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ベルギー
I. プロローグ

ヨーロッパ北西部にある立憲君主制の連邦国。正式国名はベルギー王国。北西部は北海に面している。オランダ、ルクセンブルクとともに共同体ベネルクスを構成している。面積は3万528km²。人口は1040万3951人(2008年推計)。首都は最大の都市ブリュッセル。

II. 国土と資源

ベルギーは地形から、沿岸地帯の平原、中央部の丘陵地、アルデンヌ高地の3つの地域にわけられる。北海沿岸は砂丘とポルダー(干拓地)からなり、平坦(へいたん)な牧草地がこれにつづく。高度がやや高い中央部の丘陵地は、水路が多く肥沃(ひよく)な広い谷にめぐまれ、洞窟(どうくつ)や峡谷もみられる。アルデンヌ高地は樹木がうっそうと生いしげる高原で、平均高度は約460m、ベルギー南東からフランス北東部にかけて広がっている。ここには最高峰のボトランジュ山(694m)がある。土地は岩が多く農業には適さない。

1. 河川

おもな河川はフランスから発するスケルデ川とムーズ川で、国内のほとんどを航行することができる。主要な水路であるスケルデ川は、レイエ川、デンデル川、ゼンネ川(センヌ川)、リューペル川などの支流をもち、アントウェルペン(アントワープ)、ブリュッセル、ヘントに港がある。ムーズ川はサンブル川やウールト川などの支流をもつ。

2. 気候と天然資源

沿岸部の気候は、多湿で温暖である。内陸へむかうにつれ、穏和なメキシコ湾流の影響が少なくなって寒暖の差がはげしくなる。山地のアルデンヌ地方は、夏は暑く冬は寒い。霧や霧雨が多く、山地はときとして豪雨にみまわれる。年降水量は699mm。国の中心部に位置するブリュッセルの平均気温は、1月で-0.2~5°C、7月で13~22°Cである。

おもな天然資源は石炭で、多年にわたって豊富な産出量をほこってきたが、1950年代後半以降、あいついで炭鉱が閉山している。テルル、セレン、コバルト、スズなどの非鉄金属を産出する。

3. 植生と動物

キツネ、アナグマ、キジ、リス、イタチ、テン、ハリネズミなどの小動物がみられる。アルデンヌ地方にはシカやイノシシも生息している。哺乳類(ほにゅうるい)の現存種は58種類(2000年)、鳥類は180種である。ヒヤシンス、ストロベリー、アキノキリンソウ、ツルニチニチソウ、キツネノテブクロ、アラム、ユリなど植物も豊富で、森林にはオーク、ブナ、ニレなどの樹木がみられ、国土緑化計画の一環としてマツが植林されている。

III. 住民、言語、宗教

国民は、おもにゲルマン系のフラマン人とラテン系のワロン人の2つの民族からなる。両者のもっとも大きな違いは言語で、フラマン人はオランダ語(フラマン語)を、ワロン人はフランス語(標準フランス語やワロン語などの方言)を話す。フラマン人は北半分のフランドル(オランダ語ではフランデレン)に、ワロン人は南半分のワロニーにすむほか、南部のドイツ国境付近には少数だがドイツ語系の人々が居住している。首都ブリュッセルは、地理的にはオランダ語圏に位置するがフランス語が優勢で、外国人も多いことから英語もよくつかわれている。

1831年にオランダから独立したベルギーは、当時のエリート層の言葉だったフランス語を優位においた。これに対してフラマン側がおこした言語・文化の復権要求はしだいに強まり、1960年代にフラマンとワロンの対立が激化した。70年から憲法改正を重ねて、言語・文化別の非領域的な共同体(オランダ語話者、フランス語話者、ドイツ語話者の3共同体)と、領域的な「地域(レジオン)」(オランダ語使用圏のフランデレン、フランス語使用圏のワロニー、両言語併用のブリュッセル首都圏)を構成要素とする連邦制への移行にむかい、93年、ベルギーは正式に連邦国家となった。公用語は、オランダ語、フランス語、ドイツ語。全体で、オランダ語人口は約60%、フランス語人口は約40%、ドイツ語人口は1%未満とされる。フラマン系住民の過半数がフランス語も話すのに対して、オランダ語を話すワロン系住民の比率は低い。

