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ファシズム
I. プロローグ

ファシズムは「戦争と革命の世紀」となった20世紀にあらわれた「大衆国家の独裁」であり、その思想(イデオロギー)、運動(大衆的社会運動)、体制(国家)をさす包括的な一般概念である。19世紀から20世紀にいたる大きな時代の転換とともに生じた大衆民主政治(マスデモクラシー)の出現と、伝統的諸制度の崩壊の恐れとが、政治に危機をもたらしていたが、この2つの要因が、ファシズム出現の歴史的前提であった。独裁者たちが最初にいったことは、国家における断固たる権威的指導の確立と、信従と団結の新たな体制の建設であった。

II. ファシズムの出現

もともとファシズムという言葉は、イタリア語で「結束」を意味するfascioからきており、その語源は、古代ローマの執政官の権威の標(しるし)だった束かん(棒をたばねた間から斧(おの)の刃をみせたもの)にある。それが政治用語になったのは、1919年、ムッソリーニが組織した「戦闘ファッシ」(ファッシ・ディ・コンバティメント。ファッショはファッシの単数形)においてである。

この組織がのちにファシスト党に発展し、1922年、ローマ進軍によって政権を獲得し、ここにファシズム国家、ファシズム体制が成立する。このように、ファシズムは言葉も政治組織も、まずイタリアに生まれたから、それをあくまでイタリアに固有の歴史現象とする規定もありうるが、のちにナチスの第三帝国、スペインのフランコ体制などの出現をみたヨーロッパのみでなく、東アジア(日本の天皇制ファシズム)や、南アメリカ(アルゼンチンのペロン体制、ブラジルのバルガス体制)などでも類似の体制が続出したことをみれば、この限定は不適切であるといえる。

III. 出現の背景

ファシズムには、立憲主義と議会政治の否認、全体主義、軍国主義、急進的ナショナリズムの高唱、独裁者への個人崇拝、力の礼賛、単純な適者生存原理の信仰といった信念体系の共通性がある。

またその出現の背景には、(1)第1次世界大戦後の資本主義経済の全般的危機とロシア革命があり、(2)それらが国内にも階級対立、政治対立を激化させ、(3)この国内対立が、農民や中間階級の都市プロレタリアートへの敵意を深め、(4)その間にあって、インテリ層は無力感からニヒリズムにおちいる一方、国家の神話や人種理論などの政治宣伝(プロパガンダ)が、マス・メディアをとおしてくりかえされる結果、民衆の排外的熱狂があおられ、(5)軍部とむすんだ独占資本が、対外進出(侵略)によって経済危機の回避をはかるといった、共通の歴史的状況がある。

こうみるなら、第1次世界大戦後の大混乱の中で、まず最初にムッソリーニ政権を誕生させたイタリアは、ファシズムが世界史の舞台に登場する突破口であったといえるし、第1次世界大戦後の経済的破局の中で成長し、政権掌握後わずか半年で、いっきょに全体主義的独裁を樹立した(1933)ドイツのナチズムは、ファシズムの極限形態であったといえる。

IV. ファシズムの特性

ファシズムは、転換期の危機に反響した、かなりの一般性をもった大衆的社会運動のひとつの展開パターンであり、その帰結として生みだされた現代国家のひとつの理念型でもある。この理念型が現代文明の悪のモデル、つまり、ネガの理念型であることはいうまでもないが、それはファシズムの特性がまさにアンビバレンス(矛盾)、あるいは不条理にあることをみることによってしか解明しえないであろう。

たとえば、運動の基底にある保守的感情と、はげしい現状変革の欲求との結合(疑似革命的様相)が、ファシズムのなによりも顕著な特性である。商店主・職人・農民・ホワイトカラーなど新旧の中間諸階層を中心にして、社会各層のマージナルな分子(マージナル・マン)の体制への不満や、現状打破のエネルギーを広範に結集して登場し、当初は暴力行使を運動の中心にすえ、制服を着用した部隊による示威行進など、多かれ少なかれ軍隊的な運動形態をとりいれることも特有である。

確立したファシズムは、こうした本来のファシズム運動と既存の支配勢力の親ファシズム部分との複雑な同盟によって体制になる。体制の定着とともに内部の急進部分(ドイツの突撃隊長エルンスト・レームや、日本の北一輝など)が排除され、テクノクラートの優位と、技術的・軍事的近代化の貫徹がみられるようになり、表面の文明化がすすむほど内面の野蛮が高進するアンビバレンスも、ファシズムにおいて顕著である。

V. 日本のファシズム

日本の場合、ドイツやイタリアにおけるような大衆運動とその政党組織は薄弱で、明らかに独裁者を欠いていたから、「軍国主義」はあったが、ファシズムがあったとはいえないという見方もある。しかし、1930年代の日本も、資本主義国家としての危機を共有していたし、独占資本とむすびついた軍部官僚が権力をにぎっていった。軍部内の皇道派青年将校や血盟団のような民間右翼の、革新運動やテロ行為(五・一五事件や二・二六事件や血盟団事件など)をテコにして、政党・議会、ならびに国民の自由な言論を圧殺しつつ、最後に国家総動員法を成立させて軍部独裁の基礎をつくり、40年以降、大政翼賛会というかたちで一党体制を確立したのである。

その経過は、日独伊三国同盟をむすんで、自由主義・社会主義国家との世界戦争に突入し、拡大膨張するメガ・ステート(巨大国家)をひたすらめざした経過とともに、まぎれもなく日本ファシズムの足跡をものがたっている。ただその場合、日本にはドイツ、イタリアの2つの先行モデルがすでに存在していたという条件が特殊であった。そのモデルを媒介にして、国家総動員体制である全体主義国家へと跳躍し、キャッチアップしたのである。指導者原理や、独裁者崇拝はこの場合、省略可能であったのだといってよいであろう。