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医学
I. プロローグ

病気や傷害の診断・治療・予防や、健康をたもつ方法などについて研究する科学の一分野。その領域は、個人にとどまらず社会全体、そして身体的な側面だけでなく精神的、心理的側面をも対象にする。

II. 先史時代の医学

人類は、この世界に登場して以来、つねに病気とたたかいつづけてきた。先史時代、病気は悪霊が体の中にはいっておこすものだとされていた。したがって、病気の予防とは、呪文、踊り、魔術、魔除(よ)けなどで、悪霊が体の中にはいらないようにすることだった。病気になったときは、患者の体をうちすえたり、拷問にかけたり、飢えさせて、悪霊をおいだそうとした。いまだに、呪医による治療がおこなわれている地域もある。

消毒や縫合、湿布や副木などの外科的な治療もすでにみられた。てんかんや精神の障害、頭痛には、頭蓋骨に穴をあけて(開頭術)、悪霊をおいはらおうとした。開頭術は現在でも、脳の手術の際におこなわれる。薬は、下剤、利尿薬、催吐薬、浣腸剤などがつかわれていた。麻酔作用や刺激作用がある成分をもつ植物からは、さまざまな薬がつくられた。現在でもアヘンやヒヨスなどの植物からとれる薬が数多くつかわれている。

III. 古代医学

先史時代と同様、多くの国や地方で、病気の元は悪霊だと考えられていたが、独自の医学も発達していった。

1. エジプト

古代のエジプトにおける医学についての基本的な考え方は、経験と観察にもとづいた合理的なものだった。皮膚や目など、観察しやすい部分は、医師が合理的な治療にあたった。しかし、体内の組織の病気については、聖職者でもある魔術師の祈祷(きとう)が中心だった。前2900年ごろの初期王朝時代には、科学者の祖となる医師たちがあらわれた。彼らは、神殿に付属する学校で問診、検査、触診の訓練をうけた。なかでも、ピラミッドの設計者としても知られるイムヘテプは、のちに医神としてあがめられる。現存するパピルス文書によると、当時は900種近い処方がつくられていた。たとえば、下剤にはイチジク、ナツメヤシ、ヒマシ油がよくもちいられた。

前5世紀のギリシャの歴史家ヘロドトスによれば、古代エジプトでは歯科は重視されていたが、外科のレベルは低かった。前3世紀になると、ギリシャ医学がエジプトで発展する。イムへテプ以来の生理学および病理学の研究がおこなわれた。前7世紀ごろのギリシャの哲学者タレスは、すべてのものの元は水だと考えたが、それは、アレクサンドリアで活躍したギリシャの解剖学者ヘロフィロスにも影響をあたえた。

2. メソポタミア

バビロニア、アッシリアの支配したこの地域では、病気は罪に対して神があたえる罰だと考えられていた。したがって診断には、占いで神の意志をうかがった。とくに占星術が発達していたが、ほかに夢占い、肝臓占い(魂は肝臓にやどるとされていた)もよくおこなわれた。治療には500種類以上の薬品がもちいられた。前18世紀のハンムラピ法典には、医療行為、医療過誤について規定した記述がある。

3. パレスティナ

バビロニアやアッシリアの支配をうけていたため、その影響が大きい。したがって、病気は神の怒りの表れと考えられていた。聖職者は公衆衛生に責任があった。また、助産婦(助産師)の地位がみとめられていた。旧約聖書では、病気の予防を強調している。

4. インド

古代インドの医学には、アーユル・ベーダという大きな思想体系が確立していた。この思想は、病気を治療することだけではなく、幸福に長生きすることを目的としている。この世は3つの要素でできており、そのバランスがくずれた状態を病気という。したがって、バランスを回復すれば病気はなおる、というのが具体的な考え方である。この体系にもとづいた医書を、2世紀ごろのチャラカと、4世紀ごろスシュルタがそれぞれ書きのこしている。

