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核兵器
I. プロローグ

核反応(核化学)で放出されるエネルギー(核エネルギー)を利用した兵器。ミサイルなどの運搬手段が核弾頭と一体化している場合は、ミサイルなどをふくめて核兵器ということがある。核兵器は、原子爆弾(原爆)と水素爆弾(水爆)に大別される。区別は、前者の場合、エネルギーを放出する核反応がおもに核分裂であるのに対し、後者では、それがおもに核融合である。

II. 核開発の歴史

1938年、ドイツの化学者オットー・ハーンは、フリッツ・シュトラスマン、リーゼ・マイトナーとともに、中性子を照射することによりウランの核分裂を発見した。この成果をうけつぎ、フレデリック・ジョリオ・キュリー(ジョリオ・キュリー夫妻)は核分裂の際に大きなエネルギーが放出されることを実験でしめし、また、フェルミは、1個のウラン原子核の分裂で2~3個の中性子が放出され、その放出された中性子が周囲のウランを核分裂させることにより、核分裂反応が連鎖的に持続されうることを指摘した。そして、この核分裂の連鎖反応は、フェルミの指導のもとにつくられたシカゴ大学の原子炉において、42年12月はじめて実証された。この実験の成功により、原子力エネルギーの利用の第一歩がしるされた、といえる。

1. 原子力の軍事利用

原子力エネルギーを軍事目的に利用する研究もほぼ同時期にはじまった。1939年、アインシュタインは、アメリカ大統領フランクリン・ルーズベルトに、ナチス・ドイツ(ナチズム)の核兵器開発の可能性への憂慮の念を表明するとともに、核開発の重要性、緊急性をうったえた。これにより、アメリカでの核開発は開始され、42年6月には、大統領の承認のもと、陸軍工兵科内に原子爆弾開発計画を遂行する特殊任務の管区(通称「マンハッタン管区」)が設置された。ここに、いわゆるマンハッタン計画が強力に推進されることになった。

2. マンハッタン計画

この計画は、陸軍工兵隊のレズリー・グローブス准将を長とし、フェルミ、オッペンハイマー両物理学者、ハロルド・ユーリー化学博士など高名な学者の総力をあつめ、アメリカの国家事業として推進された。核分裂物質として着目されたのは、ウラン235とプルトニウム239であった。ウラン235は、天然ウランから分離する方法がとられ、1943年からテネシー州オークリッジで製造がおこなわれた。プルトニウム239については、42年のシカゴ大学での核分裂の連鎖反応実験成功をもとに、生産のための原子炉がワシントン州ハンフォードにつくられ、44年に操業を開始した。

3. 原子爆弾の完成

この間、1943年春には、ニューメキシコ州のロスアラモスに原子爆弾の設計・製造のための研究所(ロスアラモス国立研究所)がつくられ、オッペンハイマーを所長にむかえている。生産されたウラン235とプルトニウム239は、45年ここにあつめられ、ただちに核兵器の製造がはじまった。こうして製造された史上初の原子爆弾は45年7月16日、ニューメキシコ州アラモゴードにもうけられた鉄塔上で爆裂した。その威力は、TNT爆薬(爆発物)19ktに相当した。7月25日、トルーマン大統領は日本への原爆投下の命令をくだし、8月6日広島上空で「リトルボーイ」(ウラン235型爆弾)が、同月9日、長崎上空で「ファットマン」(プルトニウム239型爆弾)が投下されるにいたった。

III. 核分裂兵器―原子爆弾(原爆)
1. 核分裂物質

核分裂兵器用の素材には、おもにウラン235(ウラン)とプルトニウム239(プルトニウム)が共用されている。ウラン235は、天然ウランから分離する方法がとられているが、天然ウランの中にウラン235は、0.7%しかふくまれておらず、残り99.3%は重いウラン238で、化学構造の近似した両者の分離は容易ではない。そこで、両原子のわずかな重量の差を利用して、分離がおこなわれる。

また、プルトニウム239は、ウラン238からつくられる。ウラン238は、原子核が中性子の衝撃をうけると、より重いウラン239に変化し、これがベータ崩壊(放射能)してネプツニウム239になる。このネプツニウム239がプルトニウム239に変質する。

2. 核分裂と連鎖反応

これらの核分裂物質(ウラン235やプルトニウム239)の原子核が中性子の作用によりほぼ同じ大きさの2つの原子核に分割されることを核分裂という。このとき放出される2~3個の中性子はさらに次の核分裂をひきおこすことができる。このようにして原理的には、1個の中性子が核分裂の連鎖反応の引き金となり、瞬時(100万分の1秒)のうちに多くの核分裂がおこるとともに大量のエネルギーが放出される。