人口の約75%以上がカトリックだが、礼拝に参加する人々は減少傾向にある。信教の自由はみとめられており、プロテスタント諸派、イスラム教、ユダヤ教などを信仰する人もいる。

1. 人口

全体の人口は1040万3951人(2008年推計)で、人口密度はヨーロッパ内でも高く、およそ1km²当たり344人(2008年推計)。ただし、地域によって開きがあり、国土面積の44%にあたるフランデレンに610万人がすんでいるのに対して、55%を占めるワロニーの人口は約340万人、国土の1%にみたないブリュッセル首都圏地域には、全体の10%近い100万人がすんでいる(人口はいずれも2006年)。アントウェルペン、リエージュ、ヘントの工業地区、モンスとシャルルロワにかけての工業地域にも人口が集中しており、ここ数十年では、工業化にともないリンブルフ州の都市人口の増加がいちじるしい。人口の97.3%(2005年推計)が都市部に居住している。

2. 行政区分と主要都市

ブリュッセル、フランデレン(フランドル)、ワロニーの連邦3地域(レジオン)のうち、フランデレンとワロニーはそれぞれ5つの州(プロバンス)にわかれ、各州およびブリュッセルは全部で約600の市町村または特別区にあたる自治体(コミューン)にわけられる。主要都市は、ブリュッセルのほか、北部のアントウェルペン、ヘント、南部のシャルルロワ、リエージュなど。

3. 教育

教育の自由は1831年の憲法で保障されたが、19世紀におこった言語と宗教に関する教育論争は現在もつづいている。義務教育は6~18歳で、初等教育(6年間)と中等教育(6年間)をおこなう。教育を管轄しているのはオランダ語、フランス語、ドイツ語の各言語共同体で、授業でつかわれる言語は共同体ごとにことなる。義務教育で、オランダ語系とドイツ語系の学校は大半がフランス語を必修とし、フランス語系の学校ではオランダ語か英語の選択制をとっている。

1425年に創立された国内最古の大学であるルーバン・カトリック大学と、新生ベルギー政府のもとで1834年に創立されたブリュッセル自由大学は、1960年代の言語紛争によって、いずれも、フランス語系とオランダ語系の別個の大学に分離独立した。オランダ語系のヘント大学とフランス語系のリエージュ大学は、ともにオランダ支配下の1817年の創立。1965年にはモンスとアントウェルペンにも国立大学が創設された。ドイツ語系の大学はない。

王立芸術アカデミーと王立高等音楽院は、アントウェルペン、ブリュッセル、ヘント、リエージュ、モンスにあり、国立農学校はヘントとジャンブルーにある。

4. 文化

ベルギーの暮らしでは祝祭が重要で、なかでも南部バンシュの四旬節のカーニバル、キリスト昇天祭におこなわれる北部ブルッヘ(ブリュージュ)の聖血行列は有名である。子供たちの祭りである聖ニコラス祭は、12月6日におこなわれる。

4.A. 図書館と博物館

ブリュッセルの王立アルベール1世図書館(1837年設立)には、約300万冊の蔵書がある。ヘント、リエージュ、ルーバンの各大学にも大規模な図書館がある。

アントウェルペンの王立美術館(1890年設立)は、フランドルの画家ルーベンスのコレクションで名高い。ブリュッセルにある王立美術館は、各時代にわたるフランドル絵画と近代フランス絵画のコレクションがあり、コンサート・ホールや映画館もそなえている。

4.B. 文学

著名な文学者としては、中世の年代記作者コミーヌやフロワサール、19世紀ではフランス語で作品を発表した詩人ベルハーレン、フラマン語復権運動に貢献した小説家コンシャンスらがいる。フランス語作家のメーテルリンクは「青い鳥」などの象徴主義演劇で知られ、1911年にノーベル文学賞を受賞した。フラマン語文学:フランス文学

