がおしよせた。59年の皇太子ご成婚は、テレビの普及に拍車をかけ、59年末のNHK受信契約数は346万にふえ、民間テレビ局も38局となった。60年にカラー放送がはじまり、61~62年に全日放送体制が各局にできあがり、テレビ普及台数は62年には1000万台をこえ、普及率は48.5%となった。68年には大量のUHF局(43局)に免許がおり、69年末のテレビ普及率は90%をこえた。

IV. 放送産業の現況

アメリカ放送産業の年間収入は、1980年代後半には250億ドル近くに達した。直接この産業に雇用される人は23万をこえ、さらに広告や独立番組制作などの関連業種にこれに匹敵する人数がやとわれている。

日本の放送関連の収入はNHKが約5500億円(1992)、民放のラジオ約2500億円、同テレビ1兆6500億円(1994)で、合計すると2兆4500億円になり、アメリカに匹敵する。この産業の従事員は、NHK約1万5000人、民放ラジオ局とテレビ局で2万9000人、計4万4000人で、この数をうわまわる雇用者が、関連の広告業、番組制作会社などではたらいている。

1. 地方局

アメリカでは地方局は放送産業の核になっている。ニュースを別にすれば、地方局が自社の番組をつくることはほとんどない。地方のラジオ局は収録済みの音楽を放送し、テレビ局はまずネットワーク番組をながすほかは、再放送番組や古い映画を放送するのみである。しかし、地方局は番組の最終責任をもち、視聴者とのかかせない接点となっている。

1980年代後半、アメリカでは9000以上あるラジオ局のうちAM局(振幅変調)とFM局(周波数変調)がおよそ半々であった。約4分の1のFM局が非商業的で、地方自治体、聴取者の寄付、全国公共ラジオの共同基金からの援助をうけていた。テレビ局は1300以上あり、その半分以上はVHF局であった。商業テレビ局が全テレビ局の75%を占め、約98%の視聴者がみている。ほとんどの商業局は3大ネットワークのいずれかに加盟している。

日本でも、東京のキー局を頂点とするピラミッド型のネットワーク構造の中にあって地方局が独自に編成する枠は小さい。ある地方局の場合、1週間の放送時間のうちネットワークからの番組は71%、ローカルニュースとローカル番組をあわせても自社制作番組の比率は6.4%にすぎない。

日本の民間ラジオ局はAM局47、FM局48、短波放送1、民間テレビ局はVHF局48、UHF局65、衛星放送1となっている。NHKは5000億円の受信料収入をえて、全国をカバーする巨大メディア法人である。その電波数はラジオのAM放送2波、FM放送1波、国際放送用短波2波で、テレビではVHF2波、衛星放送2波と1社で9波を専有している。

2. 全国ネットワーク

アメリカの全国ネットワークの間でも視聴率競争ははげしい。調査会社ニールセンの視聴率上位10番組の発表がこの競争に拍車をかける。しかし、ネットワークが19時から23時までのプライムタイムに放送する番組をつくることは少なく、独立制作会社から番組を買い、競争上最大の効果を発揮するように編成するのである。

NBC、CBS、ABCの3大ネットワークは企業本部をニューヨークに、主要都市に自社所有局をおいている。テレビ・ネットワークはラジオ・ネットワークからでてきたもので、NBCはRCAの1部門である。なお、RCAは1986年にゼネラル・エレクトリック社に買収されている。

CBSはもとは小さなラジオ・ネットワークだったが、1929年にウィリアム・S.ペイリーに買われ、彼の経営手腕によってレコード、楽器、出版にまで事業範囲が拡張された。CBSは95年、ウェスティングハウス・エレクトリック社により54億ドルで買収された。

3大ネットワークの中でもっとも新しいABCは、1943年、最高裁判所の命令でNBCのもつ2つのラジオ・ネットワークのうち1つを売却することになり、これを買いとった製菓業者エドワード・J.ノーブルがABCと名づけたものである。ABCは30年間以上、最低の視聴率と最少の加盟局しかもっていなかったが、70年代後半には視聴率第1位に躍進し、映画館、録音録画会社、出版社をかかえる大企業となった。しかし95年には、ウォルト・ディズニーにより190億ドルで買収された。

