| 検索ビュー | 卓球 | 項目ビュー |
| I. | プロローグ |
テーブルの上でネットをはさんで2人または4人の競技者が、小さな軽いセルロイド製(またはそれと同質のプラスチック製)のボールを小さなラケットでうちあう競技。
| II. | ルールおよび用具 |
テーブルの大きさは274cm×152.5cmで、床上からテーブル上面までの高さが76cmになるように設置される。テーブルは高さ15.25cmのネットで2つのコートに区切られ、中央に縦にひかれた白線(センターライン)はダブルス競技のときにだけつかわれる。ボールは直径3.8cm、重さ2.5gで、以前は白にかぎられたが、現在はオレンジイエローのものもある。ラケットの形は自由で、大きさ、重さにも制限がなく、木製で、細かい突起のついた、あるいはなめらかなラバーで表面がおおわれている。
卓球はテニスと同じく、ネット越しにボールを相手コートにうちあう競技であり、一方がボールをうちそこねたり、ボールをネットにかけて相手コートに入らなかったり、テーブルの外に出したりした場合は、それぞれ相手のポイントとなる。正規のサービスは、平らにひらいた手のひらの上にボールをのせ、上方に16cm以上なげあげて、おちてきたときにうつ。ボールがまずサーバー側のコートにふれたあと、テニスと同様に競技がつづけられるが、レシーバーは、ボールがテーブルにふれてから、うちかえさなければならない。サービスがネットにふれて相手方のコートにはいったり、レシーバーが直接ボレーした場合などは「レット」とよばれて、やり直しとなる。
サービスは、得点の和が5点になったときに交代し、以後5点ごとに交代する。最初に21点をとったほうが勝ちとなる。20対20のジュースになったときは1点ごとにサービスを交代し、2点を先取したほうが勝ちとなる。エンド(コート)はゲームごとに交代する(最終ゲームではどちらか一方が10点を先取したときにエンドを交代)。試合は3ゲームあるいは5ゲームマッチでおこなう。打球がネットやエッジ(コートの縁の上側)にふれるいわゆるネットボールやエッジボールは、有効である。ボールがテーブルのエッジではなくてサイドにあたったと審判が判断したときは、その打球をうったほうがポイントをうしなう。
ダブルスの場合は、次の点がシングルスとはことなる。まず、サービスは右側のコートから相手方の右側のコートにださなければならない。そして、各プレーヤーは打球を交互にうたなければならない。得点が5点になるまで同じプレーヤーがレシーバーになり、ついでポジションをかえて5得点がはいるまで他方がサービスをする。特定のプレーヤーが特定の相手にうつ順序は、ゲームごとに交代し、最終ゲームでは一方が10点を獲得した時点で交代しなければならない。
| III. | 歴史 |
卓球の起源はイギリスにあり、ローンテニスを楽しんでいた者たちが、雨の日の時間つぶしにダイニング・テーブルの上で有り合わせの用具をつかっておこなったのが始まりとされる。1900年ごろにゴムやコルクのボールがセルロイド製のボールにとってかわられるようになると、この競技はイギリスやアメリカで盛んになっていった。初期のゲームは、さまざまな名でよばれていたが、擬声語からとられたもっとも一般的だったピンポンという名は、その後、商標登録された。室内競技としての人気は急速にすたれたが、22年ごろに、卓球をスポーツとして再生させようという運動が世界各地で同時におこった。26年に5カ国があつまってベルリンで開催された会議の結果、国際卓球連盟(ITTF)が設立された。
約140カ国のメンバーからなる国際卓球連盟は、2年に1回開催される世界卓球選手権大会を主催し、男子団体、女子団体、男子単・複、女子単・複、混合の計7種目があらそわれる。1960年代から80年代の前半までは中国がおもに優位を占めており、日本、スウェーデン、ハンガリーがときおり優勝するという状態だった。しかし、88年に卓球がオリンピックの正式競技に採用されてからは、韓国とスウェーデンも世界のトップグループにくわわった。
日本に卓球がつたわった最初の記録としては、1902年(明治35)、高等師範学校教授の坪井玄道がイギリスからもちかえったというものがある。21年(大正10)に大日本卓球協会が設立され、28年(昭和3)に国際卓球連盟に加盟した。戦後は49年に国際卓球連盟に復帰し、52年に初参加したボンベイでの世界選手権で4種目に優勝という快挙をはたした。
以来、男女ともに世界のトップレベルを維持してきたが、近年は中国の前陣速攻とヨーロッパ勢のシェークハンド攻撃の前に生彩を欠いている。