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船舶
I. プロローグ

船舶は、人や物をのせて水上を航行する乗り物。また、それらの乗り物の設計から艤装(ぎそう:船体の工事と装備)の完了までを造船という。ふつう「ボート」という用語は、小型の船舶をさす場合が多い。ボート

船舶は、造船材料によって木船、合板船、木鉄複合船、鉄船、鋼鉄船、FRP(Fiber Reinforced Plastics:複合材料)船などがあるが、木、FRPが小型船舶にもちいられている以外は、ほとんどが鋼鉄製である。原動力による分類では、櫓櫂船(ろかいせん。人力)、帆船(風力)、機帆船(補助動力付き帆船)、汽船(蒸気タービン、ガソリン機関、ディーゼル機関、原子力)がある。

推進機関では、外輪船、スクリュー・プロペラ船、ウォータージェット船、エアクッション船、超伝導リニアモーター船などに分類される。また用途によって、戦闘を目的とした軍艦のほかに、客船、貨客船、コンテナ船やタンカーのような専用船、漁船、作業船、調査船、巡視船や警備艇のような取締船に分類される。

II. 歴史

文明の発達によって、世界の各地にことなった形態の船が生まれた。ヨーロッパでは、エジプト、ローマ、ギリシャの流れをくむ西洋型が発達し、中東ではアラブ型、東洋では中国型、そして日本では、中国からつたわった造船技術をもとに、日本独特の和船がつくられた。

1. 初期の船

原始時代の人々は、丸太にのって水上を移動したと考えられるが、しだいに丸太をむすびあわせて筏(いかだ)をつくり、水にうくアシのような植物をたばねて舟とし、さらには動物の皮を浮き袋にして筏をつくったことは、じゅうぶんに想像できる。エジプトで発掘された前5000年ごろの花瓶には、パピルスでつくられた葦舟(あしぶね)がえがかれている。前800年ごろのレリーフには、数十個の皮製の浮き袋の上に板をのせた筏の絵がみられる。葦舟は、南アメリカのティティカカ湖(カヌー)で現在でもつかわれている。

2. 古代エジプトの船

2本マストに帆をはったエジプトのガレー船は、前3000年ごろにえがかれた絵で知られている。このガレー船は、少なくとも20人の漕(こ)ぎ手をのせ、数頭の家畜、またはそれに相当する重量の貨物をはこべるほど大きなものであった。船尾からつきだした1本または数本の櫂(かい)か、長い柄の櫂で舵(かじ)をとった。2本以上が舵につかわれる場合には、櫂は交互にとりつけられ、1本の腕木で操作できるようになっていた。その後、マストは1本が主流となり、滑車で帆の上げ下げができるようになった。

3. フェニキアの船

古代のもっとも有能な造船技術者はフェニキア人である。彼らは、当時、競争相手でもあったエジプト人やエーゲ海沿岸の人々がつくった船よりもはるかに大きく、櫂が2列または3列に配置された性能のよいガレー船を、戦闘用に開発したといわれている。また、主として帆をつかって航行する、幅の広い丸船を開発した。丸船は、幅のせまいガレー船よりもずっと大きな貨物スペースがあり、スズの取り引きのためにイギリスや、アフリカ大陸の沿岸にそってはるか南方までいったと考えられている。

4. 古代ギリシャの船

記録はのこっていないが、ギリシャのガレー船の骨格は、現在の造船につかわれるものと同様に、自然にまがった材木からできていたと考えられる。デッキの後ろの端に部屋がつくられていたが、これは船長や高級船員が居住する場所であり、また、彼らの身をまもる場所であった。デッキの先端には、フォクスル(船首楼)とよばれる高い構造物があった。そのほかの特徴は、一連のロープでの補強である。これは、船の周囲を前後方向にくくりつけ、てこで船尾に強くむすびつけるもので、ひとつは、戦闘中にほかの船に衝突したとき、その衝撃にたえられるように船を強化すること、もうひとつは、縦方向のトラス(帆桁をマストに固定する装置)としての機能をはたすことが目的だった。帆をかけるためのマストも1~2本もっていたが、帆は戦闘中はつかわれなかった。ギリシャの軍船の乗組員は約220名で、ほとんどは漕ぎ手であった。