臨床的な知識はかなりすすんでおり、マラリア、結核、糖尿病などをはっきり診断することができた。毒物についての知識も豊富で、とくに毒蛇に対しては解毒薬などももちいられていた。薬の種類は多く、タイマ、ヒヨスからは麻酔薬(麻酔)がつくられた。また、現在の精神安定剤の元となる薬もつかわれていた。手術の技術もすぐれており、古代医学の中ではもっとも高度な外科の技術をほこっていた。世界ではじめて皮膚移植と鼻の形成外科手術に成功したのは、古代インド医学だといわれる。

のちに仏教の不殺生の思想がひろがり、手術はきらわれるようになった。体にメスをいれられないため、解剖学に関する知識はとぼしい。11世紀にイスラムの支配をうけると、インド医学はおとろえていった。しかし、衛生学、食事療法、優生学など、インドのすぐれた知識は、アラブ人によってヨーロッパにつたえられていく。

5. 中国

殷(商)時代は、病気は祖先の怒りによっておこると考えられ、呪術による治療がおこなわれた。次の周代には、医学の知識が発達し、専門化もすすみ、中国医学をささえる思想が体系化された。中国医学の思想は、陰陽五行説にもとづいている。この説は、万物は陰と陽から生みだされ、木、火、土、金、水の5つの基本要素からなりたっているという。医学にもとりいれられ、病気は体の5つの器官の5つの要素のバランスがくずれたときにおこるとされる。漢代にはこの思想体系が医学書「黄帝内経」にまとめられた。

中国では、宗教的な理由で解剖は禁止されていたため、人体の構造や働きに関する知識はとぼしい。治療は薬をもちいる内科的療法を中心に、マッサージ、吸角法、鍼や灸(鍼療法)などがおこなわれた。吸角法は、カップを皮膚に密着させて中を真空にし、血液を皮膚の表面近くまですいあげ血行をよくする方法である。鍼・灸療法はリウマチなどの治療に利用された。薬物の知識は豊富で、動物の組織や分泌物、鉱物、植物からさまざまな薬が調合された。おもな薬には大黄、トリカブト、硫黄、ヒ素、アヘン(ケシ)がある。後漢末期には、「傷寒論」という薬の処方集がまとめられた。漢方治療:気功

6. ギリシャ

ギリシャでは、アポロン神が治療をつかさどるとされていた。前5世紀に、アポロンにかわってアスクレピオスが医神となった。ヨーロッパ各地にアスクレピオスの寺院がつくられ、聖職者が治療をおこなった。しかし、ホメロスの詩篇には宗教とは一線を画した医師が登場し、外科療法をおこなっており、内科と外科がはっきり区別されていたことがわかる。前6世紀には医学は宗教から完全にはなれ、臨床的な観察と経験を重視するようになった。また、ギリシャ医学の特徴として、哲学との結び付きが深い。哲学者エンペドクレスは、この世界は、空気、水、火、土の4つの基本元素でなりたっているとした。そして4元素に4つの体液(血液、粘液、黄胆汁、黒胆汁)を対応させ、この調和がくずれたときに病気になると考えた。また、進化の基本的な論理をうちたてた。

ギリシャ医学でもっとも重要な人物は、「医学の父」といわれるヒッポクラテスである。その考え方はエンペドクレスの4体液説にもとづいており、患者の体全体を治療するのが基本的な態度である。外科的治療よりも自然の治癒力、理論よりも実際面を重視したヒッポクラテスの医の倫理は、人間愛にあふれていた。それは「ヒッポクラテスの誓い」として現在までつたわっている。

前3世紀には、ギリシャ医学の中心は、エジプトのアレクサンドリアにうつった。ヘロフィロスは人体の解剖を、エラシストラトスは脳、神経、動脈、静脈の解剖をおこない、すぐれた記録を書きのこしている。その後、経験主義派が生まれ、とくに、外科と薬理学は大きく発展した。

