| カール大帝 | 項目ビュー | ||||
| 印刷するには、[ファイル] メニューの [印刷] をクリックします。 | |||||
| IV. | カールの政策 |
カールは帝国の各地に官僚である伯を派遣して軍事・行政を担当させるとともに、さらにこまかく教会管区をもうけてキリスト教の聖職者である司教を配し、住民行政にあたらせた。地方ごとにことなる言語がつかわれ、また遠距離の情報伝達に不自由する時代だったため、ローマ時代以来の共通語であるラテン語を理解する聖職者の存在は不可欠であり、またローマ教皇を長として西ヨーロッパ全体にひろがっていた教会組織の利用はかくことのできないものだった。ひろい帝国全体におよぶ連絡業務は巡察使がおこなうことになっていたが、官僚と聖職者が一組みで派遣された。宮廷には、アルクインをはじめヨーロッパじゅうから学者があつめられ、ラテン語による教育がおこなわれただけでなく、カールのもとで教会の典礼が整備され、また神の教えを表現する芸術活動が奨励された。これは、今日、カロリング・ルネサンスとよばれている。
カールは、フランクの伝統にしたがって、3人の子を後継の共同統治者に任命したが、そのうち2人はカールの死に先だって死亡した。このため、813年にただ1人のこったルートウィヒ1世を皇帝に任命し、翌814年に死去した。