| 検索ビュー | マンハッタン | 項目ビュー |
| I. | プロローグ |
アメリカ合衆国ニューヨーク市の5自治区のひとつで、区のほとんどがマンハッタン島に位置する。ニューヨーク市の経済的な核であるマンハッタンは、商業・金融・文化・製造業・医学・観光などの世界有数の中心地である。北と北東はブロンクス区をへだてるハーレム川、東はクイーンズ区とブルックリン区をへだてるイースト川、南はアッパー・ニューヨーク湾、西はニュージャージー州との間をながれるハドソン川にかこまれる。区域には、ブロンクス内の小さな飛び地マーブルヒル、大規模な団地があるルーズベルト島などイースト川の島々、アッパー・ニューヨーク湾内のガバナーズ島がふくまれる。面積は87.28km²。人口は153万7195人(2000年)。
マンハッタンは巨大な金融の中心地で、世界的な大銀行や証券会社をはじめ、ニューヨーク証券取引所やアメリカ証券取引所などが集中している。多数の大企業の本社や工場もあるが、製造業の重要度は近年、低下傾向にある。おもな工業は衣服・印刷・食品加工である。国際貿易および国内の取り引きの拠点でもあり、広告業や保険業、ラジオ・テレビ放送は、経済の重要な部門となっている。
マンハッタンはニューヨーク大都市圏における高速輸送網の中核をなす。区内の大量旅客輸送機関としては、広範な地下鉄網とバス路線網、スターテン島との間のフェリーがある。主要な自動車橋には、イースト川にかかるブルックリン橋、マンハッタン橋、ウィリアムズバーグ橋、クイーンズボロ橋、ブロンクス区やクイーンズ区とむすぶトライボロ橋、ハドソン川をこえてニュージャージー州にいたるジョージ・ワシントン橋がある。トンネルでは、ハドソン川に建設されたホランドとリンカンの両トンネル、イースト川の底をとおるクイーンズ・ミッドタウン・トンネルとブルックリン・バッテリー・トンネルがある。高速道路が島の東岸と西岸の一部をめぐっている。
| II. | 都市景観 |
マンハッタン島は、東西方向にはしるストリート(丁目)と、南北方向にはしるアベニュー(街)によって、碁盤の目状に区画されている。また南から北へ、ダウンタウン、ミッドタウン、アップタウンに大きくわけられる。有名な街路として、金融の中心地ウォール街、ファッショナブルな店や美術館などがたちならぶ五番街、高級住宅と高層オフィスビルがならぶパーク・アベニュー、都市の街路としては世界有数の長さをほこるブロードウェーなどがある。
| 1. | 建造物 |
マンハッタンの景観を特徴づけているのは、林立する高層オフィスビル群である。高層ビルのほとんどは、ダウンタウンのロワー・マンハッタンおよびミッドタウンに集中する。名高いのはミッドタウンにあるエンパイア・ステート・ビル(1931年、381m)、クライスラービル(1930)、シティコープ・センター(1977)などだが、なかでももっとも目だっていたのは、マンハッタン島南端近くにある世界貿易センターのツインタワー(ミノル・ヤマサキ設計。1972~73年完成、ともに110階、高さ417m、415m)である。しかしこの2棟の超高層ビルは、2001年9月11日にアメリカをおそった同時多発テロの際に、2機のハイジャック機に激突され、おしくも倒壊してしまった。
このほか、20以上の高層ビル群からなるロックフェラー・センター(1931年着工)、スポーツアリーナがはいったマディソン・スクエア・ガーデン(1968年建造)、国連本部ビル(1947~53)、いくつもの劇場からなる舞台芸術のためのリンカン・センターなどが知られる。また、細部はフランス・ルネサンス様式で全体的にはアメリカ風の市庁舎(1802~11)、細部にゴシック様式をとりいれた高層のウールワースビル(1913)、青銅と青銅色のガラスでおおわれたシーグラムビル(1958)なども興味深い。1980年代にはIBMビルやAT&Tビルなど多数の斬新な超高層ビルと世界金融センタービルがたてられ、ハドソン川に近いミッドタウンには大規模な会議用の施設が建築中である。
多数ある宗教建築物の中では、ローマ・カトリックの聖パトリック大聖堂(1879年建造、塔は88年)、トリニティ教会(1697、1846年再建)世界最大級のゴシック様式の聖堂である聖ヨハネ大聖堂(1892年着工、塔は1980年代と90年代も建築続行中)、大規模なゴシック様式の建造物リバーサイド教会(1930)などがとくに著名である。
| 2. | 住宅地域 |
民族や社会的階層による住み分けが、いくつかの居住地域にみられる。ロワー・マンハッタンには、イタリア系・中国系・ヒスパニックの人々の居住区がある。セントラルパークの北側に位置するハーレムには、黒人とヒスパニックの大規模な居住区がある。ヒスパニックの多くは、ワシントン・ハイツとインウッド地区のあるマンハッタン北部にもすんでいる。区の南部には、芸術・文化活動が盛んなグリニッチビレッジやソーホー地区がある。1980年代には、マンハッタン島の先端部近くの埋め立て地に広大な居住・商業地区バッテリー・パーク・シティが建設された。
