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| IX. | テレビに対する社会的批判 |
テレビは世界の出来事を知り、別の世界を理解するのに強い影響力をもついっぽう、現実の姿をゆがめていると批判される。その批判は、暴力表現、人種と性のステレオタイプの表現、商業主義の3つの問題にしぼられる。
| 1. | 暴力表現 |
テレビの暴力表現について、子供たちが暴力を争いの唯一の解決手段としてまなぶという批判がある。攻撃的行動をみた子供と非暴力的番組をみた子供の遊び方を比較したとき、暴力表現をみたグループに攻撃的遊び方がめだつという報告もある。しかし別の調査では、テレビの暴力表現が視聴者の緊張をときほぐすというカタルシス効果をもつと主張している。子供時代にみたテレビ番組が人格形成におよぼす影響を評価するのはむずかしい。反社会的行動とテレビの暴力表現の関連性は最終結論がでていない。
言論と出版の自由に関するアメリカの長年の伝統からして、テレビの暴力描写を政府が直接制限したり、検閲することはないであろう。しかしテレビ界が自主的に暴力表現のガイドラインを策定するようもとめた「1990年テレビ暴力規制法」が制定され、これにこたえて3大ネットワークが自主ガイドラインを発表した。同時に「1990年子供番組規制法」が制定され、子供の教育と情報のニーズにこたえる番組提供を放送局に対してもとめた。これをきっかけにして1993年、上下院に「テレビ暴力シーン規制法案」が提出された。イギリスでも静かにテレビの暴力描写の規制がすすんでいる。政府によって設立された放送基準審議会が番組コードをつくり、これが暴力描写のガイドラインとなっている。
暴力表現の規制は国によってさまざまで、マレーシアでは暴力番組の放送と購入が禁止されている。カナダ、オーストラリア、ドイツでは、原則としてテレビ業界の自主規制にまかせている。チリやニュージーランドでは、子供に不適切なものと、家族といっしょにみてよいものとを画面に表示している。
日本では諸外国ほど暴力表現の問題がとりあげられず、規制の論議もおこっていない。テレビ業界の自主規制としては、民放連の放送基準第9章があり、たとえば暴力行為は、その目的いかんを問わず否定的にとりあつかい、表現は最小限にとどめるなどの規定がある。
| 2. | 人種と性のステレオタイプの表現 |
性と人種のステレオタイプの取り扱い方もアメリカでは関心をよんでいる。黒人は長い間、テレビドラマの中で不当に低く表現され、指導的立場や成功する役柄を演じることはめったになかった。女性はもっぱら主婦と母親の役を演じた。1970年代、テレビに登場する女性と黒人の役は大いに向上した。しかし、これが現実のアメリカ社会を反映しているのか、またテレビがこの問題に大衆の関心をあつめる役割をはたしているのかは疑問がのこる。日本では差別に関する規定は、「人種・性別・職業・境遇・信条などによって取り扱いを差別しない」と民放連の放送基準第1章5項にあるだけだが、各局に取り扱いについての内規があり、自己規制をしている。
| 3. | 商業主義 |
テレビが商業主義と資源の過剰消費に力をかしていることも批判されている。ラジオの初期、人々は空中波を利用する広告は禁止すべきだと信じていた。オランダではこの信念がなお強く、広告は放送されていない。しかし、アメリカ市民は放送番組の中にコマーシャルがはいるのを当然のこととうけとめているが、一方では宣伝を巧妙におこなうテレビ広告とその競争的商業主義に批判の声もある。