3. 臨界量

核分裂兵器が兵器としての破壊力をもつには、この連鎖反応が維持されなければならないが、放出された中性子がすべて核分裂に作用するわけではなく、一部は系外ににげだしたり、別の核反応に消費されたりする。中性子が不足すると核分裂の連鎖反応は不能となる。たとえば、ウラン235の場合、ゴルフボールほどの大きさでは、多くの中性子が表面からにげだし、周囲からの補充でもたりず連鎖反応をつづける能力がうしなわれる。これに対し、野球ボール程度の大きさのウラン235となると、多くの中性子がうしなわれても、球体の別の部分からの補充により、連鎖反応を持続できる。このような、連鎖反応の継続に必要な最小限の核分裂物質の量を臨界量という。

実際の臨界量は、核分裂物質の種類や純度、形状、圧縮度などによってきまる。また、核分裂物質を中性子反射体でかこみ、事前の中性子の逃げを少なくするなど、中性子の消失をふせぐことにより、臨界量を小さくすることができる。

なお、核兵器の威力は、核分裂兵器も次にのべる核融合兵器もともに、その核爆発で放出されるエネルギーと同量の爆発エネルギーを放出するTNT爆薬の量で実現される。たとえば、20ktの核兵器は、TNT爆薬2万tが発生させるエネルギーと同量のエネルギーを発散させる。

IV. 核融合兵器―水素爆弾(水爆)

核分裂にかわり、水素などの軽い元素の原子核が融合する際に放出されるエネルギーを利用した兵器が水爆である。水素の同位体である重水素(ジュウテリウム)と三重水素(トリチウム)の原子核が核融合反応でヘリウム原子核になる際に大量のエネルギーを放出する。核融合エネルギーの放出量は、核分裂の場合よりも少ないが、同量の物質にふくまれている原子の量は多い。それゆえ、水素同位体0.5kgの核融合による放射エネルギーは、TNT爆薬換算で29ktにおよび、同量のウランの場合の約3倍にあたる。

核融合反応は、超高温によってひきおこされるため、熱核融合反応ともよばれるが、現在のところ地球上でこのような超高温度を発生させる手段は、核分裂反応による以外にない。そのため、核融合兵器(水爆)は、自動的に核分裂兵器(原爆)を内蔵させることになる。つまり、水爆の引き金として原爆がもちいられるということであり、原爆の開発がなければ、水爆の実現も不可能であったということでもある。

1. 水爆実験

アメリカは1951年春に太平洋のエニウェトク環礁で予備実験を、52年10月に数メガトンの水爆実験をおこない、54年3月1日には、ビキニ環礁で15メガトンの水爆実験をおこなった(ビキニ水爆実験)。この54年3月の実験では、放射性降下物(いわゆる「死の灰」)の威力が、世界の耳目をあつめた。すなわち、実験場から160kmはなれた海域で操業していた、静岡県焼津を母港とするマグロ漁船「第五福竜丸」が「死の灰」をあび、乗組員の久保山愛吉が死にいたるのである(この「第五福竜丸事件」が、日本の原水爆禁止運動の出発点となり、広島原爆投下からちょうど10年後の55年8月6日、広島で第1回原水爆禁止世界大会が開かれる)。

このほか核兵器には水爆の周囲にウラン238を配し、ウラン238の核分裂により爆発力を強化した3F爆弾や、通常の水爆に工夫をくわえ、初期放射線のとくに中性子の効果を高め、爆風効果や熱線効果をおさえた中性子爆弾がある。

V. 核兵器の効果

核兵器は、核爆発にともない、火球(火の玉)、爆風(衝撃波)、放射線などを発生させ、さまざまな形でその威力をふるう。

1. 熱効果

核爆発は瞬時に、超高温の巨大な火の玉を発生させる。10メガトンの核兵器が空中爆発した場合、その最大直径は、4.8kmに達する。火の玉は、熱線と放射線を放出しつつ、急速に膨張をつづけるが、上昇の際の空気抵抗により、ドーナツ形に変形し、やがてきのこ雲(放射能雲)を形成する。この火の玉の放出する熱線により、核兵器は最初の威力を発揮する。熱線エネルギーの効力は、大気の状態にも左右されるが、10メガトンの核弾頭の空中爆発により発生した火の玉は、少なくとも32km以内の人間の露出した肌に、2度以上の火傷をもたらす。