7. ローマ

ローマ独自の医学はほとんど発展せず、ギリシャ医学にたよらざるをえなかった。前1世紀、ローマでギリシャ医学を確立したのは、アスクレピアデスである。彼は体液理論には反対し、体は互いに連絡のない原子によってできていると考えた。そして、この原子の規則ただしい運動がさまたげられたとき、病気になるとした。薬物療法よりも、運動、入浴、食事療法を重視した。著述家ケルススは、外科、皮膚科の記述にすぐれた百科全書をあらわした。ディオスコリデスは、はじめて薬用植物を科学的に研究し、薬物学の父といわれている。ソラヌスは産科学と婦人科学に貢献した。

ヒッポクラテス以後、もっとも重要な人物はガレノスである。解剖学的な知識は、動物の解剖をもとにしているため完全なものではないが、筋肉と脊髄の仕組みと働きを明らかにした功績は大きい。生理学的な研究にもすぐれ、神経の働きなどをたしかめた。また、血液は肝臓からでた静脈と、心臓からでた動脈をとおって末梢へはこばれる。一部の血液は右心室から肺へいき、残りは右心室から左心室へながれると考えた。血液の流れに関するこの説は、誤りであるにもかかわらず、17世紀まで多くの学者に信じられていた。また、どんな傷も、なおる途中で化膿するという理論も19世紀まで否定されなかったため、消毒法の発達をさまたげた。

ローマ医学の最大の功績は、公衆衛生である。上下水道、公衆浴場、病院などの設備は、近代まで、ローマをこえるものはあらわれなかった。

IV. 中世の医学

ローマ帝国がほろんだあと、しばらくは医学に進歩はみられない。ひとたび伝染病がおこると、魔術による治療の復活もみられた。しかし、やがてイスラム教徒の医学とローマの古典的な医学が融合して、新しい医学がつくられる。

1. アラビア医学

9世紀、ペルシャでは、ローマから亡命したキリスト教のネストリウス派が、ギリシャの医学を発展させた。フナイン・ブン・イスハークは、ギリシャの重要な医学書をアラビア語に翻訳し、アラブ世界全体にギリシャ・ローマの思想をつたえた。アラブ独自の医学も発展し、すぐれた学者が何人もあらわれる。とくにイブン・シーナーの著作は、数世紀にわたってヨーロッパ医学に大きな影響をあたえた。アル・ラージー(860~932頃)は、天然痘をはじめて確認、はしかについても研究し、感染性の病気の原因は血液にあるとした。12世紀のイブン・ズフル(アベンゾアル)は、ガレノスの医学に疑問をもった点で重要な存在である。彼はまた、ダニによる疥癬をはじめて記録している。アラビア医学は、ギリシャ医学の知識のほかに、多くの化学薬品を治療にとりいれており、当時のヨーロッパ医学よりはるかにすぐれていた。

2. ヨーロッパ

中世初期の医学には、修道院が大きな役割をはたした。とくにベネディクト派は医療活動が活発だった。らい患者は、修道院の診療所とは別に隔離されていた(ハンセン病)。9世紀には、すでにイタリアのサレルノに医学校ができたとされる。キリスト教に関係ない世俗の学校で、おもに食事療法と衛生学をおしえた。十字軍の影響もあってアラビア医学ともむすびつき、11、12世紀には、大いにさかえる。また、イタリアのボローニャ、イギリスのオックスフォード、フランスのパリ、モンペリエに大学(モンペリエ大学)ができ、医学の研究も体系的になった。このように大学で教育される医学をスコラ医学という。ヨーロッパ各地からあつまった医学者は聖職者でもあり、ラテン語を共通語にしていた。中世は、病院が盛んにたてられたが、キリスト教病院は医療施設というよりは、慈善的な施設だった(病院)。この時期になると、修道院の医学は、修道院の秩序を俗化させるという理由で禁止され、終わりをつげた。

中世の外科は、教会が血をながすことを禁止したため、聖職者でもあった医師はたずさわることができなかった。かわりに、床屋や風呂屋などが外科的な治療をおこなった。これに対し、サレルノの医学校やフランスの一部では、一部の医師によって新しい考え方がおこったが、結局はガレノスの医学から脱することができなかった。

