東インド会社
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東インド会社
III. イギリス東インド会社

多くの東インド会社のうちもっとも重要な存在で、200年以上にわたりインドの歴史に大きな影響をおよぼした。イギリス東インド会社(East India Company)の最初の特許状は、1600年にエリザベス1世によってあたえられ、このころ「東インド」と考えられたアジア、アフリカ、アメリカにおける独占貿易権がみとめられた。初期には遠く日本まで航海し、1610年と11年には、インドのマドラス(現チェンナイ)とボンベイ(現ムンバイ)に最初の貿易拠点をきずいた。

1609年にジェームズ1世から永久特許状をあたえられ、マレー半島でオランダと競争するようになったが、両国商館間でおきたアンボン事件(1623)ののちは、この地域をオランダに明けわたした。しかし、イギリス東インド会社の武装商船は、以後もオランダ、フランス、ポルトガルの商人と海上での戦争をつづけた。王家の支持をうしなったこともあって一時経営危機におちいったが、ピューリタン革命期の57年に、クロムウェルの命令により、インド貿易の権利をもつ唯一の株式会社として再編された。80年代にベンガル、チェンナイ、ボンベイの城塞化をおしすすめ、それを拠点とする行政区を設立し、長期にわたるインド支配を開始した。

クライブが1751年のアーコットの戦、57年のプラッシーの戦でフランスをやぶってからは、イギリス東インド会社はインドにおける最大勢力となり、61年、フランス最後の拠点ポンディシェリを占拠したことにより、競争相手となるヨーロッパ諸国はインドからすっかり姿をけした。

東インド会社はベンガルのインド人から直接に地税を徴収する権限をえ、それによって莫大な利益をえることとなった。その利益はインド綿布や中国茶の買い付けに投資され、それらを本国へ輸出することでさらに利益を生んだ。

しかし、インド支配を維持するためのたえざる戦争と、社員が私益にはしって不正・腐敗がはびこったことは、現地の産業を極度に衰退させた。苛酷なインド支配の反面、会社の経営は赤字を重ねていった。

1773年、イギリス政府はインド総督職を創設して東インド会社の行政権を大幅に制限し、ベンガル総督ヘースティングズが初代インド総督となった。84年、インド法が成立して東インド会社によるインド支配をイギリス政府が直接監督する体制がつくられ、それから半世紀の間に政府の支配はインド亜大陸のほぼ全域にひろがった。1813年にはインド貿易に関する同社の独占権が廃止され、33年には中国貿易の独占権もうしなった。57~59年のセポイの反乱のさなかの58年、同社が保持していた統治機能はすべて政府の手にうつされ、2万4000人の兵士はイギリス軍に編入された。74年、会社は解散した。