4.C. 美術

15~16世紀には北方ルネサンス美術の一大中心地になり、フラマン系の画家のファン・エイク、ボス、ブリューゲルらが活躍した。17世紀は、フランドル美術を代表する2大画家、ルーベンスとファン・ダイクの時代だった。20世紀ではアンソール、デルボー、マグリットらが国際的評価をえた。オルタはアール・ヌーボー建築の創始者のひとりで、20世紀のヨーロッパの建築家たちに多大な影響をあたえた。バン・デ・ベルデはベルギーの現代建築を代表している。

IV. 経済

12~15世紀には、北部のブルッヘ(ブリュージュ)やヘント(ガン)が織物と貿易の町としてさかえた。19世紀には、鉄鋼、石炭の産地である南部ワロニーでイギリスにつぐ産業革命が達成され、ベルギーはヨーロッパ大陸における工業先進国となった。しかし、ワロニーの重工業は1950年代後半以降、石炭から石油へのエネルギー転換、技術革新などの時代の要望に対応しきれず低迷にむかい、かわって、それまで農業地域だったフランデレン(フランドル)が、港湾施設の整備や外国資本の導入などによって経済発展をとげた。国全体での1人当たりのGDP(国内総生産)は世界でもトップクラスだが、南北両地域で大きな開きがあり、この経済格差が60年代以降の南北対立の一因となってきた。

現在のベルギー経済の中心は、金融、運輸、貿易、観光などのサービス部門で、第2次産業では、化学、金属、繊維、食品などの工業が盛んである。輸入した原材料を加工し輸出する加工工業が中心で、貿易依存度がきわめて高い。1国だけでは経済活動が成立しないため、ヨーロッパの経済統合を強く支持してきた。EU(ヨーロッパ連合)の原加盟国であり、隣国のルクセンブルク、オランダとはベネルクス経済同盟をむすんでいる。

1990年代初期には財政赤字が増大し、失業率が高まり、国全体の経済成長がはばまれた。緊縮財政政策によって90年代末に財政赤字はほぼ解消されたが、公的債務残高は、なお高水準にある。2004年の失業率は7.4%。南部の失業率は北部の2倍以上に達する。

1. 農林漁業

農林漁業などの従事者は全労働人口の2%(2004年)だが、農産物は、国内需要にはじゅうぶんな量を生産しているため輸出している。農場の約3分の2は、10ha以下の集約農家である。国土の28.7%が耕作地に利用されている。主要な作物はテンサイ、ジャガイモ、コムギ、亜麻で、畜産や酪農も盛んである。

国土の21.8%は森林におおわれており、おもに国民のレクリエーションに利用されている。近年は針葉樹が植林され、林業がのびているが、製紙用の木材は輸入にたよっている。

主要な漁港はオーステンデである。漁船は北海からアイスランドまでの北大西洋海域で操業し、ツノカレイ、シタビラメ、タラ、ガンギエイなどを水揚げしている。

2. 鉱工業

20世紀前半まで主要な鉱産物だった石炭は、1950年代から産出量が激減した。80年代には鉱山があいついで操業をやめ、最後の鉱山も92年に閉山した。現在、鉄鋼業やその他の工業に使用される石炭と石油は輸入している。

工業は、地の利がよく輸送が容易なため、ヨーロッパでもとくにすすんでいる。工業生産高は1950年代に減少したが、EEC(ヨーロッパ経済共同体)の創設や、政府の投資促進政策により、ふたたび上昇に転じた。しかし、その後は、産業構造の転換で、国内経済全体に占める工業の割合は減少した。鉄鋼業は盛んで、生産量の半分以上を輸出している。

繊維業では、綿、羊毛、亜麻、合成繊維の織物が生産されているが、亜麻をのぞいて原料は輸入にたよっている。ブルッヘ、ブリュッセル、ヘント、リエージュ、コルトライク、メヘレンなどが繊維業の中心である。そのほか、シントニコラスのカーペット、ブリュッセルとブルッヘのレースやダマスク織が有名である。