第4のネットワークのフォックス放送会社は、オーストラリア生まれのメディア王ルパート・マードックの所有で、1980年代後半にはヤングアダルトにかなり食いこんでいる。

第5のネットワークは教育放送から生まれた。1967年に教育放送局を結合してPBS(公共放送サービス)が設立され、公共放送協会の共同資金をつかって全国向け番組制作を開始した。初期には教育番組を放送し、「セサミストリート」などの子供番組などをつくったが、最近では、ドラマや長時間のバラエティまで放送するようになった。

日本におけるネットワークは、1956年、大阪テレビと中部日本放送が開局に際し、先発局の日本テレビ、ラジオ東京と協定をむすんだのが始まりである。日本の場合はアメリカのようにネットワーク会社を設立することはなく、ネットワーク協定でむすばれた法人格をもたない任意の結合グループといえる。

本格的なテレビ・ネットワークの形成は、1958年から59年にかけてVHF局が大量(33局)に開局した直後である。ニュースに関するネットワークにはじまり、59年に東京放送(TBS)系がJNN(ジャパン・ニュース・ネットワーク)を結成、日本テレビ系がNNN(ニッポン・ニュース・ネットワーク)を形成した。さらに66年、フジテレビ系のFNN(フジ・ニュース・ネットワーク)、70年にテレビ朝日系ANN(オールニッポン・ニュース・ネットワーク)が発足した。ネットワークは4系列となったが、受け手の地方局は1県1局という状況であった。郵政省(現、総務省)は68年に、UHFの大量(43局)免許にふみきり、ネットワークの系列化がいっそうすすんだ。同時に、各系列はニュース協定にくわえ、基本協定から番組と営業に関する業務協定をむすび、ネットワーク体制を完成した。

ラジオ・ネットワークの形成は日本ではテレビよりもおくれた。テレビの出現によってお茶の間の娯楽の主役の座をおわれたラジオは、1965年切り札としてラジオ・ネットワークの結成に着手し、東京放送をキー局とするJRN(ジャパン・ラジオ・ネットワーク)と文化放送とニッポン放送をキー局とするNRN(ナショナル・ラジオ・ネットワーク)を発足させた。

V. 放送に対する規制

アメリカの放送政策は1934年の通信法にもとづいている。連邦通信委員会(FCC)の免許によって私的所有の放送局の設立がみとめられるが、一方で放送局は公共の受託者として、公共の利益と便宜と必要とにつくすことが義務づけられており、憲法第1条修正条項に違反する行為を禁止し、FCCによる放送内容の検閲をさだめている。

日本の放送制度は電波法と放送法によって枠組みがつくられている。電波法は放送局をふくむ無線局の免許や無線施設の運用に関する技術的基準などを規定し、放送法はNHKの目的、経営、運営、NHKと民放の番組のあり方を規定している。放送法は放送番組の編集の自由を保障しているが、同時に番組編集準則などをもうけ、番組編集について規制している。

1. 放送行政機関

FCCは独立した政府機関で、大統領が指名した任期7年のメンバー7名で構成され、最近はケーブルテレビと通信衛星の管理がその責任範囲にくわえられた。

日本の放送行政の所管官庁は総務省で、放送行政局および各地方電気通信監理局、電波監理、電気通信技術の両審議会などが放送に直接に関係する。放送免許にかかわるのは電波監理審議会で、衆参両議院の同意をえて郵政大臣が任命する5名の委員で組織され、省令の制定および改廃、放送局をふくむ無線局の免許および取り消しなど、電波および放送の規律に関する事項を調査審議し、総務大臣に対し必要な勧告をおこなう。また電波法、放送法、有線テレビ放送法などにもとづく総務大臣の処分に対する不服の申し立てについて審査および議決をおこなうことになっている。

1.A. 公正の原則

FCCは放送業者に対して、論争中の公共問題の討論に時間をさくことを義務づけ、反対意見にも妥当な発表の機会をあたえることを要求した。これは1949年につくられた「公正の原則」にもとづくもので、放送局の論説者を勇気づけ、論争を活発にしたが、言論と出版の自由を保障する憲法第1条修正条項に違反するという反対が根強く、87年、FCCはこの原則を廃止した。

