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| III. | テレビの発明と放送の始まり |
テレビのアイデアは1880年代の空想科学読み物にも登場する。84年にドイツの発明家P.ニプコーは、回転する円盤をつかって有線で画像を電送する技術を開発したが、実用化しなかった。1927年、P.T.ファーンスワースが精巧な光電管を開発し、以来、電子的に体系づけられたテレビ放送の基本原理が利用できるようになった。
日本でも1926年、高柳健次郎がニプコー円板と光電管をつかって、ブラウン管をもちいたテレビを成功させた。これは当時の世界でもっとも高い水準にあった。
1928年に最初のテレビドラマ「女王の使者」がニューヨークの実験用設備で放送された。30年代、RCAの社長になったサーノフは物理学者ウラジーミル・ツウォリキンにテレビカメラ改良の研究をつづけさせ、RCAはエンパイア・ステート・ビルから実験放送をおこなった。テレビは39年の世界博覧会に劇的なデビューをした。
最初のテレビ受像機の画像は白黒で、画面も13cmと小さく、数百ドルもした。1940年代初めはテレビの夜明けの時代だったが、すでに第2次世界大戦がはじまっており、産業界の関心は戦争にむいていた。
戦後、アメリカのテレビ放送は急速にのびた。そのためVHF帯(超短波、チャンネル2~13)でのテレビ放送用周波数が少なくなり、1952年にはUHF帯(極超短波、チャンネル14~83)をテレビ送信に開放した。55年にはアメリカ全世帯の67%がテレビをもち、60年には87%までになった。
日本のテレビ放送は第2次世界大戦後にはじまった。1950年従来の無線通信法が廃止され、電波三法(電波法、放送法、電波監理委員会設置法)が制定された。電波監理委員会(2年2カ月で消滅)が新たにテレビ局に免許をあたえ、53年2月NHK東京テレビ局、同年8月日本テレビ放送網が開局、本格的テレビ放送がスタートした。NHK開局時の受像機台数は866台、当時の受像機は23万~29万円(大卒初任給が約1万円)であった。しかし人々の関心は大きく、街頭テレビに大群衆がおしよせた。59年の皇太子ご成婚は、テレビの普及に拍車をかけ、59年末のNHK受信契約数は346万にふえ、民間テレビ局も38局となった。60年にカラー放送がはじまり、61~62年に全日放送体制が各局にできあがり、テレビ普及台数は62年には1000万台をこえ、普及率は48.5%となった。68年には大量のUHF局(43局)に免許がおり、69年末のテレビ普及率は90%をこえた。