| 検索ビュー | ローマ神話 | 項目ビュー |
| I. | プロローグ |
建国伝説の時代からキリスト教を国教とみとめるころの時代まで、古代ローマ人が保持し、実践していた超自然的な事象に関するさまざまな信仰や儀式をあらわす神話。初期ローマ人固有の宗教は、のちの時代にさまざまな信仰が混入したり、ギリシャ神話と同化することによってかなり変形してしまったため、正確に再現することはできない。こうした変化は、文学の伝統がはじまる以前にすでに生じていたので、初期ローマ人の信仰の実際については、前1世紀の教養人ウァロを始めとする初期ローマ研究者にはほとんど知られていなかった。いっぽう、ウァロと同時代に、神話・伝説をひきながら祭日や祭礼を説明した「祭暦」の著者ウェルギリウスは、ローマ時代におけるギリシャ文化の一大中心地アレクサンドリアでの思想・宗教に大きな影響をうけていた。ウェルギリウスをはじめ、ローマの伝統の隙間をうめるためにギリシャ風の考えをあてはめる著述家は多かったのである。
| II. | ローマ人の神々 |
古代ローマの儀式では、神々を2つの階級に明確に区別している。ひとつはローマ国家の固有の神々で、その名称と性質には、最初期の神官の称号や暦の上で定着した祭りがあらわされている。こうした30の神々は特別の祭祀(さいし)であがめられていた。もうひとつは、歴史時代に崇拝されるようになった、外来の神々である。
| 1. | 初期の神々の原像 |
初期の神々の中には、収穫などのさまざまな活動をおこなうときに名前をとなえられる、特殊で専門的な神の一団がいた。耕作や種まきなどの行為をともなう古い儀式の断片からわかることは、各作業のすべての段階においてそれぞれ別々の神の名がとなえられ、各神の名称は、その作業をあらわす動詞から適宜つけられたことである。こうした神は、付随的または補助的な神という一般的名称のもとに分類でき、偉大な神の名といっしょにとなえられていた。
| 2. | 神々の特徴 |
神々の特徴と祭祀をみると、初期ローマ人は農業社会の一員だっただけではなく、戦いずきで多くの戦争をした民であったことがわかる。神々は、日常生活に必要な物や行為をあらわし、適切な儀式と供物が丁重にささげられていた。
たとえば、ヤヌスは扉を、ウェスタは炉を、ラレスは四つ角や道路や海路や家を、サトゥルヌスは種まきを、ケレスは穀物の生長を、ポモナは果実とその栽培を、コンサスとオプスは収穫をつかさどった。神々の支配者として威厳のあるユピテルでさえ、その雨の力で農園とブドウ畑に恵みをもたらすということで敬意をはらわれた。またユピテルは雷を武器にするため、広範囲にわたる支配力によって、ローマ国外での軍事活動におけるローマ人の保護者とされていた。
このほか初期の時代で傑出していたのはマルスとクイリヌスだった。マルスはローマ人が農耕民族から好戦的民族に変化するにつれ、農耕神から戦争神へとかわっていった。クイリヌスは、元来は前753年に都市国家ローマが建国されたといわれる以前の前10世紀ころからクイリナリス丘に居住していたサビニ人の豊穣神だったが、サビニ人がローマ人と和解してローマ市民となったときに、主神にくわえられ戦争神となったとされる。
| 3. | 新しい要素の導入 |
最初期の神々の中で、とくに高い位置にいたのは、ユピテル、マルス、クイリヌスの3神、そしてヤヌスとウェスタだった。初期の時代には、これらの神はほとんど個性がなく、ギリシャの神々とちがって擬人化されていなかったので、活動に関する記述は少ない。結婚をめぐる関係や系図も欠落していた。この時代の崇拝には、ローマの伝説上の第2代の王ヌマ・ポンピリウスが関係してくる。この学問と知恵にたけた王は、泉と出産の女神エゲリアを妻としてしたがえ、ことあるごとに助言をもとめていたと信じられていた。しかし、新しい要素も比較的はやい時期につけくわえられた。たとえば、ローマ地域において最高の地位につくことになった。ユピテル、ユノ、ミネルバの三大神確立の伝説は、王家タルクイニウス家からはじまったとされる。そのほかの新たな要素は、アウェンティヌス丘におけるディアナの崇拝と、神託を記録した予言書「シビュラの書」をギリシャから導入したことだった(→ シビュラ)。これによりギリシャの神話との接点がみいだされただけでなく、この予言書はのちのローマの祭政に大きな影響をあたえることになった。
| III. | ローマ以外の神々 |
ローマ国家が周辺に領土を拡大していくにつれて、被征服地の土着の神々は吸収されていった。ローマ人はこのような征服地の神に、ローマ国家にとっては特別な存在だった以前の神と同じ栄誉をあたえた。多くの場合、新しく獲得された神は、正式にはローマの新しい聖地に居をおくようもとめられた。さらに、ローマが発展するにつれて多くの外国人がやってきたが、彼らは自分たちの神々を崇拝しつづけることを許可された。
また、征服地の拡大は、ディアナ、ミネルバ、ヘラクレス、ウェヌス(ビーナス)などといったローマの神々の崇拝をひろめるのにも貢献した。この中にはイタリアの神もいれば、その起源をギリシャにさかのぼる神もいた。ギリシャの神々と、それに類似した重要なローマの神々は同一視され、特質と神話がひきつがれた。対応しない神々はギリシャ名をラテン名にかえて、ローマ神話にとりいれていった。