日本には「公正の原則」のようなルールはないが、放送法第1条2項で放送の不偏不党、真実および自律の保障、表現の自由の確保を明記している。また放送法第3条2項で、放送番組の編集は政治的に公平であること、報道は事実をまげないこと、意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすることなどをもとめている。

1.B. 同等時間規定

アメリカには、公職選挙の候補者に局の施設をつかわせた場合、要求されれば対立候補にも同等の機会をあたえなければならないとする同等時間規定(1934)がある。また政治広告の時間と使用料は候補者の間で同等でなければならない。ただし取材の自由を制限しないため、真正なニュース放送、定時の真正なインタビュー番組などは除外されると規定している。

日本では公職選挙法により選挙活動に放送を使用することが禁止されているので、同等時間規定はない。政見放送は別である。

2. 放送規制と規制緩和

FCCに対しては、委員に業界出身者が多く、企業の利益を優先させているという批判や、ケーブルテレビ産業の成長がおさえられているという批判もある。1980年代のアメリカでは、規制緩和の傾向にあり、一方で市場の競争による利益は番組多様化の動機にはならないとして規制緩和反対の意見もあったが、政府は80年代の半ばまでに規制のいくつかを解除した。FCCは一社で所有できる放送局数をふやし、テレビコマーシャルは1時間につき16分という制限を解除した。

日本の電波法と放送法では、放送局の免許の規制条件を次のようにさだめている。(1)種目別の普及の目標として、テレビ局は教育番組を10%以上、教養番組を20%以上放送しなければならない。(2)マス・メディアの集中排除について、同じ者による複数の放送局の支配と、同じ者によるマス・メディア3事業(テレビ、ラジオ、新聞)の支配を原則として禁止する。(3)民放の地域立脚、である。

旧郵政省は放送局の免許の有効期間を3年から5年にし、通信衛星をつかった放送をみとめるなど、少しずつ規制緩和の方向にうごいている。

日本の放送法にはテレビ局のコマーシャル量を規制する条文はないが、日本民間放送連盟(民放連)の放送基準の第18章で、ラジオ、テレビの広告時間基準をもうけている。テレビコマーシャル量は週間総放送時間の18%以内、プライムタイムでは放送番組ごと10%以内の時間にすることになっている。

VI. 番組制作

アメリカではふつう、放送前にだされる予想視聴率で広告時間が売買される。そのため、どんな番組が大衆の人気をとるか予想する技量によって放送事業者の収入がきまってくる。

日本でも近年では、スポット広告の価格は視聴率に直接比例してきめられる。番組の視聴率が極端に下落するとスポンサーは提供を中止することもある。主要都市地域では毎朝前日の視聴率が調査会社からおくられ、局の担当者は大衆の関心の高いものに注目し、それをとりいれて番組をつくるので、各放送局の番組は似たものが多くなる。

1. 初期の商業ラジオ

研究者はアメリカの放送番組制作を4段階にわけている。第1段階は1920年代の商業ラジオの登場である。前例も経験もないので、放送事業家はどんな番組を人々がききたいのかわからなかった。初期のラジオ放送は品よく、かたくるしいもので、クラシック音楽やセミ・クラシック音楽、歴史ドラマなどを中心に放送した。コマーシャルは簡潔で控えめであった。

日本では終戦直後、GHQや政府に、民間のラジオは必要ないという意見があったが、結局1950年、NHKの民主的改組と民放の設立をもりこんだ電波三法が制定された。民放ラジオは初年度から好調な滑り出しをみせ、早々に黒字になった局が多かった。初期の民放ラジオは、NHKに対抗したオールラウンド編成で、ドラマ、クイズ、演芸、歌謡曲など大衆的娯楽番組をならべていた。

2. ラジオの黄金時代

アメリカのラジオの隆盛は1928年にはじまった。番組制作の第2段階はラジオの黄金時代で、アクション冒険物と芸人による寄席演芸風のコメディがラジオにあふれた。

1930年にはクロスレー聴取率会社が設立され、聴取率競争が進行しつつあった。大恐慌による経済停滞から第2次世界大戦へと社会情勢が緊迫化していく中、ラジオはいぜん好調で、人々は夜は家庭でラジオの娯楽番組や冒険物語にくつろぎ、戦争と恐慌の時代の緊張から解放された。