ペストなど伝染病が猛威をふるったため、公衆衛生面ではきびしい規制がしかれた。医師という職業に対する法律もととのい、12世紀には、はじめて公的な医師の資格制度がさだめられた。

V. ルネサンス医学

医学の発達に貢献したのは、医学者だけではない。芸術家たちは、人物画に本当らしさをもたせるため、人体、とくに筋肉の解剖の研究をした。レオナルド・ダ・ビンチの解剖図はひじょうに正確だったが、当時はほとんど公表されることがなかった。

時代がすすむと、ガレノスやアラビア医学を批判する学者が何人もあらわれる。1543年、ベルギーのベサリウスは解剖学にとって画期的な大著「人体の構造」を発表し、ガレノスの多くの誤りを指摘した。また、同時代のG.ファロピオも、ガレノスの学説を批判した。ファロピオは、卵管と中耳を発見した人物で、卵管は彼の名をとってファロピウス管と名づけられている。スイス生まれのパラケルススも、ガレノスやアラビア医学を批判した。彼は、はじめてドイツ語で医学書を書いたことで知られる。彼は、錬金術師でもあり、新しい病気を発見し、化学療法をつくりだした。しかしガレノスの影響力は17世紀ごろまで強くのこっていた。

外科は中世には医学としてみとめられていなかったが、ルネサンス期に飛躍的な発展をとげた。フランスのパレは、止血するのに縫合をおこなったことで知られる。先史時代おこなわれていた縫合は、その後まったくおこなわれなくなり、パレ以前は傷口を焼いて止血する方法がとられていたのである。

詩人でもあるイタリアのフラカストロは、伝染病を科学的にとらえ、発疹チフスや梅毒などを発見した(梅毒の英語名syphilisシフィリスは彼の詩からついた)。伝染病は自己増殖する微小な種のようなものによっておこるという彼の説は、近代の細菌学と病気の理論の先がけといえよう。

VI. 近代医学の夜明け

17世紀の医学を代表し、また新しい医学の始まりとなったのは、イギリスのウィリアム・ハーベーによる血液循環(循環器系)の発見である。ハーベーは、血液は心臓からおしだされて心臓へもどるという説を確立した。その後、イタリアのアセリはリンパ管(リンパ系)を発見した。イタリアのマルピーギは顕微鏡をつかって、毛細管を発見し、ハーベーの説をさらにおしすすめた。顕微鏡は1600年ごろに発明され、細菌、細胞、赤血球などが次々と発見された。

17世紀はまた、物理学と化学がおこり、これを医学にも応用する動きがあらわれた。イアトロ物理学とイアトロ化学である(イアトロは医の意味)。イアトロ物理学の代表はフランスのデカルトで、目と視覚の研究をして、体の働きを物理的な機械としてとらえた。イアトロ化学者のF.シルビウスは、体の働きは化学反応であるとした。しかし、この2つの動きは臨床には応用できなかった。17世紀の臨床医学を発展させたのは、イギリスのヒッポクラテスといわれるT.シデナムである。彼は臨床観察を重視し、マラリア、はしか、しょう紅熱などを研究した。また、キニーネをとりいれたのもシデナムで、その功績は大きい。

1. 18世紀の医学

ニュートンの法則発見に刺激されて、医学を体系化しようとする試みがつづけられた。スウェーデンのリンネが生物の分類法を確立し、医学にもそれにならった分類法があてはめられたが、ほとんど価値はなかった。また、17世紀末ごろからおこったイアトロ化学やイアトロ物理学に対する反発はますます強まった。その絶頂期、ドイツのG.E.シュタールは命のもとは魂であるとする生気論を発表し、同じドイツのF.ホフマンは体を機械としてとらえた。生気論と機械論の対立は18世紀末に盛んになる。

