| 検索ビュー | 人類の進化 | 項目ビュー |
| I. | プロローグ |
人類の進化とは、すべての現代人が属す種である新人(ホモ・サピエンス)が出現する経緯と、人類の文化発展の道筋のことである。これまでに数多くの古人類化石(→ 化石人類)が、世界各地で発見されてきた。遺跡からは石器、骨角器や炉跡、墓なども発掘されている。これらの資料を総合的に解釈することにより、現在では過去600万年にわたる人類進化の大筋が明らかにされつつある。
ただしわれわれは、過去の歴史のすべてを知ることができるほど、多数の証拠を手にできるわけではない。骨や考古遺物がうまく土にうもれて保存され、現代に発見される確率は低い。このような断片的証拠から過去を復元している面があるため、たとえば「ある人類のグループがいつ出現し、何の原因によっていつ姿をけしたか」などといった問いに正確に答えることはきわめてむずかしい。この分野では、研究者間で証拠の解釈がくいちがうこともめずらしくなく、論争がたえない。それでも遺跡の発掘による証拠の蓄積と、それらの分析をつづけることによって、人類進化に関する理解は着実にすすんでいる。
人類は、哺乳類の中の霊長目に分類される(→ 霊長類)。人類とは、現代人だけでなく、過去に存在したわれわれの祖先グループもふくむ概念である。伝統的な分類では、過去・現在の人類に属する生物種全体を1つの科としてまとめ、ヒト科とよぶ。この場合、アフリカの類人猿であるチンパンジー、ボノボ(→チンパンジーの「ボノボ」)、ゴリラは、ショウジョウ科として人類とはことなる科に位置づける。しかし最近、遺伝子のうえで両者が予想以上に類似することが判明し、かつ進化の歴史の中でゴリラの系統が分岐したあとにチンパンジー・ボノボの系統とヒトの系統が枝わかれしたことがわかると、こうした系統関係を反映するよう、分類を再整理すべきであるという意見も出てきた。
この場合、大型類人猿と人類をまとめてヒト科とする。そしてヒト・チンパンジー・ボノボをヒト亜科としてまとめ、さらにヒトの系統だけをさししめすには、その下位の族というレベルでヒト族とする。つまり新しく提唱されている分類では、ヒトのグループを、旧来の科レベルから族レベルに格下げする。どちらの分類を採用すべきかについては、専門家の間でも意見がわかれている。
| II. | 人類の形質上の特徴 |
| 1. | 直立二足歩行 |
ヒトの最大の身体的特徴のひとつは、習慣的に直立二足歩行をおこなう点にある。これまでの研究から、この特徴は、脳サイズの増大や突顎(とつがく:顎(あご)が前方へ突出する、サルとの共通特徴)の減少など、いくつかの重要なヒトの特徴の中でも、もっとも初期にあらわれ、かつ他の身体特徴の進化に影響した、鍵(かぎ)となる形質であったことがわかってきた。この直立二足歩行は、脊柱・骨盤・下肢などの骨格形態を変化させるとともに、脳を下方から支持することによってそのサイズ増大への道を開いたし、手を運動支持機能から解放し、モノの操作に特化させた。さらに乾燥化と森林の減少がすすむ中で、地上生活への適応を可能にし、人類がその後の繁栄をとげる下地をつくった。
| 2. | 脳容量と体の大きさ |
ヒトは状況判断にすぐれ、1歩先の事態の成り行きを予知し、創意工夫にとみ、言語を介して複雑な意思疎通をおこなう。他の生物といちじるしくかけはなれたこうした能力は、最終的には今日の発達した技術文化を生み、さらに地球上の多様な環境への適応を可能にした。こうしたヒトの能力は、おもに発達した脳に由来している。脳の大きさは人類の進化の過程で3倍以上になっており、現生人類(新人)の脳容量の平均値は1300~1400ミリリットルである。一般に、大型の哺乳類では脳も大きい。これは大きな身体を維持するために、多くの神経組織を必要とするためである。しかしヒトの脳は、身体の大きさに対する相対的な大きさにおいても、他の動物よりひいでて大きい。