日本では1950年の朝鮮戦争による好況とスーパー受信機の普及により、ラジオの成長がつづいた。庶民感覚の娯楽番組、地元密着の情報番組、在野ジャーナリズムにたったニュース報道番組など、民放ラジオは聴取者に好感をもってうけいれられた。一方、NHKもこれに対抗して「とんち教室」「20の扉」「陽気な喫茶店」「夢声百話」「社会の窓」など強力な娯楽情報番組をそろえ、大衆路線をひろげた。

その中から「君の名は」の大ヒットが生まれた。民放とNHKとの競争は、結果的にはラジオをきく習慣を日常化した。1953年5月にはじまった「聴取率調査」では、高聴取率番組はNHKに多かったが、54~55年には、全日聴取率でラジオ東京がNHKをぬくまでになった。

朝鮮戦争がおわった1953年がテレビ放送の始まりだった。53年のラジオ広告費45億円、テレビ1億円、ラジオはテレビの出現を前にして全盛期であった。

3. 初期のテレビ放送

1945年から50年代の初めまでがアメリカの番組制作の第3段階で、この時期テレビは爆発的な成長をとげた。初期のテレビは「絵付きラジオ」とみなされ、ラジオから経験者がひきぬかれ、多くの芸人が番組ごとテレビにうつった。

この時期、ラジオは居間から寝室、浴室、車へと場所をかえ、放送内容はポピュラー音楽とディスクジョッキー形式へ方向転換した。ネットワークは存在価値をうしない、地域向けのメディアとなった。1960年代には、FM局の高性能(ハイファイ)ステレオ放送が関心をよび、FMラジオは大いにのびた。

日本でも初期のテレビは多くを先行メディアの手法に依存した。ラジオ人気番組の共用、新聞取材システムや映画ニュースの表現スタイルにならったニュース報道など、種々の先行メディアのソフトを「借り着」してスタートした。

テレビの成長を警戒する映画会社は、1953年、テレビに作品を供給しないという5社協定をむすび、映画スターはテレビ出演ができなかった。テレビは歌舞伎・新派・新劇の俳優、落語家などにたよらざるをえなかった。

テレビのお茶の間進出に対し、ラジオはテレビの未開拓ゾーンである朝・昼・深夜の時間帯に活路をもとめた。1955年に登場したトランジスターラジオは、個人聴取を促進し、これにあわせてラジオは音楽・ニュース・おしゃべりで構成するワイド番組を登場させた。ラジオ東京が57年に開始した「東京ダイヤル」はその代表的番組のひとつである。

1969年「NHKFM」につづき、「FM愛知」が開局、70年には大阪、東京、福岡にFM局が開局し、その収入は75年にはスタート時の4倍になった。

4. テレビの黄金時代

アメリカのテレビの黄金時代である第4段階には、テレビメディアに順応する、新しいスターと番組があらわれはじめた。シチュエーション喜劇「アイ・ラブ・ルーシー」に主演したルシール・ボールとデジ・アルナーズはその典型である。この時期バラエティショーがもっとも人気のある番組で、なかでもエド・サリバン司会の「街の有名人」(日本の放送タイトルは「エド・サリバン・ショー」)は数百万の人々がかならずみる番組となった。サリバンはプレスリーやビートルズのような大衆的人気のあるスターを紹介し、長寿番組にした。もうひとつの主要番組は西部劇で、「ガンスモーク」などは長く放送された。

1950年代の後半にはアクション冒険番組が主要人気番組となった。60年代のテレビ・ネットワークは映画を再編集して放送することを呼び物とし、それにテレビ向けの2時間ドラマとがプライムタイムの主要部分を占めた。

