発達心理学
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発達心理学
II. 発達観と発達理論

「発達」といえば常識的には子供が大人になることである。これまでの発達心理学も最近まではそのような常識的な発達観の上にくみたてられてきた。それは要するに、誕生した子供が年齢とともに「何ができるようになるか」を問うことである。

1. 遺伝・成熟説

このような常識的な見方の背後には、時間とともに能力が向上する、よりよい状態にむかって変化するという、素朴な「うつくしく力強い」発達観が暗黙のうちにあったといってよい。身体の成長、運動能力の向上、認知能力の向上などはまさにこの発達イメージに合致する。この発達イメージを裏づける理論として登場してきたのがゲゼルらのとなえる遺伝・成熟説、つまり前もって遺伝子にプログラムされているものが時間経過の中で発現してくるという考え方である(前成説ともいわれる)。たしかに誕生した乳幼児の身体的、運動的な変化や新しい行動の型の出現は、平均的な個体をみるかぎり、この説でかなりのところまで説明できるようにみえる。

2. 経験説

これに対してピアジェは、すべての行動が新規にあらわれるわけではなく、ある行動がより高次の行動へと発達的に変化していくことに注目し、その際の主体の経験を重視した。彼は、子供が手持ちのシェムにあわせて世界を同化するいっぽう、逆に世界にあわせてシェムを変形・調節し、シェムの協応によって新しいシェムをかたちづくるというように、子供自らが世界にはたらきかけながら新しい行動を形成していく様子を克明に記述した。ピアジェのこの経験説は、子供の能動性を重視した発達の力動的な様相をとらえるうえで重要な意味をもち、教育界にも多大な影響をおよぼした。

3. 後成説

しかし発達理論としてみるとき、ピアジェの経験説とゲゼルの遺伝・成熟説はけっして矛盾するものではない。同じ能力向上的な発達イメージにもとづいているところにもうかがえるように、むしろ両方の説は相互に補完しあって個体の能力発達を説明しているとみるべきだろう。そのことは後のワディントンの遺伝・環境(経験)相互作用説(後成説ともいわれる)によくあらわれている。

ところで、年齢とともに「何ができるようになるか」ではなく、「どのような問題をかかえこむようになるか」と問うてみると、まったくことなる発達観があらわれてくる。誕生した子供は、周囲の他者(親やその社会)の願いや期待、賞賛や叱責(しっせき)、肯定や否定、優しさや厳しさに翻弄(ほんろう)されながら人生をおくっていかざるをえない。その過程は能力が向上して世界がひろがるという肯定的な表の面ばかりでなく、葛藤を増大させ困難をより多くかかえこむという否定的な裏の面をあわせもっている。それは前にあげた、うつくしく力強い発達のイメージとはかぎらず、むしろ、きびしくつらい発達のイメージをふくみ、しかもそれは生涯全体をおおっている。

4. 人格発達段階説

このようなペシミスティックともいえる発達観にたって人格発達の輪郭をえがいたのが、精神分析を創始したフロイトであった。エリクソンはそれを下敷きに、人の生涯を8つの段階(ライフ・サイクル)にわけ、それぞれのサイクルが固有の心理的危機をかかえるという人格発達段階説をとなえた。それは健康な発達のプロセスと病理的な発達のプロセスを同時に説明する理論であり、また今日の生涯発達論の先駆けとなるものであった。

ライフ・サイクルによって人生を区分する発達論は、各サイクルが個体の能力的節目を基盤にしながらも、そこに社会文化的要因(学校制度や慣習など)をふくむ点において、そのまま発達の社会文化理論でもある。そこにビゴツキーの「社会文化的なものが個人の意識を規定する」という発達理論を重ねると、今日、コールやワーチが主張する生涯発達の社会・文化・歴史的アプローチが生まれてくる。

5. 関係論的アプローチ

他方、エリクソンの説く各サイクルの心理的危機はなによりも周囲他者との関係に規定されるものである。そこに今日、R.N.エムデらの主張する関係論的アプローチが合流する理由がある。発達を間身体的、間情動的な関係論的視点からみる必要をはやくから説いていたのはワロンであったが、そのワロンの思想は一面ではこのエリクソンの人格発達段階説に、したがってエムデの関係論的アプローチに重なるところがある。そして、葛藤をかかえつつ生きる人の人格に注目することによって、自己性の発達論がスターンやコフートらによって主張されるようにもなった。

発達理論はこのように個体能力発達論と生涯人格発達論とに大別することができる。そしてその理論上の違いは、研究者がどのような発達イメージをえがくかの違いとむすびついている。