| IV. | 神々の祭り |
ローマの宗教暦は、征服地の神々とその祭儀に対するローマの寛容ぶりを反映していた。もともとローマ人の宗教祭祀は数が少なかった。もっとも古いもののいくつかは、原始農民の豊穣と贖罪の儀式の痕跡をとどめながら、キリスト教がローマ帝国の国教となるころまで生きのこった。新しい神々の帰化をしるすために新しい祭りが導入されていったが、あまりに多くの祭りが採用されたため、会議や裁判をひらける平日のほうが少なくなったほどである。ローマの宗教儀式で重要な祭祀には、サトゥルナリアやルペルカリア、軍神マルスをたたえる祭り、百年祭などがあった。
サトゥルナリアは、冬至をはさむ12月17日~23日の7日間おこなわれた。すべての仕事は中断され、奴隷は一時的な自由をあたえられ、贈り物が交換され、陽気なお祭り騒ぎが各地でくりひろげられた。ルペルカリアは田園と牧人の神ルペルクス(ファウヌスの別名)をたたえる古代からの祭りで、パラティヌス丘のルペルカルの洞窟で2月15日にいわわれた。
パラティヌス丘は、ローマの伝説上の建国者である双子のロムルスとレムスが狼(おおかみ)にそだてられたと考えられた場所でもあった。ロムルスとレムスに関係するローマの伝説には、ほかにファウストゥルヌスの伝説がある。ファウストゥルヌスは、雌狼の洞穴の中で双子を発見して家につれかえったとされる羊飼いで、妻のアッカ・ラレンティアに双子をそだてさせたという。
マルスをたたえる祭りは、軍事行動が開始される3月と終止期の10月にもよおされた。3月にはマルスの神官団サリイが戦争の踊りを披露し、10月にはマルスの祭壇のあったカンプス・マルティウス(マルスの馬場)で2頭立ての戦車競争がおこなわれた。百年祭には、見世物競技と人身供犠の両方がふくまれていた。時期は不規則だが、およそ1世紀に1回、新しい時代の開始を記念するためにひらかれた。
| V. | ローマの神殿 |
ローマにある神殿の数と建築も、他の宗教に対するこの都市のひろい受容性を反映している。カンプス・マルティウスにあるイシスとセラピスの神殿は、エジプトの神イシスのギリシャ化された崇拝に場所をあたえるため、エジプトの資材と様式で建造されたもので、ローマの宗教建築の多様性を象徴するものであるといえる。もっとも注目すべき神殿は、ユピテル・カピトリヌス神殿とパンテオンである。カピトリヌス丘にあるユピテル・カピトリヌス神殿は、前509年に完成してユピテル、ユノ、ミネルバにささげられた。はじめはエトルリア様式でたてられ、ローマ帝国のもとで再建や修復を数回かさねたが、最終的には455年にバンダル人に滅ぼされた。パンテオンは皇帝ハドリアヌスの在位中(117~138)にたてられ、すべての神にささげられた。607年にキリスト教会となり、現在ではイタリアの国家記念物となっている。
| VI. | ローマの宗教の衰退 |
ギリシャ神話の神々の擬人的な特質がローマの宗教へ移行し、ローマの人々の間にギリシャ哲学が普及すると、古来からの儀式はますます軽視されるようになった。前1世紀には、古くからの聖職者の職の宗教的重要性は急速におとろえた。貴族のつとめとしてこれらの聖職者を儀式にまねく多くの人々は、政治的必然性のほかには何の信仰ももっておらず、教育をうけていない大勢の人々は、しだいに異国の儀式に興味をもっていった。にもかかわらず、大神官と卜占(ぼくせん)官の地位は、相かわらず人気の高い政治職だった。
旧制度の徹底的改革と修復が、自らも聖職者階級の一員となった帝政ローマ初代皇帝アウグストゥスによって実行された。かりに、かつての儀式は精神性とほとんど無縁であり、神に儀式をささげれば身の安全があたえられるというにすぎなかったとしても、儀式によって敬神と宗教的修練は促進されていた。したがってアウグストゥスは、国内の秩序をまもる手段として儀式をそだてた。この時代に、トロイア戦争の英雄アエネアスによるローマ建国伝説が、ウェルギリウスの「アエネーイス」によって有名になった。
アウグストゥスによりはじまった改革にもかかわらず、帝国におけるローマの宗教は、ますます皇帝家に集中していき、ついに皇帝は死後に神格化されるようになる。こうした神格化は、帝国の確立以前にカエサルによってすでにはじまっていた。皇帝のアウグストゥス、クラウディウス1世、ウェスパシアヌス、ティトゥスも神格化され、ネルウァの統治(96~98)ののちには、ほとんどの皇帝が神格化されていった。
いっぽう、ローマ帝国の国民の心はしだいにギリシャ・ローマの神々からはなれて、エジプトの女神イシスの崇拝、ミトラス教の崇拝など、東方起源の諸宗教が人気をえて普及していった。
ネロからディオクレティアヌスの時代までつづいた迫害にもかかわらず、キリスト教は着実に改宗者をふやし、コンスタンティヌス1世のもとで313年にミラノ勅令によってローマで公認された宗教となった。そして、392年、テオドシウス1世によってすべての異教の崇拝は禁じられ、キリスト教は国教となった。