人類における脳の進化は、文化との相互作用によってさらに促進されたと考えられている。脳がある程度進化し、社会や文化が複雑化すると、その社会の中でうまくやっていくために、より複雑な思考能力の進化がうながされる。そうして進化した脳により、さらに複雑な文化が生まれ、これがまた脳の進化をうながすというのである。このように文化が身体的進化の推進力として大きくはたらいた点において、ヒトの進化史は他の生物の進化史とことなる。
もっとも初期の人類の化石をみると、体の大きさにはかなりの差がある。これは性的二型性つまり男女の差が大きかったことをしめしている。女性は身長が90~120cm、体重は27~32kgだったのに対して、男性は身長150cm、体重も約68kg程度だったようである。このような体の大きさの違いは、初期の社会集団の行動様式と関係していたと思われる。やがて性的二型性は弱まり、男女の差はひじょうに小さくなっていった。
| 3. | 顔と歯 |
人類の第3の特徴は、顔と歯が進化とともに小さくなった点にある。大型類人猿は、いずれも、長くするどい犬歯をもっている。初期の人類もかなり発達した犬歯をもっていたが、この歯は進化の過程の中で、しだいに小型化していった。大臼歯(だいきゅうし)は、猿人の段階では時代をおってやや大型化する傾向があったが、230万年前以降のホモ属の系統では、小型化がすすんだ。このような歯の変化にともなって、顎および顔全体がだんだん小さくなっていった。初期の人類の場合には、顎は相対的に大きく、脳頭蓋(のうとうがい)の位置に対して顔が前方へ突出している。しかし、やがて歯が小さくなり、脳が大きくなると、顎は小さくなり、脳頭蓋と顔の位置関係も変化してきた。こうして現生人類では、大きな脳頭蓋の下方に小さな顔がおさまっている。
| III. | 人類の起源 |
| 1. | 人類の誕生 |
「人類の誕生」とは、人類の系統が、チンパンジーとボノボの系統と分岐し、現生類人猿の系統から独立した時点をさす。人類が誕生した場所がアフリカ大陸であったことには、疑問の余地がない。200万年前より古い人類化石は、アフリカ以外の地域では発見されていないし、DNA(デオキシリボ核酸)の比較においても、現代人ともっとも近い現生霊長類は、アフリカのチンパンジーとボノボ、ついでゴリラであり、東南アジアのオランウータンとの違いはより大きい(→ 分子系統学:分子時計)。
現生のアフリカの類人猿はチンパンジー、ボノボ、そしてゴリラのみで、分布は中央・西アフリカの狭い地域にかぎられている。一方、2500万~1300万年前のアフリカでは森林が広がり、いくつもの種類の類人猿が、広い範囲に分布していた。これらの類人猿の化石は、数多く発見されているが、その中のどの種が人類とむすびつくのかはわかっていない。
人類誕生の年代について正確なところはわかっていないが、現在では、おおよそ700万~600万年前の間であるとの推測がたてられるようになってきている。1990年代以降、エチオピア(1994年発表)、ケニア(2001年発表)、チャド(2002年発表)の600万年ほど前の地層から化石の発見があいつぎ、それぞれ発見者らによって、最初期の人類であると発表された。これら最新の化石についてはくわしい研究が進行中であり、その評価がおちつくにはもう少し時間を要するだろう。
| 2. | 猿人(アウストラロピテクス類) |
現代人(種名はホモ・サピエンス)の属するホモ属以前の人類は、まとめて猿人とよばれている。猿人の脳容量は現生人類の3分の1程度で、チンパンジーとさしてちがわなかった。腕が長く、足が短い体型も類人猿的で、身長は110~150cm程度しかなく、男性は女性よりもかなり大きかったらしい。ヒトの犬歯は類人猿のものにくらべて格段に小さいが、猿人でもこの傾向がみとめられる。少なくともアウストラロピテクス属以降の猿人は直立二足歩行をしており、それ以前の猿人もそうであったらしい。猿人の食物を特定することは困難だが、植物が主であったと考えられている。猿人はアフリカ大陸のみに分布し、ユーラシアへ進出した痕跡(こんせき)はない。