化学工業では、コバルトやラジウム塩、肥料やプラスチック製品の生産が多い。医薬品、写真関連品、ガラス、家具やボール紙なども生産されている。

かつてベルギー領であったコンゴ民主共和国(旧ベルギー領コンゴ)から供給される銅、亜鉛、鉛、プラチナ、ゲルマニウム、ウランといった金属を原材料として金属工業などがおこなわれており、機械類や工業機器の製造も盛んである。アントウェルペンでは造船や自動車組立などの工業のほか、ダイヤモンド・カッティングの産業があり、世界最大のダイヤ取引地として知られる。

3. エネルギー

石炭鉱業の衰退にともない、原子力以外の主要電源である天然ガス、石炭、石油は輸入にたよっている。7つの原子力発電所があり、国内の消費電力の約60%近くを供給してきたが、2003年1月に原子力発電所全廃法が成立し、使用期限をむかえたものから段階的に、7基すべてを25年までに廃止することが決定した。1980年代末期から、太陽エネルギー、バイオマス、地熱発電などが開発されているが、これら再生可能エネルギーの発電量はわずかである。原子力発電から撤退すれば天然ガスでカバーせざるをえず、エネルギーの外国依存度が高まるため、原子力発電所全廃は延期の可能性もあるとみられている。2003年の総発電量は787.7億kWhだった。

4. 通貨と貿易

基本通貨はベルギー・フランであったが、2002年1月からEU(ヨーロッパ連合)の単一通貨ユーロの紙幣や硬貨が流通し、ベルギー・フランは法的効力をうしなった。

2005年の総貿易額は6533億米ドル。輸出総額は3335億米ドルで、品目は化学製品、自動車などの輸送機器、機械、金属・金属製品、食料品、プラスチック、宝飾品など。輸入総額は3198億米ドルで、品目は鉱物燃料、機械、化学製品、自動車などの輸送機器、食料品、金属・金属製品など。主要貿易相手国はドイツ、オランダ、フランス、イギリス、イタリア、アメリカなどで、EU域内が全体の4分の3近くを占める。

5. 交通とコミュニケーション

スケルデ川河口にあるアントウェルペンは世界有数の貿易港である。輸送路である河川は運河網でむすばれ、高速道路などがこれをおぎなっている。道路総延長は15万567km(2004年)。また、鉄道もよく発達し国鉄の面積当たり線路の敷設量は世界最高クラスである。鉄道距離は3542km(2005年)。空路ではブリュッセル航空がヨーロッパ、アフリカ、アメリカなど世界の主要都市をむすんでいる。

ラジオ、テレビの公共放送として、オランダ語のVRT、フランス語のRTBF、ドイツ語のBRFがあるほか、民間放送も認可されており、外国放送も受信できる。新聞、書籍も各言語で発行されている。

6. 労働

2006年における国内の労働人口は454万人で、その73%がサービス部門に従事している。全国規模の主要労働組合は、キリスト教労働組合総連合(CSC)、労働総同盟(FGTB)、自由労働組合連合。労働者の半数以上がいずれかの労働組合に属しており、他のヨーロッパ諸国にくらべて組合加入率が高い。失業者が多く加入していることも特徴的である。

V. 環境問題

工業化のすすんだベルギーは、他の工業先進国と同じような多くの環境問題に直面している。ベルギーでは、温室効果ガスと酸性雨の原因となる汚染物質が工場から大量に排出されている。しかし、1970年代初めから、国連ヨーロッパ経済委員会硫黄議定書が発効して以来、大気汚染の状態は改善され、工場からの汚染物質の排出もしだいにへってきている。

EU(ヨーロッパ連合)はベルギーに、工業国にとって重要課題である排水処理と水質の改善をはじめ、いくつかの環境問題解決への努力をもとめた。この改善命令が出される前は、飲料水のおもな供給源であるムーズ川が鉄鋼会社の産業廃棄物で汚染され、他の河川も動物の排泄物(はいせつぶつ)と肥料で汚染されていた。1995年、肥料としての糞(ふん)の使用を全国的に制限しようとした環境担当閣僚の試みは、当初農業陳情団の強い反発にあったが、その後、法律として制定された。