また熱効果は、木材、紙、繊維などの可燃性有機物をこがして炭化させ、あるいは発火させ、人的・物的損害を高める。現実に兵器として利用された広島でも、熱線はいたるところで建物などをもえあがらせ、山林の大火災を思わせる火の嵐(あらし)となってすべての可燃物をやきつくし、広島は、さながら焦熱地獄と化したのであった。

2. 爆風効果

火の玉内部で高温によって生じた気体の急膨張から、衝撃波が発生し、外に広がる。火の玉と同じ速度で膨張していた衝撃波面は、火の玉の温度が3000°Cに低下するころ(といっても、時間にして爆発後1秒以内で)、火の玉面から離脱し、強力な爆風として急速に広がる。

核爆発の爆風は、直接、間接に建造物などに損害をあたえる。空中爆発の場合、まず上空爆発地点から地上にむけて、風速40m級の爆風が直接的に襲来する。爆風が地表に達すると反射波を発生させ、直接波と反射波が重なりあう状態になる。これをマッハ効果といい、これにより、通常、直接波の2倍の風速のマッハ軸が形成される。マッハ軸の通過とともに、地上の建造物は、地面と平行の風速80m/秒級の横風にみまわれることになる。

さらに、その後、火の玉の急上昇にともない、強烈な上昇気流が発生する。この吹き戻しとよばれる地上風は、爆心地点では、風速100m/秒にも達し、被害をさらに甚大にする。

地表面における爆風効果は、核弾頭の威力、爆発高度、爆心からの距離によりことなる。広島に投下された原爆(TNT爆薬20ktに相当)の場合、最大限の効果がえられる爆発高度は、550mということであった。弾頭威力が大きくなればなるほど、最大破壊力を生む爆発高度は高く設定される。

3. 放射線効果

核爆発は、熱線のみならず放射線を放出する。この放射線は、通常の熱効果とはまったくことなり、深く生体にはいりこんで、放射線障害という人体に重大な障害をもたらす。放射線効果は、空中爆発の場合、爆風効果や熱効果よりも相対的に被害は少ないといわれるが、広島、長崎の被爆例にみられるとおり、後々長く放射線障害をおよぼしつづける点で、きわめて非人道的な効果である。

通常の核弾頭では、爆発エネルギーに占める放射線エネルギーの比率は約15%である。このうちの5%は爆発後1分以内に発散される初期放射線であり、中性子とガンマ線からなる。両者はいずれも物体に浸透するので、この効果をふせぐには分あつい防護材料が必要である。

残りの10%は、残留放射線とよばれ、火の玉の急上昇とともに形成されるきのこ雲から地上に降下する放射性降下物(フォールアウト)により発散される。この放射性降下物が、いわゆる「死の灰」である。「死の灰」は、おもにベータ線とガンマ線からなり、一部に未反応の核分裂物質からでるアルファ線がふくまれる。

「死の灰」はさらに、24時間以内に降下する初期放射性降下物と、その後降下する後期放射性降下物に二分される。地上爆発では、前者がより重大な影響をおよぼすのに対し、高空爆発では、長期間かつ広範囲に降下する点で、後者がより重大である。

VI. 核兵器の拡散

すでにのべたアメリカの核開発は省略し、各国の核開発の歩みをおえば、まず、ソ連(現、ロシア)が1949年8月に、原爆実験に成功し、アメリカの核独占をうちやぶった。52年10月には、イギリスが最初の原爆実験に成功し、3番目の核兵器保有国となっている。

ソ連は、当初は核開発や核兵器の運搬手段の開発でアメリカに後れをとっていたが、1950年代の中ごろまでにはアメリカにおいつき、逆においこす場面もみられた。53年8月に乾式水爆をアメリカに先んじて開発している(前年アメリカがエニウェトク環礁で実験をおこなった水爆は、液体を使用した湿式水爆だった)。また、57年8月のICBM(大陸間弾道ミサイル)の開発、同年10月の世界初の人工衛星スプートニク打ち上げの成功も、ソ連の一歩先行をしめすものである。

1960年2月には、フランスがサハラで最初の原爆実験に成功し、64年10月には、中国が原爆実験に成功し、5番目の核保有国の仲間入りをはたした。

また、インドが1974年5月地下核実験をおこない、70年代後半に南アフリカ共和国が核兵器を保有したことが知られている(南アはその後、破棄したと声明)。そのほかイスラエルが、アメリカの軍事・技術援助で核武装していることはまちがいないといわれる。

1998年5月、パキスタンは同月にインドがおこなった地下核実験に対抗して、最初の核実験を成功させ、さらに2006年10月、北朝鮮が地下核実験をおこなった。

軍縮:核実験:核拡散防止条約:包括的核実験禁止条約:原爆ドーム