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| IV. | ギリシャの天文学 |
古代ギリシャ人は、天文学の理論に大きな貢献をした。ホメロスは「オデュッセイア」の中で、おおぐま座(→ 北斗七星)やオリオン座のような星座とプレヤデス(→ プレヤデス星団)についてのべ、航海のときに星をどのように道しるべとしてつかったらよいかをかたっている。ヘシオドスの詩「仕事と日々」は、たがやしたり、種をまいたり、収穫するのに適当な時期をしめすために、夜明け前にのぼる星座が季節によってちがうことを農民におしえている。
科学的な研究が、ギリシャの哲学者ミレトスのタレスとサモスのピタゴラスによってなされたといわれているが、彼らが書いたものはなにものこっていない。タレスが前585年5月28日の皆既日食をただしく予測したという話は、たぶんあとからつくられたものだろう。前450年ごろ、ギリシャ人は惑星の運動について有益な研究をはじめた。ピタゴラスの門人のフィロラオスは、中心火の周りを地球、太陽、月、惑星がまわっていて、中心火は地球が間にあるためにみえないのだと考えた。中心火の周りを地球は24時間かけて回転しており、それで太陽と星の毎日の動きを説明している。前370年ごろ、クニドスの天文学者エウドクソスは、観測される運動を説明するのに、球の内面に星をちりばめた巨大な球が地球の周りを1日1回転している、と仮定した。また太陽、月、惑星の運動を説明するために、さまざまに回転する透明な球にそれぞれがはめこまれていて相互につながっている、と仮定した。
もっとも独創的な古代の天体の観測者は、サモスのアリスタルコスだろう。彼は、天にみられる運動は、地球が自分の軸の周りを24時間かけて1回転し、ほかの惑星は太陽の周囲をまわっている、と考えれば説明できるとした。しかし、この説明はギリシャのほとんどの哲学者にうけいれられなかった。多くの人は、地球は大きく重く静止した球で、その周りを天体が回転している、とみなしていたからである。この理論、地球中心説(天動説)には、事実上約2000年間、手がつけられることがなかった。
前2世紀、天文学者ヒッパルコスは1080個の明るい星の位置を測定した。この観測に天の理論をむすびつけたのが、2世紀のプトレマイオスである。彼はヒッパルコスの星図を惑星の運動をはかるための背景としてつかった。エウドクソスの球をもっと融通のきく円でおきかえ、太陽、月、惑星が黄道帯をそれぞれちがう速度で東へとうごいていくようすを説明するのに、共通の中心からずれた所に地球がある円を仮定したのである。太陽、月、そして逆行もふくむ惑星の周期的な速度の変化を説明するために、第2円を仮定し、これらの天体はそれぞれ、この周転円の周囲を一定の速度でまわっている、とした。周転円の中心は第1の円上にある。それぞれの天体ごとに、2つの円運動のための直径と速度を適切にえらぶことで、観測される運動をあらわすことができた。場合によっては第3の円も必要とされた。この方法はプトレマイオスの偉大な著書「アルマゲスト」(→ プトレマイオス体系)の中でのべられており、プラトンの門人ヒュパティアが数学と天文学の話題について注釈している。彼女は最初の女性天文学者であったと考えられている。