日本では放送設備の改良と演出技術の向上により、テレビ固有の番組制作手法や、テレビ的表現の開拓の動きが、ニュース、ドキュメンタリー、ドラマなどの分野ではじまった。図版や文字パターンを活用した「見せるニュース」手法や、NHKの「日本の素顔」に代表されるドキュメンタリー手法の開拓などである。芸術祭賞をとったラジオ東京(現TBS)のドラマ「私は貝になりたい」(1958)は、導入されたばかりのVTRを利用、生放送とくみあわせて陰影にとんだ映像をつくった。5社協定のため日本映画がつかえなかったので、その対策としてアメリカ製テレビドラマが導入され、1956年にラジオ東京が放送した「カウボーイGメン」を皮切りに、続々とアメリカ物が登場した。「アイ・ラブ・ルーシー」「アンタッチャブル」「ペリイ・メイスン」「ガンスモーク」「サンセット77」などである。

日本のテレビは1960年にカラー放送をはじめ、61~62年に全日放送を編成、63年には衛星中継実験に成功するなどその媒体価値を向上していった。

VII. テレビ制作会社

アメリカのテレビ番組のほとんどがハリウッドの主要スタジオでつくられる。ハリウッドのプロデューサーたちは毎年、ニューヨークのネットワークの重役に新しいテレビ連続物を提案するが、その多くは却下され、大当たりしている俳優かプロデューサーが関係する少数のプランだけがのこり、第2段階の台本書きへすすむ。ネットワークは台本を検討し、パイロット番組になりそうな少数のものにさらにしぼる。この作品を試しに放送し、高視聴率をとると通常の番組編成にだす。標準的な30分番組の制作費は数10万ドルになる。再放送しないかぎり、費用をカバーし、制作者とネットワークに利益をもたらすことはない。

アメリカにくらべ、日本の制作プロダクションの歴史は浅い。1970年、在京局は経営の合理化にせまられ、番組の外注、制作部門の切り離し(子会社化)をおこなった。東京放送(TBS)のバックアップで木下恵介プロ、テレパック、テレビマンユニオンが設立され、フジテレビは制作部門を系列プロダクションとし、テレビ朝日は報道部門を切りはなした。局系プロダクションからスタートしたテレビ制作会社も、70年代から80年代にかけて続々と設立された。82年には全日本テレビ番組製作社連盟(ATP)が結成され、96年1月現在、加盟社は53社ある。

近年はテレビ局のプロダクションへの依存度がふえ、プロダクション全体のゴールデンタイムの番組制作および制作協力枠は70%をこえている。番組制作費はドラマの60分物で2000万~4000万円、人気俳優を主役に起用すると7000万~8000万円にもなる。1986年の労働者派遣法により、人材派遣会社が放送局や制作会社に演出・技術関係の人材を派遣できるようになった。放送関係の人材派遣会社は社団法人全国放送関連派遣事業協会を結成した。会員は96年現在151社。

VIII. 視聴時間

標準的アメリカ人のテレビ視聴時間は1日平均で約4時間だが、主婦と高齢者がもっとも視聴時間が長く、10代は平均より約1時間少ない。

日本では1人当たりの視聴時間は1日平均4時間15分である。もっとも長いのは50歳以上の女性で6時間31分、もっとも少ない層は13歳~19歳で、2時間40分である。4~12歳の子供は3時間5分で、平均より1時間10分少ない。

1. 視聴率

アメリカのニールセンのような市場調査会社は、調査にピープルメーターという装置をつかっている。この機械は4000以上の任意抽出の家庭におかれ、調査会社と回線でむすばれ、何台のテレビがついているか、どのチャンネルをだれがみているか測定できる。また数千の世帯にテレビ日記をつけさせ、だれが番組をみたか測定する。手法がただしければ、全国視聴率を数パーセント以内の誤差で予測できるという。

2種類の視聴率が発表されている。ひとつは世帯視聴率で、特定の番組にチャンネルをあわせている世帯数とテレビ所有世帯数との比率をみる。もうひとつは視聴占有率で、特定の番組をえらんでいる世帯数が、その時間にテレビをつけている世帯数に占める比率をみる。