初期の猿人化石としては、エチオピアで発見された580万~440万年前のアルディピテクス属、600万年前とされるケニアのオロリン属、700万~600万年前と報告されたチャドのサヘラントロプス属が知られている。これらの化石は、どれも最近発見されたばかりで、現在、詳細な形態学的研究がすすめられているところである。
既存の猿人化石の多くは、420万~250万年前ごろのアウストラロピテクス属か、250万~140万年前ごろのパラントロプス属のものである。パラントロプス属は、頑丈型猿人ともよばれるのに対し、アウストラロピテクス属は華奢型(きゃしゃがた)猿人とよばれる。研究者によって分類の見解はことなるが、通常、出現年代と形態的特徴によってアウストラロピテクス属には4種(アナメンシス、アファレンシス、アフリカヌス、ガルヒ)、パラントロプス属には3種(エチオピクス、ボイセイ、ロブストゥス)がみとめられる。また近年ケニアで約350万年前の新しい頭骨化石が発見されたが、発見者らは既存のアウストラロピテクス属とはことなる新属とみなし、ケニアントロプス・プラティオプスと命名した。
アウストラロピテクス属の中で、アナメンシス種(約420万~390万年前)、アファレンシス種(約370万~300万年前)、ガルヒ種(約250万年前)は、どれもエチオピアからタンザニアにいたる、東アフリカから化石が発見されている。これらには年代のうえでも形態のうえでも連続性がみとめられ、少なくとも一部の研究者は、アナメンシス種がアファレンシス種をへて、ガルヒ種へ進化した可能性が高いと考えている。
南アフリカに分布していたアフリカヌス種(約300万~250万年前)は、基本的にアファレンシス種と似ているが、一方で大臼歯が大きいといった独特の特徴もある。このアフリカヌス種こそが、ホモ属の祖先であるとする研究者もいるが、現在のところ、子孫をのこさずに絶滅した南アフリカの固有種であったとする見方が有力である。
250万年ほど前のアフリカには、少なくとも3種の猿人(アウストラロピテクス・アフリカヌス、アウストラロピテクス・ガルヒ、パラントロプス・エチオピクス)が生存していたことが、化石によってわかっている。人類の系統に分岐が生じていたのである。現在では、そのうちの1種、1999年に発表されたアウストラロピテクス・ガルヒがホモ属に進化したという見方が有力である。一方パラントロプス属は、ホモ属とはことなる進化の道をたどった。エチオピクス種から進化した可能性の高い、南アフリカのパラントロプス・ロブストゥスと東アフリカのパラントロプス・ボイセイは、顎や臼歯を極端に大型化させる方向へ進化していったが、ホモ・エレクトゥス(原人)と共存したのち、150万年前ごろには姿をけしてしまった。
現在知られている最古の石器は、エチオピアの遺跡から出土しているオルドワン・タイプ(→ オルドバイ文化)の単純な礫石器(れきせっき:→ 打製石器)で、260万~250万年前のものとされる。これら最古級の石器は、アウストラロピテクス・ガルヒのような人類の手でつくられた可能性があるが、くわしいことはわかっていない。
| 3. | ホモ属の出現 |
ホモ属は、現代人(学名はホモ・サピエンス)がふくめられている属である。したがって、「ホモ属の出現」とは、猿人よりも一段と現代人に近づいた人類が登場したことを意味する。東および南アフリカの230万~180万年前ごろの地層からは、猿人よりもいくらか脳が大きく(500~700ミリリットル程度)、歯が比較的小さい化石が多数発見されており、最初期のホモ属のものであるとみなされている(ただし何をもってホモ属とするかは、ある程度恣意的(しいてき)にきめざるをえず、真のホモ属は、180万年前に登場するホモ・エレクトゥス以降の人類とみなすのがより妥当とする少数意見もある)。一部の研究者たちは、アウストラロピテクス・アファレンシスから進化したアウストラロピテクス・ガルヒが230万年ほど前にホモ属に進化した可能性が高いと考えている。一方で、ホモ属の祖先はアフリカヌス猿人やまだ未発見のほかの種であると考える研究者もいる。ホモ属が、どのような背景のもとに、なぜ進化したかについては、今後の新たな化石の発見と研究の進展によって明らかにされていくだろう。
