金(鉱物)
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金(鉱物)
VII. 日本の産金
1. 奥州の黄金

最初の産金の記録は、「続日本紀」の749年(天平21)2月の項にみられ、現在の宮城県遠田郡にあたる陸奥国国司から、砂金採取の報告があったとしるされている。4月には陸奥から金13kgが貢金として京にとどけられた。東大寺の大仏の金めっきには、150kg前後の金がつかわれたという。奥州藤原氏3代約100年間に、合計約10t(年平均約100kg)の砂金がとれたとつたえられている。

平安時代には、金鉱脈が多く存在する東北地方から、ひきつづき砂金の採取がつづけられた。12世紀に建立された平泉の中尊寺金色堂は、当時の盛んな産金を象徴するものである。また、このころ日宋貿易が盛んになり、日本は金を大量に輸出していた。元(げん)の時期の中国にきたマルコ・ポーロが、「東方見聞録」の中で日本について「黄金の国ジパング」と紹介したのは、金色堂のうわさをきいたためだといわれる。室町時代にはいっても、明や朝鮮への金の輸出はつづいた。

2. 近世以降

16世紀から17世紀初めにかけて、産金は盛んにおこなわれるようになり、佐渡金山の開発が江戸幕府によってすすめられた。佐渡金山は、江戸期には合計40tの金を産出した。17世紀半ばごろには薩摩藩の山ヶ野金山が佐渡金山とならんで全国屈指の産金量を記録している。しかし、その後産金はふるわなくなった。明治期に政府により新しい技術を導入するなどの努力がなされたが、産金量は17世紀中葉のそれにはおよばなかった。

やがて1940年には鉱山からの産出量は27tに達するが、60年代にはいると10t台に、80年代には3t台に減少した。しかし、85年7月に採掘がはじめられた鹿児島県の菱刈金山は、金の含有量がいちじるしく高く、有望な鉱床として注目されている。90年代半ば、鉱山からの金産出量は8t台になった。

3. 総産金量

日本の産金量は、奈良時代から安土桃山時代にかけて255t、江戸期に100t、明治初期から1980年代末にかけて1250t、合計1605tと推定される。古代から世界で採掘された金の総量は約10万tと推定され、日本は世界の1.6%の金を産出したことになる。