日本では1960年にアメリカのニールセンが進出、ついで62年にはビデオリサーチが発足、ともに機械式視聴率調査をスタートさせた(その後ニールセンは視聴率調査からは撤退)。ピープルメーターはビデオリサーチが97年に関東地区で、2001年には関西地区で導入、未導入の地区をふくめ、世帯視聴率、視聴占有率のほか、番組平均視聴率、CM平均視聴率、性・年齢別視聴率、視聴者構成比など多くのデータを出している。

2. 視聴者の番組注目率と想起

視聴者の多くは、きまった時間のきまった番組をみたくてテレビをつけるのではない。むしろ、おもしろそうな番組をみつけるためにチャンネルをかえるのである。

アメリカでおこなわれた、脳波などによる研究の結果によると、テレビ画像はめったに精神集中の焦点にならず、視聴者はくつろぎと無抵抗の状態におちいっている。カメラによる家庭の視聴者調査によると、視聴時間の3分の1は、視聴者の注目は他の事柄にもむけられ、注目率は映画がもっとも長く、視聴時間の76%、ニュースとコマーシャルがもっとも短く、55%である。4人の視聴者のうちの1人は、家事、会話、読書などをしながらみる「ながら族」である。ニュースの想起の調査では、気まぐれ視聴が標準であると結論されている。標準的なニュースで19の話題をみた視聴者が、深夜までおぼえていたのはたった1つであった。しかし、これは視聴者がテレビから情報をえていないということにはならない。積み重ねによって獲得されていくという知識の性質を過小評価すべきではない。

日本にはコマーシャルの認知と記憶に関する調査はいくつかあるが、番組そのものの注目と想起に関する調査はアメリカほど多くなく、多彩でもない。1990年から5年にわたるNHKの調査は、番組選択の動機と番組内容の記憶と評価を調査している。それによると、時の経過とともに番組内容の記憶は低下するが、番組の満足度はほとんど変化しないという。

3. 視聴者の意見

テレビは昔ほどおもしろくなくなったという世論調査がある。しかしアメリカ家庭の一日の視聴率はテレビ登場以来ふえてきているし、レジャーの中でテレビはかわらぬ人気をもっている。

コマーシャルは視聴者の批判の的になっている。アメリカの研究では、調査対象者の43%がコマーシャルは下品だといい、48%がコマーシャルのないテレビをもとめ、30%の人は少額なら非商業テレビのために寄付してもいいといっている。

日本の視聴者の意見は各テレビ局の調査結果でわかる。NHKの「テレビに対する興味の変化に関する調査」では、以前よりも興味をひかれる人20%、以前も今も同じように興味のある人34%、以前より興味をひかれなくなった人28%、以前も今もあまり興味がない人14%となっている。

コマーシャルに対する意見として、「テレビCMは新製品を知るうえで役だつ」とするもの65%、「テレビCMはおもしろい」53%、「テレビCMは邪魔だ」は19%というフジ系列合同調査がある。日本はアメリカほどコマーシャルに対する抵抗感がない。

IX. テレビに対する社会的批判

テレビは世界の出来事を知り、別の世界を理解するのに強い影響力をもついっぽう、現実の姿をゆがめていると批判される。その批判は、暴力表現、人種と性のステレオタイプの表現、商業主義の3つの問題にしぼられる。

1. 暴力表現

テレビの暴力表現について、子供たちが暴力を争いの唯一の解決手段としてまなぶという批判がある。攻撃的行動をみた子供と非暴力的番組をみた子供の遊び方を比較したとき、暴力表現をみたグループに攻撃的遊び方がめだつという報告もある。しかし別の調査では、テレビの暴力表現が視聴者の緊張をときほぐすというカタルシス効果をもつと主張している。子供時代にみたテレビ番組が人格形成におよぼす影響を評価するのはむずかしい。反社会的行動とテレビの暴力表現の関連性は最終結論がでていない。

言論と出版の自由に関するアメリカの長年の伝統からして、テレビの暴力描写を政府が直接制限したり、検閲することはないであろう。しかしテレビ界が自主的に暴力表現のガイドラインを策定するようもとめた「1990年テレビ暴力規制法」が制定され、これにこたえて3大ネットワークが自主ガイドラインを発表した。同時に「1990年子供番組規制法」が制定され、子供の教育と情報のニーズにこたえる番組提供を放送局に対してもとめた。これをきっかけにして1993年、上下院に「テレビ暴力シーン規制法案」が提出された。イギリスでも静かにテレビの暴力描写の規制がすすんでいる。政府によって設立された放送基準審議会が番組コードをつくり、これが暴力描写のガイドラインとなっている。