残念ながら、既存の化石が概して断片的であるため、230万~180万年前ごろのアフリカにいた、最初期のホモ属について、あまりくわしいことはわかっていない。最初期のホモ属としてよく知られているのは、1964年に発表されたホモ・ハビリスである。ホモ・ハビリスは「器用なヒト」の意であり、人骨とともに石器が発見されたために、こう名づけられた。しかし一部の研究者は、最初期のホモ属の化石には、実際にはホモ・ハビリス以外に別種のホモ・ルドルフェンシスがふくまれていると考えており、ホモ・ハビリス1種のみをみとめる研究者と対立している。こうした分類上の混乱をさけるため、学名をあえてもちいず、これらを総称して「初期ホモ属」とよぶことも多い。
初期ホモ属の特徴としては、脳が大きく歯が小さいことや、その他の猿人との詳細な違いが指摘されている。その体つきについては、みつかっている断片的な骨格から猿人のような腕が長く足が短い体型が想定されていたが、この見方にはなお検討の余地があるかもしれない。同じ地層からオルドワン・タイプの石器が大量に出土し、動物骨に石器による傷跡が多数みとめられることなどから、このグループでは石器を系統的に利用し、かつ肉食への依存度が高まっていたと考えられる。ただし、この段階の人類がかならずしも組織的な狩猟をしていたとは考えにくく、多くの研究者は、自然死した動物や、肉食獣がたおした獲物をかすめとるなどの行動をしていたのではないかと推測している。乾燥化のすすむアフリカ大陸において、長く共存していたパラントロプス属が最終的に絶滅したのに対し、初期ホモ属は、180万年前ごろにホモ・エレクトゥスへ進化したらしい。
| 4. | ホモ・エレクトゥス |
ホモ・エレクトゥスは、現代人の3分の2から4分の3程度にまで増大した脳をもち、初期ホモ属より縮小した顎や歯をそなえた人類である。手足の長さなど、全体的な体つきもより現代人的で、アフリカでは身長180cm以上の個体も少なくなく、かなり大型であった。180万年前ごろに、アフリカで初期ホモ属から進化したと考えられているが、その初期の進化史についてはなお不明な点が多い。
初期ホモ属や、共存していたパラントロプス属(約250万~150万年前)より適応力にとんだこのグループは、175万年前ごろには、アフリカと陸続きであったユーラシアへ進出したらしい。およそ600万年前ごろの誕生以来アフリカにのみ分布していた人類は、このときはじめて劇的に分布範囲を広げた。ホモ・エレクトゥスの時代には石器文化にも技術的な進歩がみられ、140万年前ごろには、ハンド・アックスに代表される新しい石器技術体系である、アシュール文化を確立した。ユーラシアへ広がったホモ・エレクトゥスのグループの一部は、ジャワ原人や北京原人などとして知られている。
アフリカのホモ・エレクトゥス集団は、60万年ほど前により進歩的な人類(最近ではホモ・ハイデルベルゲンシス(ハイデルベルク人)という種名をもちいる研究者が多い)へと進化したらしい。アジアにいた集団は、おそらく数万年前までさかえ、その後絶滅、もしくは後からやってきた新人(ホモ・サピエンス)のグループに吸収された可能性が高い。
| 4.A. | 最初のホモ・エレクトゥス |
最初のホモ・エレクトゥスをめぐる解釈は、1990年代以降の新たな化石の発見によってゆらいでいる。それ以前に知られていたユーラシア最古の人類はジャワ原人で、その最古の年代は110万年前ごろとみなされていた。ところがグルジアのドマニシ遺跡において175万年前とみつもられる地層から、人類の化石がいくつも発見され、人類最初のユーラシア拡散に関する考えは大きく修正をせまられるようになった。さらにジャワ原人の最古の年代も180万年前までさかのぼるとの見解も提出され、議論をよんでいるほか、中国北部で166万年前と推定される石器群もみつかっている。