VI. 政治

憲法にもとづく立憲君主制で、王位は世襲で継承される。憲法は1831年に発布され、7度改正された。1970年以降の改革でベルギーは連邦国家への道をあゆみ、93年の憲法改正で連邦制の導入が正式に宣言された。連邦国家ベルギーを構成するのは、オランダ語、フランス語、ドイツ語の言語別3共同体と、オランダ語圏のフランデレン(フランドル)、フランス語圏のワロニー、両言語併用のブリュッセル首都圏の3地域で、それぞれ議会と政府をもつ。ただし、オランダ語共同体とフランデレン地域の政体は一体化している。

共同体と地域は一定の分野で立法権をもっている。共同体の権限は、文化(放送メディアをふくむ)、教育、厚生、青少年や移民に対する援助など。地域の権限は、住宅・上下水道・環境など生活環境の管理、地域の経済、州・市町村の行政監督である。これら2種類の連邦構成体は、みずからの権限にかかわる事項について、外国と条約を締結することもできる。連邦政府は、国の財政・予算、外交、防衛、社会保障などを管轄とする。州、市町村もそれぞれ議会をもつ。

1. 行政、立法、司法

国の行政権は国王にあり、国王が政党指導者の推薦をうけて組閣担当者(原則として首相になる)を任命する。首相をのぞく内閣の閣僚は、オランダ語系とフランス語系が同数ときめられている。国王の権限は憲法にしたがい、すべての王政行為は首相の承認を要する。

連邦議会は二院制で、1993年の憲法改正で、上院は183から71議席へ、下院は212から150議席へと、定数が縮小された。議員は、オランダ語またはフランス語の言語グループに属し、両グループは所属議員の数にかかわらず対等の関係にある。ドイツ語系の国会議員はいない。

下院議員はすべて直接選挙で比例代表制により選出される。選挙区は、オランダ語系5、フランス語系5、両言語選挙区1の計11区。上院議員は、71議席のうち40議席が直接選挙により、21議席が各共同体議会により選出され、10議席は上院議員の言語グループにより指名される。ほかに、18歳以上の王族の議席があるが、定数にはふくまれない。両院とも任期は両院とも4年。18歳以上の市民には議会選挙の投票義務がある。

憲法では行政、立法、司法の三権分立をさだめている。上訴裁判所はアントウェルペン、ブリュッセル、ヘント、リエージュ、モンスの5カ所にあり、そのほか5つの労働裁判所と最高裁判所がある。各州の巡回裁判所は民事および刑事訴訟をあつかうが、解決できない場合は、上訴裁判所に委託される。連邦制に移行中の1989年に、中央政府から地方への権限譲渡に際しての争いを解決するために創設された仲裁裁判所は、その後、違憲審査もおこなっている。

2. 政党

カトリック派、自由主義派、社会主義派の3派が主要な政治党派で、それぞれフラマン系とワロン系の組織にわかれている。全国政党はない。現在、カトリック派の政党は、キリスト教民主フランドル党(CD&V:フラマン系)と人道的中道民主党(CDH:ワロン系)。自由主義派では、フランドル自由民主市民党(VLD:フラマン系)と改革運動(MR:ワロン系)、社会党もフラマン系のSP-A(旧SP)とワロン系のPSがある。ほかに、環境保護政党として「緑!」(旧アガレフ。フラマン系)とエコロ(ワロン系)、極右民族主義政党としてフラームス・ベラング(VB:旧フラームス・ブロック。フラマン系)、国民戦線(FN:ワロン系)などがある。

3. 厚生

各市町村におかれている公共の援助機関が、保健および医療業務を担当し、公立病院の管理、看護サービスや診療所の統括などをおこなっている。社会保障は、1944年の法律にもとづき、雇用契約にしたがってすべての労働者に適用されている。この制度のおかげで、公衆衛生が改善され、市民は経済的に安定した。