暴力表現の規制は国によってさまざまで、マレーシアでは暴力番組の放送と購入が禁止されている。カナダ、オーストラリア、ドイツでは、原則としてテレビ業界の自主規制にまかせている。チリやニュージーランドでは、子供に不適切なものと、家族といっしょにみてよいものとを画面に表示している。

日本では諸外国ほど暴力表現の問題がとりあげられず、規制の論議もおこっていない。テレビ業界の自主規制としては、民放連の放送基準第9章があり、たとえば暴力行為は、その目的いかんを問わず否定的にとりあつかい、表現は最小限にとどめるなどの規定がある。

2. 人種と性のステレオタイプの表現

性と人種のステレオタイプの取り扱い方もアメリカでは関心をよんでいる。黒人は長い間、テレビドラマの中で不当に低く表現され、指導的立場や成功する役柄を演じることはめったになかった。女性はもっぱら主婦と母親の役を演じた。1970年代、テレビに登場する女性と黒人の役は大いに向上した。しかし、これが現実のアメリカ社会を反映しているのか、またテレビがこの問題に大衆の関心をあつめる役割をはたしているのかは疑問がのこる。日本では差別に関する規定は、「人種・性別・職業・境遇・信条などによって取り扱いを差別しない」と民放連の放送基準第1章5項にあるだけだが、各局に取り扱いについての内規があり、自己規制をしている。

3. 商業主義

テレビが商業主義と資源の過剰消費に力をかしていることも批判されている。ラジオの初期、人々は空中波を利用する広告は禁止すべきだと信じていた。オランダではこの信念がなお強く、広告は放送されていない。しかし、アメリカ市民は放送番組の中にコマーシャルがはいるのを当然のこととうけとめているが、一方では宣伝を巧妙におこなうテレビ広告とその競争的商業主義に批判の声もある。

X. 世界の放送状況

1970年代と80年代の初め、放送は世界的規模で劇的に発達した。すべての産業国家は大規模な国内向けラジオとテレビ設備をもち、その多くは短波ラジオの国際放送をおこなっている。発展途上国ではラジオとテレビの放送制度をつくっているか、計画中である。今日、ほとんどすべての国がテレビ放送を実施している。世界には7億3500万台以上のテレビがあり、その80%はヨーロッパ、北アメリカ、日本に集中している。多くの発展途上国ではテレビは大都市地域にかぎられている。

ラジオ放送は実質上、世界の全域でおこなわれている。国連教育科学文化機構(UNESCO)の調べでは、世界のラジオ台数は16億台以上、3人に1台の割になるが、ラジオ受信機の4分の3はヨーロッパと北アメリカの工業国に集中している。

最近の技術進歩にともない、地上波の放送のほかに、CATVや衛星による番組サービスが盛んになった。CATVはケーブルの広帯域性を生かした多チャンネルサービスにもちいられ、地上波のテレビとはことなる番組が多数登場している。

衛星は直接衛星放送とCATVへの番組配給に利用されている。とくにアメリカでは衛星を利用したCATV向けサービスの普及で、1980年以降CATVの加入世帯が急速に増加した。西ヨーロッパの一部も同様である。いっぽう、80年代後半以降、衛星放送が本格的におこなわれるようになった。

1. 番組貿易

テレビ番組の国際取り引きは急増している。アメリカは毎年、数十万時間のテレビ番組を輸出している。番組の価格は国によって大きく変化し、小さな発展途上国ではたった50ドルのものが、ヨーロッパの主要放送会社では5000ドル以上する。全番組の75%も輸入している国では、文化と言語の発達を阻害すると問題になり、番組の輸入に厳格な制限をもうけている国もある。フランスは輸入枠を50%としている。

1993年の日本の輸入番組は2843時間、全放送時間の5.2%で、この比率は20年間ほとんどかわっていない。輸入先はアメリカがもっとも多く、全体の73%を占める。番組の種類ではドラマ・映画が多く、65%を占める。