5. 古代ローマの船

ローマ人は地中海支配の歴史の中で、さまざまな種類の軍船を発達させた。敵の船にのりうつるための船橋をもったガレー船や、投石機をつんだガレー船などが発明された。

交易用としては、長さ53m、幅および深さが14mもある巨大な船を建造した。オベリスク(太陽の神を象徴する石柱)をエジプトからローマへはこぶために、これ以上大きな船さえもつくったといわれている。これらの大型貨物船は、3本マストに四角帆をかかげており、メインマストの上にはトップスルをつけていたと考えられる。

ローマの軍船のもっとも発達したものは、ドゥロモーン(大型快速帆船)である。これは1層または2層の櫂の列をもった快速ガレー船で、5世紀ころにつかわれた。この時期以降、軍船は、その当時の海戦で攻撃用武器のひとつだった火矢や爆発物に対し、皮革や酢にひたした布などを船体や甲板にとりつけて、船を防御した。

6. 古代スカンディナビアの船

ローマのガレー船に匹敵する船が、スカンディナビア地方のバイキングとデーン人たちによって開発された。細長い遠洋航海用のもので獣皮で艤装され、櫂と帆の両方で推進する。もっとも小さいものは約30の櫂、大型のものは64ないしそれ以上の櫂があった。

ノルウェーの古墳の中から19世紀の後半に発見された船の遺物は、全長が23.8m、幅が5m、深さが1.8m強のものであった。この丸形の船はスクタとよばれ、基本的には帆船であったが櫂でこぐこともできるもので、バイキングがグリーンランドやアイスランドに遠征したときや、イギリス諸島を侵略したスカンディナビアの王たちにも使用された。スクタは、侵略者を撃退するために、アルフレッド大王にひきいられたサクソン人にもつかわれた。

7. 中国のジャンク

中国では、前2000年ごろから、ジャンクとよばれる帆船を使用していた。ジャンクには河川用と遠洋航海用があり、現在でも東南アジアの人々につかわれている。

ジャンクは、中国独自の技術で開発されたもので、船内を縦横にバルクヘッド(隔壁)によってしきり、水密区画をもうけているのが特徴である。このようなバルクヘッドは、西洋では19世紀まで採用されなかったもので、船を構造的に堅牢にたもっているだけでなく、船体の一部が破損しても、浸水を区画内にとどめ、船を沈没からまもっている。

ジャンクにはキール(竜骨)はなかったが、河川用では、船底の水密区画の中心にとりつけられた重い舵取り櫂、またはラダー(舵)がこの役目をはたしていた。また、遠洋航海用には、船首から船尾にわたって、キールに相当する垂直材料がとりつけられていた。数本のマストには、台形の麻布(アサ)でできた帆が1枚ずつとりつけられ、迅速に上げ下げできるようになっていた。

中国のジャンクは、9世紀ごろまで、インドネシアやインドに交易品をはこんでいた。イタリアの旅行家マルコ・ポーロは、1298年に口述筆記した旅行記「東方見聞録」の中で、「ジャンクは、岩に衝突して浸水しはじめても船がしずまない」と、バルクヘッドの構造を称賛している。ジャンクは、15世紀ころには東アフリカにまで航海している。

III. 中世のガレー船

中世ヨーロッパの船は、ローマのガレー船が発達したものであったが、より長い櫂または大櫂をつかった。これらの櫂の長さは15mもあり、1本の櫂に7人の漕ぎ手がつくこともあった。