4. 防衛

ベルギーは、ブリュッセルに本部をおくNATO(北大西洋条約機構)の設立メンバーである。軍隊は志願制で、訓練方法および装備は1948年の協定にもとづき、オランダと同等である。軍隊は陸、海、空軍からなり、総兵力は90年代初めで8万人をこえたが、近年は大幅な軍備縮小がすすめられ、2004年の兵力は3万6900人。

VII. 歴史

ベルギーの名称は、古代ケルト人の一族、ベルガエに由来する。ローマ時代にベルギーはガリアの一部だった。中世ではフランク王国、ついでロレーヌ公国、ブルゴーニュ公国の領土にくみいれられた。

1. ハプスブルク家の支配

ブルゴーニュ家の領土は、1474年の婚姻によってハプスブルク家の支配下に入った。マクシミリアン1世の孫であるカールは、ネーデルラント(現在のベルギーをふくむ)を相続後、スペイン王位につき、その後神聖ローマ帝国皇帝カール5世となり、1549年にネーデルラントを正式にスペイン領土にくわえた。

後継者であるスペインのフェリペ2世は、プロテスタントを弾圧したため、ネーデルラントの反乱をまねいた。1581年には北部7州がネーデルラント共和国として独立を宣言し、南部はスペイン王の支配下にとどまった。

スペイン領ネーデルラントは、三十年戦争後に分割され、現在のベルギーとルクセンブルクにあたる南部はスペイン領にとどまり、オランダはマーストリヒトといった自国の南部国境地帯を領土にくわえた。

スペイン継承戦争の結果、1713年のユトレヒト条約で、ネーデルラントは一部がフランス領に、大部分はオーストリア領となった。フランス革命の勃発(ぼっぱつ)にひきつづき、90年ネーデルラントで独立運動がおきたがオーストリアに鎮圧された。その後、オーストリアはフランスの革命政府との戦争にまきこまれ、ベルギーは97年、正式にフランスに割譲された。

2. フランスとオランダの支配

フランス支配時代にリエージュが領土にくみいれられ、アントウェルペンの貿易が復興し、ベルギーは経済的に発展した。しかし1814年には反ナポレオン諸国の軍隊に占領され、翌年、ナポレオン戦争の最終戦であるワーテルローの戦がブリュッセルの近くでくりひろげられた。

1815年のウィーン会議で、ベルギーとオランダは、ウィレム1世のもとにふたたび統合された。しかし、カトリックの国ベルギーはプロテスタントの支配者をうけいれがたく、30年8月、フランスの革命に触発されて暴動がおこった。オランダ軍はブリュッセルから撤退し、カトリック派と自由主義派が連合してベルギーの独立を宣言した。オーストリア、フランス、イギリス、プロイセン、ロシアといった列強がこれをみとめたため、オランダ側も対抗できなかった。

3. 独立と中立

1831年、ベルギーは憲法を制定し、ブルジョワジーの男子が二院制の議会を選出し、王の行政行為は首相の承認を要することと規定して、レオポルド1世が国王にむかえられた。39年、オランダはベルギーを承認する平和条約に調印した。この条約でヨーロッパ列強はベルギーを「永世中立国」とみとめた。

レオポルド2世の統治下のベルギーは、数多くの国内問題をかかえていた。自由主義派とカトリック派は教育をめぐって対立した。工業化や都市化の進展にともない、住宅や労働条件の改善も急務となり、ブルジョワジーにしかみとめられていない男子参政権の不平等に対する反対運動もおこった。

また、フランス語を話す少数のブルジョワジーとオランダ語を話す労働者クラスの多いフラマン人との抗争は、参政権の問題もからんで表面化した。その後参政権の拡大がはかられ、不平等が是正されはじめたため、政府は公式業務をおこなう際、両言語に同等の権限をあたえることになった。

レオポルド2世はアフリカのコンゴを個人の領土とし、1885年のベルリン会議でコンゴ自由国として承認された。しかし、1900年、現地住民への虐待など国王の植民地支配が問題となり、08年ベルギー政府に支配権が移譲され、ベルギー領コンゴとなった。