ドマニシ遺跡から出土した頭骨化石は、脳容量が小さくきわめて原始的であり、いわばそれまでに知られていたホモ・ハビリスとホモ・エレクトゥスの頭骨の中間的な形態をしめしている。そのため、これらの新たな化石の分類学的・系統学的位置付けをめぐって、研究者間の意見はわれている。一部の研究者は、ホモ・エレクトゥスの定義を拡張して、新化石はホモ・エレクトゥスの最初期のグループのものとみなしている。一方、このドマニシ遺跡の化石はホモ・エレクトゥス以前の人類のもので、この発見はホモ・エレクトゥスという種自体がアフリカでなくユーラシアで進化したことを示唆すると考える研究者もいる。
いずれにせよ、これらの最近の発見により、人類最初のユーラシア拡散とその後の進化史は、それまでの予想より複雑なものであったことが明らかとなってきた。
| 4.B. | ジャワ原人と北京原人 |
アジア地域のホモ・エレクトゥス化石としては、インドネシアのジャワ島と、中国の北京近郊の周口店遺跡から、まとまった量が出土しており、それぞれジャワ原人、北京原人とよばれている。ただし、それ以外の地域にホモ・エレクトゥスがいなかったわけではない。中国では、周口店以外の遺跡からも、少数の化石が出土しているし、化石こそ発見されていないが、ホモ・エレクトゥスは、アジアの低緯度から中緯度にかけての広い地域に分布していただろう。
ジャワ原人の化石は、ジャワ島の110万~10万年前(最古の年代は180万年前でもっとも新しい年代は数万年前という説もある)の地層から多数見つかっている。100万年以上にわたるこのグループの初期の進化史には、なお不明な点も多いが、少しずつ解明がすすめられている。ジャワ原人にはある程度の時代的な違いがあり、最古のジャワ原人はかなり原始的な特徴をもっていたことが、最近の研究からしめされている。その後のグループにはやや独特な形質がみとめられるようになり、中国のホモ・エレクトゥスなどとは比較的隔絶された状態で、独自の小進化をとげたようである。やがてアフリカやユーラシア大陸には、ホモ・エレクトゥスよりも進歩的な旧人があらわれたが、インドネシア地域には、5万年前ごろに現生人類(新人)がやってくるまで、このホモ・エレクトゥス段階の人類が存続していた可能性が高い。
発見当初につけられたピテカントロプス・エレクトゥスという学名は、ラテン語で「直立した猿人」の意味である。しかし現在では、このグループはホモ属にふくめるのが妥当とする考えが支配的で、ホモ・エレクトゥスの学名がもちいられている。
北京原人の化石の多くは、中国の北京郊外の周口店遺跡から1926~37年にかけて発見された。中期更新世(78万~13万年前)の前半に相当するとされる地層から発見されたこれらの化石は、ジャワ原人やアフリカの原人とはことなる特徴をいくつかしめし、この周辺に分布していたホモ・エレクトゥスの1地域集団のものとみなすことができる。平均脳容量は1000ミリリットルをこえ、終末期のジャワ原人に匹敵する。発見当初はシナントロプス・ペキネンシスという学名をあたえられたが、この学名は現在つかわれていない。
ホモ・エレクトゥスの時代にあっても人類進化の歩みはつづいていた。初期のホモ・エレクトゥスの脳容量はまだそれほど大きくなく、750~800ミリリットルほどである。しかし後期になると1100~1200ミリリットルにまでなり、新人の脳容量に近づいていた。ただしこれは、150万年以上にわたる、ゆっくりとした変化であり、旧人の出現期にみとめられる急激な変化とは、区別して考える必要がある。
| 4.C. | ホモ・フロレシエンシス |
2004年に発表されたホモ・フロレシエンシスの存在は、それまでだれも予測していなかったもので、人類進化研究史の特記事項にくわえられるべきものである。ホモ・フロレシエンシスが発見されたフロレス島は、ジャワ島からいくつかの島をはさんで東方に位置する島である。氷期の海面低下時にインドシナ半島と連結していたジャワ島とはことなり、海をこえなければたどりつけないため、ホモ・サピエンス以前には人類はいなかったと考えられていた。ところが、この島の洞窟(どうくつ)に堆積(たいせき)した約9万~2万年前の地層から、原始的でかつ身長約1mと、いちじるしく小型な人類化石が発見されたのである。