漕ぎ手は斜面に段になって配置され、長い櫂をこぐために、てこの力点となるソールまたはピン(櫂受け)は、船の中心線と平行にとおっているアポステスとよばれる木の骨組みの上に、船体の外側でとりつけられていた。古代のガレー船でつかわれ、やがて中世の船に導入されたアポステスは、現在の競技用のボートなどにつかわれている舷外浮材と同じ目的をもっていた。また、アポステスの利用は、船の両側に2列以上のバンク(櫂の列の層)を配置するのにも役だった。

中世にはそのほか、舵の改良もおこなわれた。ローマ人がつかっていた舵取り櫂の代わりに、船尾にぶらさがった固定式の舵の使用である。さらに、中世の末ごろには、嵐の海に適した大きなフリーボード(喫水線から甲板の面までが高い側壁)をつけるようになった。

中世の典型的な軍船はガレー船である。これは、地中海地方の船大工、とくにジェノバやベネツィアの船大工によってみごとな軍船に改良された。長さは30mから60mまでとさまざまで、片側に20本ずつの櫂が配置されていたが、同時に、2~3本のマストにとりつけられた帆で推進した。15世紀ごろからは、船首楼および船尾楼に大砲を装備している。大型のガレー船は、1200人もの人々をのせた。

中世の末ごろまで、帆船は軍事用にも交易用にもつかわれたが、櫂ですすむ船は、おもに軍事用にしかつかわれなかった。しかし15世紀の初めごろになると、各国では軍事用と交易用を区別して船の開発をすすめるようになった。

中世後半の典型的な商船は、キャラック(武装商船)という堅固に建造された3本マストの船で、フォアマストとメインマストには2枚の四角い大横帆がつけられ、短いミズンマストには大三角帆(マストとヤードの両方にとりつけられた三角帆)がつけられていた。そのような船は、武器はごく少量しかつまず、おもに貨物をはこぶように設計されていた。

1. 帆船の時代

中世の末には、大西洋を航海するのにつかわれた北ヨーロッパの船のように、櫂よりも帆が主流となった。しかし、地中海沿岸諸国、とくにイタリアでは、依然としてガレー船をつくりつづけた。1571年のレパントの海戦でトルコとたたかったキリスト教徒の船団は、ほとんどすべてがガレー船で構成されていた。その後、ガリホン船のような、いろいろな種類の櫂と帆の兼用の軍船が地中海地方の国で開発され、1700年代の後半までに、これらの船がガレー船にとってかわった。

2. ヨーロッパの帆船

ヨーロッパ諸国は、多くの種類の帆船を発達させてきた。ポルトガルやスペインで典型的であったキャラベル船は、比較的小さな船で、貨物の積載能力が通常113トンほどで、幅が広い舳先(へさき)と高くせまいプープ・デッキ(船尾楼甲板)をもっていた。そして、3本または4本のマストをもち、そのうちフォアマストだけが四角い帆をつけ、そのほかのマストは三角帆をつけていた。コロンブスがアメリカ探検航海でつかった船は、このキャラベル船であった。

16~17世紀の典型的な軍船は、いわゆる巨艦とよばれるもので、4本ないし5本のマスト、高いフォアキャッスルとプープ・デッキ、および2層以上の大砲が装備されていた。これらの船は、排水量が900トン以上に達し、少なくとも60門以上の大砲が装備されていた。その後、武器の搭載は増加し、とくにイギリスの海軍では100門の大砲を装備した船もまれではなかった。

イギリスのネルソン提督の旗艦であったHMSビクトリー号は、18世紀の半ばに建造されたもので、全長が56.7m、幅が15.9m、排水量が2197トンであった。もっと小型の軍船には、快速船やスループ型砲船、砲装帆走船などがあったが、これらは36門ないしそれ以下の大砲を装備していた。大型船がデッキの下に大砲を装備していたのに対し、これらの船の大砲はデッキの上にすえつけられていた。