18世紀後半、医学の各分野は科学として発展するようになった。イギリスのウィリアムおよびジョンのハンター兄弟とW.スメリは、それまで助産婦のものだった産科学を医学の一分野として確立した。病理学を科学に高めたのは、イタリアのG.B.モルガーニである。イタリアのスパランツァーニは自然発生説に反対をとなえた。また、実験生理学が盛んになり、スイスのA.フォン・ハレルによって神経と筋肉の動きが明らかになった。ジギタリスが心臓病の治療に導入されたのもこの時期である。ドイツのS.F.Cハーネマンは、ホメオパシーの理論を展開させた。

外科も実験をとりいれ、科学として大きく進歩する。陸、海軍を中心に発達し、手足の切断、ヘルニア手術、気管の切開などがおこなわれている。その第一人者はイギリスのジョン・ハンターである。

イギリスのJ.リンドは、壊血病がビタミンCの不足からおこることをつきとめ、壊血病にくるしむ海軍をすくった。1796年、イギリスのジェンナーは種痘法を開発した。天然痘から人間をまもる革命的な方法であっただけでなく、免疫法を確立した功績は大きい。

VII. 19世紀の医学

19世紀は、医学における発見の時代であり、診断、治療、手術法が飛躍的に進歩した。1761年、オーストリアのJ.L.アウエンブルッガーが胸の病気の診断法として、打診法を開発した。この方法は、1808年になってフランスで本が出版され、ひろく知られるようになった。その後16年には、フランスのラエネクが聴診法を開発し、聴診器を発明した。聴診器はその後、改良を重ねられ、現在でももっとも役にたつ診断用具として活躍している。イギリスの臨床家たちは、新しい診断法を駆使してさまざまな病気を発見した。アジソン病、ホジキン病(悪性リンパ腫)、パーキンソン病など、発見者の名が病気につけられている。

1895年、ドイツのレントゲンが偶然発見したX線が、診断に大きな威力を発揮するようになった。デンマークのN.R.フィンセンは、紫外線ランプを開発し、皮膚結核や皮膚病の治療に貢献した(紫外線)。98年、キュリー夫妻が発見したラジウムは、癌の治療に利用されている。

1. ヨーロッパでの発見

伝統的な体液説がまだのこる中、ドイツではいちはやく大学が近代化され、貴重な科学的発見の中心となった。医学もその恩恵にあずかることになる。基礎科学では、シュライデンがすべての生物は細胞からできているという細胞学説(発生学)をたてた。細胞学説は、動物の進化に応用されただけでなく、病変組織を顕微鏡でしらべるという研究への道をひらいた。

フランスのM.F.X.ビシャーは、組織学の礎をきずいた。オーストリアのロキタンスキーは、3万体以上の検死をおこない、心内膜炎の原因が細菌であることをつきとめた。ドイツのデュ・ボア・レーモンは筋肉と神経の生理学と代謝に関する新しい知識をふきこみ、J.P.ミュラーは神経の特殊エネルギーの概念をとなえた。K.E.フォン・ベールは人間の卵子を発見した。このような種々の発見の頂点にたつのは、フィルヒョーである。彼は、細胞病理学の分野を確立し、細胞が病気の単位であることを発表した。フィルヒョーの考え方は、現代医学の基礎となった。

2. ダーウィン、パスツール、コッホ

ダーウィンの進化論(進化)は、比較解剖学と生理学の分野に大きな影響をあたえた。メンデルはエンドウ豆の研究から遺伝の法則(メンデルの法則)を発見し、ヒトの遺伝の研究に影響をあたえた。

フランスのパスツールは実験によって、発酵は、純粋な化学現象ではなく、微生物が介在することを証明し、生物の自然発生説を完全にうちくだいた。そして、ウイルスの毒性を弱めて、炭疽、ニワトリコレラ、狂犬病のワクチンを完成した。