いっぽう、輸出番組は2万2324時間で、輸入番組の8倍にあたり、1980年にくらべ4.8倍という伸びをしめしている。輸出先はアメリカが1位、以下スペイン、香港、タイとつづく。番組の種類では、アニメが断然多く58%を占める。海外で爆発的人気をよんだ「おしん」はアジアや東欧など43カ国に輸出されている。

XI. 放送の未来

1980年代にコミュニケーションの技術は大きく変化したが、その動向は90年代になってさらにはげしい。ビデオ録画の技術革新とCATVの改良によって、番組の多様化がすすみ、視聴者の選択の幅がひろがった。

1990年代の初め、アメリカの約62%の世帯がCATVとむすばれていた。CATVは30チャンネルをこえる多様で専門的な番組を家庭に提供する。

ビデオカセット録画機(VCRs)で番組を録画することができるようになって、ビデオ市場の競争ははげしくなった。ビデオディスク再生機もつかえるようになった。それはVCRsよりも低価格で、収録ずみディスクの価格はビデオテープの3分の1である。

映画のビデオテープは、販売用やレンタル用としてひろく流通し、視聴者は局や衛星からの番組を録画することができる。このような録画機の使用に、放送業者から法的異議がでた。アメリカ最高裁は1984年、非営利目的のVCRsの家庭内使用は著作権侵害にあたらないと裁定した。84年には、VCRsを所有する世帯は10%であったが、93年には約77%に達した。

テレビ通信の新しい要因はコンピューターである。同軸ケーブル、光ファイバーケーブル(光ファイバー)などによって、家庭のコンピューター端末と情報や娯楽を発信する中央施設との間で双方向通信ができるようになった。

日本のニューメディアの未来は、アメリカとは多少ちがった道をすすむかもしれない。日本のCATVの普及率はアメリカの10分の1ぐらいで、受信世帯は700万ぐらいだが、このうち多チャンネルを受信できる都市型CATVは200万強である。通信衛星からCATVに番組を供給する「スペースケーブルネット」が総務省主導ですすめられ、2001年にはスペースケーブルネット加入は1323万世帯、普及率は41%、市場規模は1兆7000億円と予想されている。

世界の中で日本がすすんでいるのは衛星放送である。現在、放送衛星BS-3をつかって、NHKの2チャンネルと民間のJSB(WOWOWテレビ)が放送している。1994年の衛星受信世帯は810万で、このうちNHKと受信契約をしているのは72%、JSBとの契約は18%である。97年には次のBS-4がうちあげられ、8チャンネルが利用可能になるが、これをどのようにつかいわけるか、まだきまっていない。通信衛星からも直接家庭への送信ができる。97年中に民間衛星放送がいくつできるかはっきりしないが、有料テレビにすれば、JSBのようなくるしい経営状態も予想される。いっぽう、これを広告放送にすれば、地上波の全国ネットワークと正面衝突になる。いかに強力ですぐれた番組ソフトをもつかが競争にかちのこるカギになるであろう。

ビデオパッケージの分野は好調にのびている。日本のVTRの普及率は1990年の66.8%から95年には82%に増加した。ビデオディスクも低価格化がすすみ、VDプレーヤーの世帯普及率は10%に近い。ソフト市場の拡大も順調で、90年のビデオカセット販売とレンタルの売り上げは2711万本、1513億円、ビデオディスクの販売は2640万枚、1356億円であった。

私的録音録画に関して、日本ではアメリカとはちがった解決をみている。日本では私的録音録画に関する報酬請求権制度が制定され、録音録画機器とテープの販売時に一定の料金を徴収し、権利者にわけることにした。

放送のニューメディアには、テレビ文字多重放送、FM多重放送、ファクシミリ多重放送などがあり、ISDN(総合デジタルサービス網)のような国をあげてのマルチメディア構想もある。いずれにしろ、ニューメディアを完成させるまでには膨大な投資と時間を要するが、1990年代後半から2000年にむけて、はげしい競争と急速な技術変化の時代に突入することは明白である。

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