そのほか18~19世紀の小型軍船には、ブリッグ、ブリガンティーン、スクーナー、カッター、ラガーなどがあった。現在の海軍の戦艦については、軍艦参照。

2.A. アメリカの船

帆船はしだいに規模が大きくなり、細部の改良がなされてきたが、基本的には、コロンブスの航海以降、3世紀にわたって変化することはなかった。19世紀半ば、帆船時代もおわろうとするころに登場した有名なクリッパー船(快速大型帆船)は、スピードの点でいちじるしい進歩をとげた。

クリッパーの前身ボルティモア・クリッパーは、独立戦争前後に開発されたもので、その速さで国際的な名声を博した。以後、少し改良されて積載量が450トンまで拡大され、英米戦争(1812)後、大西洋横断航路の高速郵便船や旅客船の定期便としてつかわれた。

クリッパーは、交易用帆船としては、スピードと操船性能をもった最高度に発達した帆船であった。細長く、するどい舳先をもったクリッパー船は、アメリカ~中国間貿易やイギリス~インド間貿易のような長距離の交易に活躍した。1849年のカリフォルニアのゴールドラッシュによってもたらされた西海岸と東海岸の間の交易は、高速で航行できる船の必要性を促進した。その結果、この期間のスピード記録は次々とぬりかえられていった。

それまでの最大のクリッパー船は、船舶設計家ドナルド・マッケイによって1853年に建造されたものである。彼の設計したクリッパー船は、大西洋横断やニューヨーク~サンフランシスコ間航海、世界一周航海などで数々の記録をうちたてた。

3. 帆船時代の終わり

アメリカの木造船、とくにクリッパーは、1857年の不況時まで、すべての海洋貿易を支配していた。その当時イギリスは、鉄製のフレームの上を木の板でおおった、いわゆる複合船の建造および鉄船の建造で世界をリードしていた。

イギリスのカティー・サークのような複合船は、1900年ごろまでは世界の海上輸送貨物の大半を担当していたが、蒸気船の高速貨物サービスに対抗できなくなった。しかし、オーストラリア~イギリス間の穀物貿易では、20年代まで帆船がつかわれた。

アメリカの沿岸貿易には、数多くの大型スクーナーが建造され、第1次世界大戦の直後までつかわれた。これらのスクーナーは、4本以上のマストをもち、大量の貨物をはこぶことができた。しかも、比較的少人数の乗組員で操船することができた。最大のスクーナーは、1902年に建造された7本マストのトーマス・W.ローソン号で、5000トン以上の鋼鉄船である。セーリング

4. 蒸気船の時代

蒸気の力を船に利用したもっとも古い記録は、アメリカの発明家ジョン・フィッチが、デラウェア川に小さな蒸気船を進水させた1786年のことである。88年に建造した2番目の蒸気船でフィッチは、時速10km以上のスピードを達成した。アメリカの発明家ロバート・フルトンは、1807年に、はじめて外輪船を建造し、数年にしてこのタイプの船は、イギリスとアメリカの内陸水路および沿岸航路で広範に使用されるようになった。

4.A. 大西洋横断

最初に大西洋を横断した蒸気船は、沿岸定期船を転用したサバナ号で、1819年5月24日にアメリカのジョージア州サバナを出航、6月20日にイギリスのリバプールに到着した。

定期便の就航は1840年で、同年に新しく設立されたクナード・ライン社が、イギリス~アメリカ間の定期サービスを開設した。この船は木製の外輪蒸気船だったが、順風のときにつかうマストとバーク式の帆があった。搭載していた2つのエンジンは合計で1500馬力、船を9ノットで推進した。大西洋横断航路の定期便に就航した最初の蒸気船は、47年に営業を開始したヘルマン号とワシントン号だった。

船の推進力としてスクリューを応用しようとする初期の試みに、1804年、アメリカの発明家ジョン・スティーブンスがつくったツイン・スクリュー蒸気船がある。何回かは成功したが、エンジン製作の難しさから、スティーブンスはそれ以上の実験を中止してしまった。