細菌学でパスツールにならぶ功績をあげたのは、ドイツのコッホである。昔からある炭疽、ジフテリア、結核などの病気が、確認された。

3. 細菌学と外科

19世紀、病気は病原体によっておこるという説がふたたびもちあがった。オーストリアのI.P.ゼンメルワイスは、消毒していない手で産婦にふれると細菌感染によって産褥熱がおこると主張した。19世紀初期にはまた、ジフテリア菌、淋菌(淋病)など、多くの病原菌が発見されている。ノルウェーのG.H.ハンセンは、らい菌を発見した(ハンセン病)。病原菌がつきとめられることによって、治療法も発達した。ドイツでは、淋病の母親から生まれた新生児の眼炎を硝酸銀で消毒して予防する方法が考えだされた。ドイツのベーリングがジフテリアと破傷風の血清を開発すると、子供の死亡率は大きく減少した。ロシアのメチニコフは、白血球に細菌を食べる作用(食作用)のあることを発見した。日本人も細菌学の分野で活躍している。北里柴三郎は1894年ペスト菌を、志賀潔は97年、赤痢菌を発見した。

病原微生物の研究がすすむと、動物や昆虫が病原体をはこぶこともあるとわかってきた。1897年に、イギリスのR.ロスがマラリアをはこぶのが蚊であることを明らかにしている。1900年には、キューバのC.J.フィンレーの仮説にもとづいて、アメリカのW.リードたちは、黄熱病は蚊が媒介することを明らかにした。

微生物学の発展にともなって、外科も発達した。イギリスのリスターは、細菌は空気によってはこばれ、傷口から体内にはいると考え、傷を石炭酸で消毒する方法をこころみた。これによって、ガレノスの化膿の理論は否定され、傷からの感染による死亡率は激減した(消毒薬)。のちには、手や道具を消毒して無菌手術がおこなわれるようになった。手術面の大きな進歩のもうひとつは、麻酔法の発見である。エーテル、クロロホルムなどによる全身麻酔法や局所麻酔法が開発された(麻酔)。

4. 手術

1809年、アメリカのマクダウェルは、卵巣腫瘍を切除する手術をはじめておこなった。45年にJ.M.シムズがはじめておこなった膀胱膣瘻孔(ろうこう)症をなおす手術は、多くの女性の命をすくった。

5. 生理学

19世紀の医学は、「実験室医学」ともいわれ、生理学、病理学、組織学が大きく進歩した。ドイツのリービヒは、有機化合物の分析法を開発し、食料品の分析と代謝の研究をおこなった。ヘルムホルツは神経の興奮伝達速度をはかった。また感覚生理学の分野では、検眼鏡を発明し、さらに音響学の礎をもきずいた。フランスのベルナールは、膵(すい)臓と肝臓の働き、交感神経系について重要な発見をして、実験医学の創始者として知られている。消化器系と血管運動系の相互作用に関するベルナールの研究を発展させて、のちにロシアのパブロフは条件反射の理論をうちたて、行動主義の基礎をつくった。フランス系アメリカ人のブラウン・セカールは、内分泌系の研究をして、内分泌学に対する関心を高めた。

VIII. 日本の医学

先史時代の医学については、ほとんどわかっていない。「古事記」「日本書紀」に当時の医療がいくつかしるされている。日本の医学は、中国や朝鮮半島からつたわったものであり、仏教信仰と強くむすびついている。伝染病が多くの人の命をうばうたびに、仏教への信仰がひろまり、悲田院、施薬院などがつくられた。9世紀以降、中国の医学をもとに、何人もの日本人医師が医学書を書いている。12~16世紀には開業医があらわれ、自分たちの医術を「流」として代々つたえた。

16世紀半ばになると、キリスト教とともに西洋医学もつたわってくる。各地に病院がつくられたが、イエズス会が医療事業禁止命令をだし、さらに1587年に日本で豊臣秀吉のキリシタン禁止令がだされると、病院も自然にきえていった。西洋医学は南蛮流としてとくに外科に影響をのこした。江戸時代は鎖国のため、日本独自の漢方医学が展開する(漢方治療)。

