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核開発の歴史 |
1938年、ドイツの化学者オットー・ハーンは、フリッツ・シュトラスマン、リーゼ・マイトナーとともに、中性子を照射することによりウランの核分裂を発見した。この成果をうけつぎ、フレデリック・ジョリオ・キュリー(→ ジョリオ・キュリー夫妻)は核分裂の際に大きなエネルギーが放出されることを実験でしめし、また、フェルミは、1個のウラン原子核の分裂で2~3個の中性子が放出され、その放出された中性子が周囲のウランを核分裂させることにより、核分裂反応が連鎖的に持続されうることを指摘した。そして、この核分裂の連鎖反応は、フェルミの指導のもとにつくられたシカゴ大学の原子炉において、42年12月はじめて実証された。この実験の成功により、原子力エネルギーの利用の第一歩がしるされた、といえる。
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原子力の軍事利用 |
原子力エネルギーを軍事目的に利用する研究もほぼ同時期にはじまった。1939年、アインシュタインは、アメリカ大統領フランクリン・ルーズベルトに、ナチス・ドイツ(→ ナチズム)の核兵器開発の可能性への憂慮の念を表明するとともに、核開発の重要性、緊急性をうったえた。これにより、アメリカでの核開発は開始され、42年6月には、大統領の承認のもと、陸軍工兵科内に原子爆弾開発計画を遂行する特殊任務の管区(通称「マンハッタン管区」)が設置された。ここに、いわゆるマンハッタン計画が強力に推進されることになった。
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マンハッタン計画 |
この計画は、陸軍工兵隊のレズリー・グローブス准将を長とし、フェルミ、オッペンハイマー両物理学者、ハロルド・ユーリー化学博士など高名な学者の総力をあつめ、アメリカの国家事業として推進された。核分裂物質として着目されたのは、ウラン235とプルトニウム239であった。ウラン235は、天然ウランから分離する方法がとられ、1943年からテネシー州オークリッジで製造がおこなわれた。プルトニウム239については、42年のシカゴ大学での核分裂の連鎖反応実験成功をもとに、生産のための原子炉がワシントン州ハンフォードにつくられ、44年に操業を開始した。
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原子爆弾の完成 |
この間、1943年春には、ニューメキシコ州のロスアラモスに原子爆弾の設計・製造のための研究所(ロスアラモス国立研究所)がつくられ、オッペンハイマーを所長にむかえている。生産されたウラン235とプルトニウム239は、45年ここにあつめられ、ただちに核兵器の製造がはじまった。こうして製造された史上初の原子爆弾は45年7月16日、ニューメキシコ州アラモゴードにもうけられた鉄塔上で爆裂した。その威力は、TNT爆薬(→ 爆発物)19ktに相当した。7月25日、トルーマン大統領は日本への原爆投下の命令をくだし、8月6日広島上空で「リトルボーイ」(ウラン235型爆弾)が、同月9日、長崎上空で「ファットマン」(プルトニウム239型爆弾)が投下されるにいたった。
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