セントラルパーク東側、パーク・アベニューと五番街の一部をふくむアッパー・イーストサイドは、マンハッタンでも高級住宅地として知られる。セントラルパークの西側、リバーサイド通りの一部をふくむアッパー・ウェストサイドも主要な住宅地域である。
| III. | 教育と文化 |
マンハッタンは教育と文化でも世界の重要な中心地である。区内の高等教育機関には、ニューヨーク市立大学のシティ・カレッジ(1847年創立)とハンター・カレッジ(1870)、コロンビア大学、リンカン・センターにあるフォーダム大学、ニューヨーク大学、ペイス大学(1906)、ロックフェラー大学、イェシーバ大学のほか、ユニオン神学校、ゼネラル神学校(1817)、アメリカ・ユダヤ教神学校のような宗教の学校がある。音楽・演劇・絵画などの専門教育は、ジュリアード音楽院、マンハッタン音楽学校(1917)、アメリカ演劇芸術アカデミー(1884)、視覚芸術学校(1947)でおこなわれている。
主要な文化施設としては、メトロポリタン美術館、ニューヨーク近代美術館、グッゲンハイム美術館(1990~92年に改修・拡張)、ホイットニー美術館、フリック・コレクション、ピアポント・モーガン図書館、クーパー・ヒューイット博物館、国際写真センター、ハーレム・スタジオ博物館、ユダヤ博物館、ニューヨーク市立博物館、ハイデン・プラネタリウムを付属館としてもつアメリカ自然史博物館などがある。
ミッドタウンのブロードウェー周辺には大劇場があつまっている。タイムズ・スクエアをふくむこの地域には、映画館も多い。マンハッタンは著名な芸術団体の本拠地でもある。ニューヨーク・シティ・オペラ、メトロポリタン・オペラ、ニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団、アメリカン・バレエ・シアター、ニューヨーク・シティ・バレエ団は、いずれもマンハッタンに本拠をおいている。ニューヨーク公共図書館は研究用図書館として世界的に知られている。
マンハッタンに数多くある公園のうち最大のものがセントラルパークで、1850年代にフレデリック・ロウ・オルムステッドとカルバート・ボーによって設計された。園内には動物園(1864年開園、正式名称はセントラルパーク野生動物保護センター)、野外劇場、数カ所の池や大きな貯水池、レクリエーション施設などがみられる。ほかにバッテリー公園、ワシントンスクエア公園、リバーサイド公園、中世ヨーロッパ美術の博物館クロイスターズのあるフォート・トライオン公園などがある。
| IV. | 歴史 |
マンハッタンという名称は、古くからこの島に居住していたアメリカ先住民アルゴンキンの「丘の島」を意味する言葉に由来する。1524年にはイタリア人航海者ジョバンニ・ダ・ベラツァーノが、ヨーロッパ人としてはじめてこの島をおとずれたとされる。
1609年、オランダにやとわれたイギリスの航海者ヘンリー・ハドソンがひろく探検をおこなった。それにもとづいてオランダはこの地方の領有権を主張し、24年、ニューアムステルダムとよばれるオランダの交易所をマンハッタン島の南端に設立する。さらにオランダのニューネーデルラント植民地総督ピーター・ミニュイットは、自国の権利を確実なものにするため、26年、60ギルダー(約24ドル)相当の品物と引き替えに先住民からこの島を手にいれた。ニューアムステルダムはニューネーデルラント植民地の行政の中心地になった。
1664年にイギリスはニューネーデルラントを攻略し、同年、チャールズ2世はマンハッタン島をふくむ広大な地域を弟のヨーク公(後のジェームズ2世)にあたえた。ニューアムステルダムはヨーク公に敬意を表してニューヨークと改称される。73年にオランダに奪還されたものの、1年後にはウェストミンスター条約によりイギリスに譲渡された。
18世紀を通じ、ニューヨークは北アメリカのイギリス植民地における重要な商業の中心地に発展した。マンハッタン島の南端に位置するバッテリーは要塞(ようさい)化され、入植地は北にむかって拡大していった。その後、イギリスからの独立をもとめるアメリカの愛国者たちの活動拠点のひとつになった。1776年、アメリカ軍はこの地域からの撤退を余儀なくされ、ニューヨークはアメリカ独立革命がおわるまでイギリスの占領下におかれる。
1785~90年にニューヨークは連邦政府の所在地となり、90年の人口はおよそ3万3000人をかぞえた。92年には最初の証券取引所が開設され、まもなく国内最大の金融および商業の中心地へと成長した。19世紀にはいると、ヨーロッパからの移民の流入によってニューヨークの人口は1810年で約9万6000人、50年で約51万5500人と劇的に増加した。さらに南北戦争後、マンハッタンは空前の速度で発展していく。
1874年、それまでマンハッタン島内にかぎられていたニューヨークは、現在ブロンクス区の西部を構成しているウェストファームス、モリサニア、キングスブリッジを合併し、ブロンクス区の残りの部分も95年に吸収する。そうした中でブルックリン、クイーンズ、スターテン島などとの合併の気運も高まり、98年1月1日、マンハッタンとブロンクスは拡大・統合されたニューヨーク市の別々の区になった。