天文学
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天文学
III. バビロニアの天文学

古代に、星座表と有用な暦がエジプト人、マヤ人、中国人などによって発明されたが、バビロニア人はさらに大きな業績をのこした。暦を完全なものにするために、彼らは太陽と月の運動を研究し、新月の翌日の三日月が日没後にはじめてあらわれる日を毎月の始まりとしたのである。この日は観測すればわかることだが、バビロニア人は前もって計算する方法をみつけようとした。前400年ごろ、黄道帯を西から東へと移動する太陽と月の見かけの運動が、一定の速度ではないことがわかってきた。太陽と月は、一周の前半には速度をまし、後半には速度をおとしながらうごいているようにみえる。バビロニア人は当初、前半と後半とにことなる一定の速度をあたえることで、この周期を計算しようとこころみた。のちに数学的なやり方を改善し、月の速度を前半は最小から最大へと直線的に増加し、それから最小へと減少する関数としてあらわした。月と太陽の運動に関するこれらの計算によって、バビロニア人たちは、新月となるときと、新しい月の始まりの日を予測できるようになった。その副産物として、彼らは、月と太陽が毎日どこにあるかを知ることができたのである。

同様の方法で、惑星の位置も、その東向きに逆行する動きとともに計算された。これらの計算をしめす楔形文字をきざんだ何百という粘土板が発掘されている。ユーフラテス川沿いのバビロンとウルの町から発見された粘土板のいくつかには、この計算方法を発明したらしい占星術師、ナブリアヌーあるいはキドゥヌーの名前がきざまれている。