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| III. | 後漢王朝 |
23年に王莽が反乱軍に殺されたあと、群雄割拠をへて、25~36年に光武帝(劉秀)が再統一をはたし、漢王朝を再興した。
後漢は前漢の諸制度をほぼそのまま継承し、2代明帝、3代章帝にかけて最盛期をむかえた。しかし、4代和帝の治世から、ふたたび外戚・宦官たちが国政に介入するようになった。その弊害は年をおうごとに大きくなり、彼らに反対する清流とよばれた官僚たち(宦官を濁流とよぶ)は、166年と169年の2度にわたる党錮の禁によって朝廷からおわれ、あるいは殺された。
彼らの専横によって後漢王朝は統治能力をうしない、184年に黄巾の乱とよばれる農民の大反乱がおこった時、もはや反乱鎮圧のためのじゅうぶんな軍事力はなくなっていた。乱の鎮圧にあたった地方豪族は、以後朝廷から独立して私兵で武装するようになり、力をたくわえて群雄化し中国はふたたび分裂時代へとむかっていく。
220年、14代献帝は、後漢末動乱期の群雄のひとり曹操の子で魏王の曹丕(そうひ)に帝位をうばわれ、漢王朝は滅亡、これより中国は魏・呉・蜀の三国時代にはいっていく。