最初の研究の結果、海をこえて島へたどりついたジャワ原人のある集団が、島の閉鎖された環境の中で矮小化(わいしょうか)したのが、この新種の人類ホモ・フロレシエンシスであるらしいと推定された。この発見により、ホモ・エレクトゥスもなんらかの手段である程度の距離の海をわたることができたこと、人類進化史の中でかくも極端な矮小化がおこりえたこと、そして、そのような人類がかなり最近まで生存していたことが示唆された。
しかしその後、この化石に対するいくつかのことなる見解が提示され、議論をよんでいる。1つは、ホモ・フロレシエンシスはジャワ原人よりも、もっと原始的なホモ・ハビリスあるいはアウストラロピテクスなどの人類とむすびつけられるのではないかというものである。しかし、そのような原始的でかつ古い年代をしめす人類の化石は、現在のところ南~東南アジア地域からみつかっていない。
もう1つは、発見された化石は、新種の原始的な人類ではなく、小頭症や成長障害をわずらって、身体と脳が小型化した、病気のホモ・サピエンス(つまり現生人類)のものである、という考えである。これまでのところ、フロレス島の化石人類のような形態特徴が、そうした病気によって形成されるというじゅうぶんな証拠は提示されていない。しかし、このあまりに予想外な発見を前に、こうした疑念はまだ根強くのこっている。
| 5. | 旧人 |
脳容量が大きいなど、ホモ・エレクトゥスよりも進歩的な特徴をいくつかしめすが、現生人類とくらべると原始的な特徴をはっきりとのこしている人類を、まとめて旧人とよんでいる。最古の旧人は、アフリカでホモ・エレクトゥスから進化したらしい。ヨーロッパでは少なくとも50万年前、アジアでは30万年前ごろに旧人が出現したようだが、これらの地域の旧人がアフリカからやってきたのか、それとも各地でホモ・エレクトゥスから進化したのか、くわしいことはわかっていない。
旧人の分類について研究者の間では意見がわかれている。代表的なのは、旧人の中にホモ・ハイデルベルゲンシスとホモ・ネアンデルターレンシス(ネアンデルタール人)の2種をみとめるというものである。その他、最近では少数派となりつつあるが、旧人を原始的なホモ・サピエンスとみなし、古代型のホモ・サピエンスとよぶ研究者もいる。
「ネアンデルタール人」と「旧人」が同意にあつかわれることがあるが、これは1960年代ごろに支持をあつめたある説にもとづくものであり、現在では修正をせまられている。ネアンデルタール人は30万~3万年前ごろにかけてヨーロッパや西アジアにすんでいた旧人の1地域集団である。その名は、最初の頭蓋化石が発見されたドイツのネアンデル谷(タール)に由来している。他の地域で発見される旧人の化石は、ネアンデルタール人独特の特徴を欠いているため、ネアンデルタール人とはよばない。
旧人は、16万年前ごろまでにアフリカで新人へ進化したが、その後も一部の旧人集団は存続しており、たとえばネアンデルタール人のもっとも年代の新しい化石は、ヨーロッパにおいて3万年前ごろの遺跡から発見されている。
| 6. | 現生人類 |
現在、世界各地に生存している人類、および骨格形態的にこれと同じグループに属するとみなされる化石人類をまとめて現生人類または新人とよぶ。
| 6.A. | 現生人類の起源をめぐる2つの仮説 |
現生人類の起源と進化については、2つの対極的な仮説があり、1980年代から激烈な論争がくり広げられてきた。「多地域進化説」では、百数十万年前にアフリカから拡散し、ユーラシアの各地へ広がったホモ・エレクトゥスやそこから進化した旧人が、それぞれ現代人的な要素の一側面を進化させるたびにその遺伝子が隣接地域に伝播(でんぱ)し、各地の系統は維持されつつも、この遺伝子の横方向の伝播を通じて世界的に新人への進化が生じたと考える。一方「アフリカ起源説」では、旧人から新人への進化はアフリカで20万~10万年前の間におこり、この集団がのちに世界じゅうへ拡散してユーラシア中~低緯度地域に分布していた旧人と置き換わり、そして現代の各地域集団となったと考える。つまりユーラシア地域にいたホモ・エレクトゥスや旧人は、最終的に子孫をのこさず絶滅したとみなすのである。