4. 第1次世界大戦

1914年8月、ドイツ軍は永世中立国であるベルギーに侵攻した。4年間にわたるドイツ軍の占領で、100万人が国外へ逃亡し、8万人の兵士や市民が死亡した。

1918年の連合軍の攻撃で戦争は終結し、ベルサイユ条約によってドイツはベルギーにオイペン、マルメディ、モレネの各地域を割譲した。

ベルギーは破壊された領土の再建をはかり、めざましい復興をはたした。男子普通選挙制が導入され、1920年には中立を放棄してフランスと軍事同盟を締結した。さらに25年にはロカルノ条約にくわわり、イギリス、フランス、ドイツ、イタリアはベルギーの領土不可侵を公約した。

5. 第2次世界大戦と戦後

1936年、ベルギーはナチス・ドイツに対してイギリスとフランスの援護を条件として軍事的中立政策をとったが、40年にドイツはベルギー侵攻をはかった。英仏援護軍は圧倒的軍事力をほこるドイツ軍にやぶれ、レオポルド3世も軍とともに無条件降伏した。政府はロンドンへ亡命し、抵抗をつづけ、ドイツの敗戦で44年にブリュッセルへもどった。

大戦後は政治的には混乱していたが、貿易大国としてのかつての地位をほぼとりもどした。1945年に国際連合に加盟し、49年にはNATO(北大西洋条約機構)にくわわった。追放されていたレオポルド3世の去就を問う国民投票が50年3月におこなわれ、57.6%が復位賛成という結果が出た。7月、ベルギー議会は復帰をみとめたが、たちまちワロン系住民のはげしい反発が国内各地でおこり、レオポルトは復位を断念。息子のボードゥアン1世が即位した。

6. 西欧諸国の協力とベルギー

1950年代、西欧諸国は政治および経済統合へむけて努力を重ねた。ベルギーは、52年にECSC(ヨーロッパ石炭鉄鋼共同体)の設立メンバーとなった。54年、フランスがヨーロッパ防衛共同体設立条約の批准を拒否したことでヨーロッパ統合はつまずいたが、ベルギーの外相スパークの主導でヨーロッパ共同市場の創設と原子力共同体の設立が提案され、統合への道が復活した。スパーク提案は57年のEEC(ヨーロッパ経済共同体)、EURATOM(ヨーロッパ原子力共同体)の創設へとつながり、ブリュッセルはEECの本部および業務の中心となった。ECSC、EEC、EURATOMは67年にEC(ヨーロッパ共同体)としてまとめられ、現在はEU(ヨーロッパ連合)となっている。

7. アフリカからの撤退

1960年、植民地のベルギー領コンゴで反乱が勃発し、ベルギーはアフリカから撤退せざるをえなくなった。同年6月、ボードゥアン国王は植民地(現在のコンゴ民主共和国)の独立を宣言する。62年には、ベルギーが統治していた信託統治領ルワンダ・ブルンジがルワンダとブルンジとして分離独立した。

8. 言語紛争と連邦制への移行

国内では、1950年代後半から、フランデレン(フランドル)とワロニーの経済的力関係が逆転した。独立以来、繁栄をほこっていたワロニーは、従来の石炭産業と重工業にこだわって衰退にむかい、経済後進地域だったフランデレンは新時代に即応した産業の中心地になっていく。

1960年代には、国内では、長年にわたるフラマン系とワロン系の確執が激化してたびたび暴動がおこり、言語と文化に関する問題や地方自治の拡大をめぐって、内閣総辞職や議会解散があいついだ。主要な全国政党は、60年代後半から70年代後半にかけて、それぞれフラマン系とワロン系の地域政党に分裂した。また、双方に新興の民族主義政党が誕生した。

