封建制
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封建制
III. 日本の封建制

日本で封建制の語がもちいられるようになったのは江戸時代のことで、荻生徂徠、太宰春台、頼山陽らの知識人は同時代の政治体制を中国の封建制と類似したものと考えた(儒学的封建制概念)。これに対し、明治期にヨーロッパの歴史学が日本に導入されると、ヨーロッパ中世のFeudalism(フューダリズム)に「封建制」の訳語があてられ、鎌倉幕府と御家人の関係にこの西洋的封建制概念がもちいられるようになった。さらに昭和になってマルクス主義的な歴史学がひろまると、その影響をうけて封建制=農奴制として理解されるようになり、現在ではヨーロッパ中世の農奴制を基本的な視点として、およそ以下のように考えられている。

すなわち、主従関係をむすぶ領主たちが支配階級として政治権力を構成し、自立的な生産者である農民から高率の年貢・夫役などをとる。このような関係を基本になりたっている社会体制が封建社会であり、その社会を規定する制度を封建制(封建制度)とするものである。

日本史では、今日おこなわれている古代・中世・近世・近代の4区分法の中の中世と近世をひろく封建社会とするが、中世に封建制が社会全体を規定するほど発展していたかどうかについては、さまざまな説がある。大きくわけると、(1)平安後期に成立する荘園制のもとでの小農民と、それを支配する大土地所有者としての荘園領主の関係を封建制の具体的な展開とみるもの、(2)南北朝期以降の荘園制崩壊過程にみられる小農民経営の進展と、それをもとにした領主の成長を主従制の形成ととらえ、それを封建制の展開とみるもの、(3)16世紀末の豊臣秀吉による太閤検地によって、それまでの家父長的大経営が否定され、小農民経営(=農奴)を権力の基盤とする幕藩制社会の出現で封建制が確立したとみるもの、などである。

また国家権力を封建制の中にどのように位置づけるか、あるいは中世社会と近世社会との差異をどのようにとらえるのかなどについても、さまざまな説がある。日本における封建制の終期については、江戸幕府の崩壊、すなわち明治維新とするのが一般的だが、ヨーロッパでは中世封建制と近代資本主義との間に絶対主義とよばれる一時期があり、日本の明治政府を絶対主義政権とする考えもある。