一方で、長崎を中心にオランダ医学がつたわり、18世紀後半には、杉田玄白などがオランダの医学書にもとづいて人体解剖をおこない、「解体新書」を刊行した。1823年(文政6)、シーボルトの来日によって、西洋医学はさらに勢いづいた。58年、幕府は蘭方医伊東玄朴を奥医師としてみとめ、ついにオランダ医学を解禁した。同年、蘭方医が江戸に牛痘接種所を設置し、天然痘の予防接種をおこなった。この施設が61年、幕府直轄の西洋医学所となる。江戸時代にも何度か伝染病が流行したが、とくに外国からはいってきたコレラなどの新しい伝染病が、西洋医学の導入に大きな影響をあたえた。

明治にはいると、政府はドイツ医学を採用することを決定して、教育制度などをととのえていった。一方で漢方医学は衰退の道をたどることとなる。西洋医学はますます発達し、北里柴三郎、志賀潔、鈴木梅太郎など、世界的な学者が次々とあらわれる。しかし、2つの世界大戦の間、医学は兵器として利用されるという暗い面ももつ。戦後、健康保険などの制度がととのい、医療技術も大きく進歩した。

IX. 20世紀の医学

20世紀、ワクチン、抗生物質の開発と生活環境の改善によって、人間は多くの感染症を征服した。生活そのものの質をみなおそうという考えも、20世紀になっておこってきた(クオリティ・オブ・ライフ)。新しい発見も数多く、とくに遺伝子や、脳の機能の化学的・物理的メカニズムに関する発見はめざましいものがある。また、高度な機械が開発され、診断、治療が飛躍的に進歩した(画像診断:内視鏡診断:放射線医学)。

1. 遺伝学

1940年代、遺伝に関するもっとも基本的なことが発見された。生物の特定の性質を別の生物につたえるのが、デオキシリボ核酸(DNA)という物質であることがわかり、53年には、ワトソンとクリックによってそのメカニズムが理論的に説明された。その後、研究はどんどんすすみ、遺伝子の組み換えまでが可能になり、80年代半ばには、それを利用して病気の治療がおこなわれるようになった。遺伝子工学という新しい分野では、遺伝子を複製して、ホルモンやインターフェロンなどの物質を大量につくりだしている。

2. 外科学

20世紀後半にはいると、かつては不可能だと思われていた手術が可能になった。切断された腕をつなぎあわせる手術が成功した。現在では手足の指をつなぎあわせるような細かい手術もおこなわれている。顕微鏡をみながら、神経や血管をつないでいくのである。さらに、人工関節や人工臓器、臓器移植によって、患者の体の働きを回復することもこころみられている。レーザーも、1970年代、糖尿病の患者を失明からすくう手術にはじめて成功したことから、治療への利用がふえている。てんかんの治療は現在、脳の損傷個所をとりのぞく治療がおこなわれている。

3. 感染症

ドイツのエールリヒは、日本人の秦佐八郎の助けを得て、梅毒の治療薬、アルスフェナミンを発見し、サルバルサンと名づけた。1932年、ドイツのドーマクが発見したサルファ剤は、ペニシリンが登場するまで、感染症のもっとも有効な治療薬であった。ペニシリンは28年、イギリスのフレミングが発見し、イギリスのフローリーとチェーンが、薬としてつかえるように完成した。結核の治療薬ストレプトマイシンをはじめ、抗生物質が次々に発見され、治療にとりいれられるようになった。しかし20世紀後半には、在郷軍人病のように抗生物質に抵抗する細菌による病気やエイズ(後天性免疫不全症候群)などの新しい病気があらわれ、感染症の治療はますます複雑になった。

抗生物質はウイルスには効果がない。そのため、ウイルス性の病気の治療の中心はワクチンということになる。ワクチンは、1930年代に組織培養の技術が開発されてウイルスをふやすことができるようになってから、大きく進歩した(免疫法) 。小児麻痺、はしか、おたふく風邪、風疹のワクチンがつくられている。80年代前半には、遺伝子工学を利用して、B型肝炎、インフルエンザ、単純型ヘルペスなどのワクチンも開発されている。