経済状況の変化を背景にフラマン系とワロン系の亀裂は深まり、ベルギーは連邦化にむけてあゆみだすことになった。1970年の憲法改正により、オランダ語、フランス語、ドイツ語それぞれの言語集団である3つの「文化共同体」と、フランデレン、ワロニー、ブリュッセルの3つの「地域」という、次元のことなる2種類の行政組織の概念が導入された。その後、数次にわたる国家再編をへて、93年の憲法改正でベルギーは正式に「共同体と地域からなる連邦国家」であることを宣言した。

9. 中道左派政権と極右民族主義政党

1995年の総選挙の結果、92年以来政権を担当して穏健な連邦主義をすすめたデハーネが、ひきつづきフラマン系のキリスト教人民党(CVP)、ワロン系のキリスト教社会党(PSC)とフラマン系およびワロン系の社会党(SP、PS)の4党からなる中道左派連立内閣を組閣、選挙結果は、統治形態が地方分権へとさらに移行したことをしめした。93年、ボードゥアン1世の死去にともないアルベール2世が国王に即位した。

1999年4月、国内養鶏場から出荷された鶏肉、鶏卵をつかった肉製品から高濃度のダイオキシンが発見された。このダイオキシン汚染問題に対する政府の対応の遅れでベルギー畜産品の対EU輸出が一時停止される事態となったことから、国民の不満が高まり、6月の総選挙でデハーネ政権は敗北。フランドル自由民主市民党(VLD)が第1党となって、7月、同党党首ヒー・フェルホフスタットを首相とする中道左派連立政権が発足した。新しい連立政権の陣容は、フランドル自由民主市民党をはじめ、ワロン系の自由改革党(PRL)、フラマン系およびワロン系の社会党(SP、PS)と環境保護派のエコロ、アガレフの6党である。

2002年に安楽死が合法化され、03年には同性間の結婚がみとめられた(同性婚)。いずれも、オランダについで世界で2例目となった。イラク戦争に際しては、ベルギーは終始、戦争回避の立場をとった。03年5月の総選挙では連立与党の主要4党が着実に得票し、フェルホフスタット首相の続投がきまった。社会党が大きく議席をふやした一方で、移民排斥とフランドルの独立を主張して00年のアントウェルペン市議会選挙で33%を得票した極右政党フラームス・ブロックが、過去最高の議席を獲得して下院第3党に進出した。なおフラームス・ブロックは、04年11月、最高裁判所から人種差別禁止法違反と判断されて政治活動を制限されたため解散し、新党フラームス・ベラング(VB)を結成して活動を継続。06年10月の統一地方選挙では、アントウェルペン市議会選挙で社会党にやぶれたものの各地で勢力をのばした。

10. 深まる南北の亀裂

2007年6月の総選挙で、南北両地域の連帯をうったえていた連立政権の与党各党は大きく後退し、保守系野党のキリスト教民主フランドル党(CD&V)が躍進した。同党は、経済的に豊かなフラマン社会の利益を優先して「地域へのさらなる権限委譲」をかかげ、北部独立をとなえる右翼フラームス・ベラング(VB)の支持層をもとりこんだ。

第1党になったキリスト教民主フランドル党の党首ルテルムは、7月中旬、南北の中道右派政党との連立交渉に入ったが、所得税・法人税の課税権や、医療保険、失業手当などの社会保障の運営を連邦から地域に移管すると主張して、ワロン系政党の強い反発をよび、交渉は決裂した。9月下旬、ルテルムがふたたび組閣担当者に指名されたが、連立交渉はまたも挫折(ざせつ)し、12月に入ってルテルムは組閣の断念を表明する。異例の政治空白がつづく中で新内閣発足までのつなぎ役をつとめていたフェルホフスタット首相が、国王にうながされて5党連立による3カ月の期限付き暫定内閣を12月下旬に発足させた。2008年3月、ルテルムは、暫定内閣の各党と連立合意に達し、総選挙からほぼ9カ月ぶりに本格政権の発足にこぎつけた。これにより、南北の分裂まで懸念されたベルギーの政治危機はひとまず解消されたが、ここまで拡大した地域対立の根は深く、新首相ルテルムの支持率は全国的にも低いことから、短命政権におわる可能性も指摘されている。