1836年に、スウィード・ジョン・エリクソン社とブリトン・フランシス・スミス社によって別々に導入されたスクリューは、多くの船にためされたが、なかでも、44年に完成したイギリスのグレート・ブリテン号が有名である。この船は全長が98.2mあり、貨物の積載量はおよそ3550トンだった。1基の2000馬力エンジンによって12ノットで航行した。

このグレート・ブリテン号は、アイルランドの沿岸で座礁し、一冬の間海の寒風にさらされたが、それにたえて、その後なんの損傷もなく離礁した。このことがきっかけとなって、船の材料として鉄をつかうことに対する保守的な偏見はほとんどなくなった。

4.B. 蒸気船エンジンの改良

蒸気船の推進メカニズムはさらに改良がくわえられた。初期の船舶用蒸気機関は、シングル・エクスパンション方式を採用していた。この方式では、ボイラーからでた蒸気をシリンダーに導入し、膨張と排気をおこなっていた。

その後ボイラーが改良され、蒸気圧が増加するにつれて1つのシリンダーから排出された蒸気を、もう1つの低圧シリンダーのパワー・アップのためにつかえば、動力源の全体の効率を高くできることに気づいた。

ダブル・エクスパンション・エンジンとして知られるこの種のエンジンは、あとで、もっと効率のよいトリプル・エクスパンション・エンジンに発展した。最初のダブル・エクスパンション・エンジンは1854年、トリプル・エクスパンション・エンジンは73年に実用化された。

このエンジンによって、蒸気船が燃料の石炭を大量に積載しなければならないという欠点、航海中に何回も燃料の補給をしなければならないという障害をなくし、蒸気船の利用は急速に高まった。

また、スクリューやシャフトが故障した場合、船が立ち往生する危険をふせぐために、スクリューを2基に、のちには3~4基にふやした。1890年代になると、レシプロ蒸気エンジンを蒸気タービンにかえる実験がはじまった。タービンの欠点は、本質的に高速回転の装置であるという点であったが、この欠点は、タービンとシャフトの間に減速歯車をとりつけることで克服され、低速で効率的にスクリューを回転させることができるようになった。

タービンを装備することは、現代の蒸気船では標準となった。そして、同じシャフトにレシプロ・エンジンを結合することもある。現代の多くの船、とくに軍艦では、ターボエレクトリック(タービン発電機を利用した)推力システムが機械的な推進システムにとってかわった。

タービン発動機は、ダイナモ(発電機)をうごかす蒸気タービンでできており、このダイナモが船のスクリューを回転させるモーターをうごかす。ターボエレクトリック推力システムは、推力の調節や逆転などの操作が容易なため、長くて重いシャフトでスクリューを回転させるという、機械的な多くの難問を解決した。

1950年代の後半に原子力発動機が開発され、軍艦および商船の推進力として蒸気を供給するようになった。アメリカが開発した原子力商船サバナ号は、多くの実験航海をおこない、技術的な成功をおさめた。しかしながら、原子力船の操業コストは、従来の船にくらべ、依然として高いままだった。

4.C. 19世紀後半の動力船

ディーゼル・エンジンの発達によって、従来の蒸気発動機よりもはるかに効率の高い船舶用の動力装置を製作できるようになった。効率のよいエンジンをつかうことは、造船ではきわめて重要なことである。なぜならば、効率の高いエンジンは、より少ない燃料でより多くの貨物をはこぶことができるからである。内燃機関

動力船は、一般的にはディーゼル・エンジンをつかった船をさすが、20世紀の初期にはじめて建造された。そのころの動力船は比較的小さかったが、第1次世界大戦後は多数の旅客用大型動力船が建造された。

IV. 新型の動力船

近年、多くの新型船が開発されている。それは、より高速で高効率の輸送手段を追求してきた結果である。従来の船は水を排水するタイプの船である。つまり、水の上ではなくて水の中をつっ切ってゆくものである。