| 6.B. | 「アフリカ起源説」を支持する証拠 |
1980年代末から蓄積されてきた遺伝学的データ、新たな化石の発見、以前に発見されていた化石の年代の見直し、さらに考古学的証拠の蓄積により、現在では「アフリカ起源説」が圧倒的に有力視されるようになってきた。とくに2003年6月に発表されたエチオピアのミドルアワシュで発見された頭骨化石は、ネアンデルタール人が西ユーラシアで繁栄した13万~4万年前よりはるか前の約16万年前に、アフリカに現生人類がすでに存在していたことを明らかにした。ただし、当初一部でいわれていた、「置換」という考え方に対しては反対意見も根強く、新人の世界拡散の過程で在来の旧人とのある程度の交雑があったとみる研究者も多い。
「アフリカ起源説」は考古学的にも支持されることが、2000年ごろから少しずつ明らかにされてきた。なかでも重要なのは、南アフリカ共和国のブロンボス洞窟における数々の発見である。この洞窟では、考古学者たちが“現代人的行動”とよぶものの一連の証拠が、7万5000年前の地層などから発見された。それは線刻された模様やアクセサリー、そして本格的な骨器や漁の証拠などである。こうした証拠がユーラシアでみつかるようになるのは、5万~4万年前の間である。したがってブロンボス洞窟における世界最古の模様やアクセサリーなどの発見は、人類史の中で“現代人的行動”が、アフリカにおいて最初にあらわれたことを裏づけている。
| 6.C. | 見かけはちがっていても遺伝的類似性は高い |
世界各地の現代人集団は、見かけや文化のうえでいくつかの明らかな違いをしめす。しかし、そこからうける印象とは裏腹に、現代人集団間の遺伝子上の差異はごくわずかなものでしかない。実際に現代人では、地域集団間の遺伝的差異よりも、それぞれの地域集団内の差(つまり集団内の個人差)のほうが圧倒的に大きい。この世界各地の現代人の本質的類似性は、「アフリカ起源説」が提示するわれわれの起源の「浅さ」に由来するものである。
| 7. | 現生人類の世界拡散 |
700万年前にアフリカで誕生した人類が、はじめてアフリカの外へ拡散し、ユーラシアの中・低緯度地域へ広がったのは、180万年前以降のことである。しかし、オーストラリアとの間に広がる海と北ユーラシアの極度の寒さは、その後百数十万年間、ホモ・エレクトゥスや旧人にとってのりこえられない障壁でありつづけた。これらが突破され、さらにシベリアからアラスカ経由で人類がアメリカ大陸にわたり、はては太平洋の島々にまですみつくようになったのは、新人の段階にいたってからである。
| 7.A. | 世界への拡散 |
新人のオーストラリアへの渡来年代はなおはっきりしていないが、研究者たちは4万年前かそれ以前との見方で一致している。これは、人類史上最初の遠洋航海をともなうものであったと考えてよい。シベリアへの進出は、4万年前ごろから徐々にすすみ、1万4000年前には新人はアラスカへ達したと思われる。機能的な衣服や重厚な住居などの発明が、これを可能にしたのはいうまでもない。やがて北米大陸をあつくおおっていた巨大氷床が後退しはじめると、これらのグループは1000~2000年という短い間に南北アメリカ大陸の隅々にまで広がっていったらしい。メラネシアやポリネシアの島々へ広がるには、高度な航海技術の発達をまつ必要があったが、東南アジア周辺に由来する集団によって3000~500年前の間になされ、大航海時代にヨーロッパ人が太平洋を探検した時点では、すでにどの島にも先住民が渡来していた。
| 7.B. | 文化の多様化 |
このように新人が世界各地へ拡散する過程とその後の歴史の中で、各地の地理・気候条件や近隣の集団との相互関係に影響されながら、新人のそれぞれの集団は地域固有の文化を発展させていった。やがて条件のととのっていた地域では、農耕・牧畜などの食糧生産がはじまり、これが都市文明や国家の誕生(→ メソポタミア)をうながし、現在にいたるわれわれの壮大な歴史をみることとなった。
→ 人類学:ヒト