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| IV. | オペラの人気 |
生まれたばかりのドイツ・オペラは、17世紀後半から18世紀初頭まではイタリア・オペラに圧倒されていた。1678年にオペラ劇場が開設されたハンブルクが中心地となり、ラインハルト・カイザーが100以上のオペラを残したが、彼の死後、ドイツのオペラ劇場はイタリア人の作曲家と歌手に支配されていった。
イタリア・オペラはイギリスでも人気があったが、1700年前後に書かれたイギリス人作曲家ジョン・ブローの「ビーナスとアドーニス」と、パーセルの「ダイドーとイニーアス」もしばしば上演された。この2つのオペラはイギリス宮廷で上演されていた仮面劇が発展したもので、フランスとイタリアのオペラの要素、すなわち、リュリの器楽合奏の手法と、感情表現のためのアリアやレチタティーボがとりいれられていた。ドイツ生まれの作曲家ヘンデルはイギリスで成功し、20年代~30年代には、40のオペラをイタリアのスタイルで作曲した。そののち彼はオペラを書かなくなり、オラトリオの作曲家に転じる。
18世紀になると、オペラはカメラータの時代とはまったくことなるものになり、さまざまな人工的な要素がとりいれられるようになった。たとえば、イタリアでは少年を去勢して声を高音域にたもつよう工夫し、成人後の肺活量を生かした、よくとおるするどい声が高い人気をよんだ。こうした歌手はカストラートとよばれ、演技のよしあしではなく、うつくしい声と名人芸的技術で評価された。その結果オペラは、華麗なアリアが次から次にうたわれるようになった。アリアはA—B—Aからなるダ・カーポ形式で、歌い手はAの部分をくりかえしたあと、即興でうたうことになっていた。