したがって、移動すると波をたてる。そのため、波を克服し、船体と水との摩擦を克服するために大きな原動力が必要となり、速度がはやくなると必要とされる動力は膨大なものとなる。たとえば、5万4431トンの航空母艦は、35ノットで航行するのに28万馬力が必要である。最新の造船技術は、いかにして船を水の表面から浮上させるか、の追求である。

1. エアクッション船

サーフェイス・エフェクト船(エアクッション船)は、エアクッションの上にのってはしる船である。大きな送風機で空気を船の下に噴出すると、船は空気のクッションによって浮上し、水の上を走行する。エアクッションの効果を維持するために、空気のスカートが水の中にまでおよぶ。

エアクッションによって波はたたなくなり、水との摩擦抵抗も小さくなる。その結果、比較的小さな推進力で、水上を高速で走行することができるようになる。これまでに重量が145トンくらいのエアクッション船が建造されたが、もっと小さな船では、100ノット以上のスピードをだすことができる。完全なエアクッション船であれば、平らな地上でとぶことも可能である。

キャプチャード・エアバブル船は、エアクッション船の変形である。この船は、一部は空中に、一部は水中にあって航行する船である。空気を舳先から噴出させ、ちょうつがいになったスカートで噴出方向を調節する。船が水を切って走行するとき、船の重さの一部は気泡でささえられ、残りは水にささえられる。

この方式は、摩擦と波の抵抗を減少させるので、スピードが上昇する。キャプチャード・エアバブル船の原理は小型の船に応用され成功している。

ハイドロキール船は、エアクッション船に似ている。比較的小さな送風機が空気のカーテンを船の下につくるのにつかわれる。空気のカーテンが潤滑油の役割をはたし、水の摩擦抵抗を減少させる。この原理は、平らな底をもつ小型船には有効であることがわかっているが、大型船にはまだ使用されていない。

2. 水中翼船

水中翼船は、エアクッション船とはことなる原理で航行する。水中翼船では、水中の羽根または翼が支柱によって船に固定され、飛行機の翼と同じように船体を浮上させる。スピードが増加するにつれ、水中の翼にささえられて、水面をはなれて走行する。翼は、一部は水面下にあり、一部は水面上にある。したがって、翼はサーフェイス・ピアシング・フォイル(水面をつきすすむ翼)とよばれている。船がはやいほど、水中にある翼の割合は小さくなる。

サーフェイス・ピアシング・フォイルの船はもっとも簡単な種類の水中翼船で、ヨーロッパの川や運河を往復する客船や小型船に広く使用されている。船を浮揚させる翼が完全に水中にあることもあるが、その場合は潜水フォイルとよばれている。浮揚力は翼の角度と船のスピードによってコントロールされる。これまでに水中翼船で100ノット以上の高速が達成されている。

3. コンテナ船とタンカー

船自体には、とくに技術的に際だった改良はなかったが、コンテナ船とタンカーの登場は、貿易に大きな影響をあたえた。コンテナ船は、その中にいろいろな貨物をいれることができる、6 × 2.4 × 2.4mのアルミ合金製のコンテナをはこぶための船で、その経済性としては、ドックにおける労務費の節減、短い往復時間、積荷の損傷の減少、陸上輸送へのより効率的な移動などがある。

第2次世界大戦後に膨大な石油を輸送するために建造されたタンカーは、設計はきわめて簡単なものである。機器類は船尾に集中し、船体の前方はすべて石油を収納するための区画になっている。タンカーは、石油積み出し基地から石油受け入れ基地の間を何回も往復するだけなので、船の機器の多くはコンピューターで自動化され、乗組員も少人数である。タンカーの建造が容易なため、規模はますます大型化していった。さらに、破損による海洋汚染の防止のため、船体を2重にすることが国際的にとりきめられている。今では、数十万トン級のタンカーが数多く外洋を往復している。海運業