4. 脳の働き

人間の体で、最後まで未知の領域としてのこされた中に脳があった。しかし20世紀になると、脳の仕組み、働き、刺激のつたわり方が解明された。電気的・化学的刺激がいっしょになって神経から神経へ情報がつたわること、脳下垂体からホルモンが分泌されて、体の各部の生理機能を調節していることも明らかになった。これによって、感情と化学物質に関連があることがわかり、てんかんやパーキンソン病の治療への応用が可能になった。

5. 免疫

20世紀以前は、細菌などに感染したときに血液中にその病原菌に抵抗する物質(抗血清)ができるということしかわかっていなかった。1901年、ラントシュタイナーが血液型を発見、30年代に抗体の働きが明らかにされ、何種類かの抗体が発見された。とくに、免疫グロブリンEの発見は、アレルギーの研究を前進させた。また、50年代には、オーストラリアのF.M.バーネットやイギリスのメダワーによって免疫機構の研究がすすみ、血液型の違いによる輸血事故、臓器移植の問題点などがうかびあがってきた。リンパ球も免疫の働きをもつことが発見され、それまでわからなかった免疫が関係する病気の謎がとけるようになった。また、健康な近親者の骨髄から造血幹細胞をとって移植する治療法が開発されている(骨髄移植)。

6. ビタミンとホルモン

ビタミンとホルモンの発見も、20世紀医学に大きな影響をあたえている。栄養の分野では、ビタミンの存在ははやくから知られていたが、ビタミンという名は1912年、ポーランドのC.フンクによりつけられた。以後、多くのビタミンが発見され、その働きが明らかになると、脚気、くる病、貧血などが予防できるようになった。

内分泌腺の働きに関する知識が豊富になるにつれ、さまざまなホルモンが発見された。とくに1923年、カナダのバンティングとC.ベストがイヌの膵臓からとりだしたインスリンは、糖尿病の治療に革命をもたらした。日本の高峰譲吉は、1901年、アドレナリンの結晶化に成功している。

7. 一般国民の健康に対する意識

新しい病気、複雑な病気があらわれると、医学は高度な機械、費用のかかる医療に力をいれるようになってきた。それにつれて、国民個人個人の健康に対する関心が高まり、自分の健康は自分でコントロールしようという傾向が強くなってきた。家庭医学の本が数多く発行され、体の働きと病気への理解がすすみ、とくに予防への関心が強くなっている。

8. 現代医学の課題

医学の使命は、個人の病気を治療することだけではない。個人の属する集団、社会全体の健康を維持することが、大事な課題である。日本は世界一の長寿国であるが、長生きも健康でなくては意味がない。それには、社会の健康管理が重要になってくる。また、たとえ不治の病気にかかっていようとも、生活の質を高くたもちたい。そのような観点から、最近ホリスティック医学ということがいわれるようになっている。これは、健康を体の面からだけではなく、精神的な面からもみて全体的にとらえていこうとする考え方である。(1)医療がただの科学になり、命をひきのばすためだけのものになっていると批判し、患者と医療者の関係をみなおそうという立場、(2)西洋医学に、東洋医学や心身医学、食事療法などを併用していこうという立場、(3)精神的・心理面からも人間をとらえようという立場がある。

病気との戦いは、人類の登場とともにはじまり、近年は格段の進歩をとげている。臓器移植、人工臓器、人工授精、体外受精、遺伝子治療など、自然の摂理をこえる治療もおこなわれるようになっている。それだけに、医師と患者の間にはより強い信頼関係がなくてはならない。医師が基本的な精神をわすれたために、医療ミスがおこることもある。患者は弱い立場であってはならない。患者自身、健康と医療に対する意識を高めるべきであろう。高度な医療が可能になってきている現代こそ、行政、医師、製薬会社の倫理感が問われる時代である。

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