| 検索ビュー | コスタリカ | 項目ビュー |
| I. | プロローグ |
中央アメリカ南部にある共和国。正式国名はコスタリカ共和国。北はニカラグア、南東はパナマに接している。東はカリブ海にのぞみ、南西と西には太平洋が広がる。南西沖およそ480kmの太平洋上にうかぶ、深い森におおわれた熱帯の無人島ココ島(ココス島)もコスタリカ領である。総面積は5万1060km²。人口は419万1948人(2008年推計)。首都は最大都市のサンホセ。
| II. | 国土と資源 |
国土のかなり広い地域が、標高約900~1800mの起伏にとんだ高地である。北西から南東にかけて、グアナカステ山脈、セントラル山脈、タラマンカ山脈がつらなる。最高峰はチリポグランデ山(3819m)で、ほかに活火山のイラスー山(3432m)がある。これらの山脈の間にメセタセントラル(中央高原)があり、そこに人口が集中している。
屈曲の少ないカリブ海沿岸には幅広い低地帯がつづく。太平洋側には奥行の深いニコヤ湾をはじめ、水深が深く湾口が広く開いたドゥルセ湾、コロナド湾など数々の湾入がみられる。太平洋岸の平野は狭く、海岸は低湿地帯となっている。最大の河川は、北部のニカラグア国境をながれるサンフアン川である。
| 1. | 気候 |
沿岸部の熱帯気候から内陸高地の温暖な気候まで、地域によって変化にとむ。年平均気温は沿岸部で約32°C、内陸部では約17°C。南部では4~12月、北部では5~10月が雨季となる。年降水量は約2540mmである。
| 2. | 動植物と天然資源 |
国土の46.8%(2005年推計)が森林におおわれ、林産資源の供給源になっている。森林にはコクタン、マホガニー、ヒマラヤスギが多くみられるほか、1000種をこえるランが自生する。ピューマ、ジャガー、シカ、サルなど205種(2000年)の哺乳類が生息し、鳥類も600種におよぶ。
メセタセントラルと河川の流域一帯は、耕作に適している。地下資源は、ボーキサイトや金、銀、ニッケル、石油などがあるが、環境保護のために沿岸地域の石油資源開発を断念するなど、開発はすすんでいない。海岸部ではマグロなどの漁がおこなわれる。ウミガメの漁もおこなわれていたが、規制がかけられた。電力供給は水力発電が中心である。
| III. | 住民 |
白人およびメスティソが人口のおよそ96%を占める。黒人も少数おり、その大部分がジャマイカ系である。人口密度は83人/km²(2008年推計)。全人口の38%が農村部に居住する。公用語はスペイン語だが、高学歴層の多くと一部のジャマイカ系住民は英語も使用する。カトリックが国教にさだめられているが、憲法により信教の自由は保障されている。
| 1. | 行政区分と主要都市 |
サンホセ、アラフエラ、カルタゴ、プンタレナス、グアナカステ、エレディア、リモンの7州にわかれ、各州には大統領が任命する知事がいる。
首都サンホセの人口は32万8293人(2002年推計)。このほか、コーヒーと砂糖の生産拠点アラフエラ(人口23万6197人)、1823年まで行政府がおかれていた商業都市カルタゴ(13万9786人)、商業・港湾都市プエルトリモン(1万8714人)、太平洋岸の海港都市プンタレナス(10万8960人)などがある。
| 2. | 教育 |
コスタリカの識字率は96.3%(2005年推計)で、中央アメリカで最高水準をほこる。初等、中等教育は無償で、6~15歳の子供は就学が義務づけられている。初等学校は3711校(1998年)で、在籍児童数は55万1465人(2000年)。中等学校の在籍生徒数は25万5643人(2000-2001年)である。コスタリカの代表的な大学は、サンホセにあるコスタリカ大学(1843年創立)で、学生数はおよそ2万9000人である。
| 3. | 文化 |
コスタリカはアメリカ先住民の数が少ないため、スペインの文化や伝統が色こくのこっている。家族や教会を大切にするスペインのカトリック文化が国民生活の基盤となっており、町や村では守護聖人(→ 聖人)を記念する祭りが毎年華やかにおこなわれる。楽器は、伝統的にギター、アコーディオン、マンドリンがこのんでつかわれ、音楽にもスペイン色が強くみられる。アメリカ先住民の文化は、宝石、皮革製品、衣類などの装飾デザインにその影響をみることができる。スポーツではサッカーが盛んで、国技となっている。
| IV. | 経済 |
経済は農業に依存してきたが、1960年代以降に製造業が成長し、90年代に入ってコンピューター関連の産業が大きく発展した。エコツアーなどの観光産業も大きな外貨獲得源となっている。国民生活は全体的にラテンアメリカ諸国の中では高水準にあり、中産階級の占める割合が大きい。2006年のGDP(国内総生産:→ GNPとGDP)は222億米ドル、1人当たりは5053.50米ドル(2006年)である。
| 1. | 農業 |
国土の10%(2003年推計)が耕地で、バナナのプランテーションをのぞくと、農業の経営規模は小さい。代表的な農作物はバナナのほか、サトウキビ、コーヒーである。バナナは沿岸地方で生産されるが、これはアメリカ資本のプランテーション栽培である。19世紀末から20世紀初頭にかけて、アメリカのユナイテッド・フルーツ社(現、チキータ・ブランズ・インターナショナル社)が太平洋岸に世界最大のプランテーションを開設し、バナナの輸出港としてケポスとゴルフィトを開いた。コーヒーはおもにメセタセントラルで栽培され、近年は輸出用のパイナップルの生産もふえている。
このほかの農作物に、トウモロコシ、カカオ、米、野菜、タバコ、綿花などがある。牛、豚、ニワトリの飼育もおこなわれる。
| 2. | 鉱工業 |
西部では金と銀が採掘され、マンガン、ニッケル、水銀、硫黄の埋蔵も確認されているが、開発はすすんでいない。石油もみつかっているが、これも未開発のままである。海水から塩が生産されている。
工業の中心はコンピューター関連のエレクトロニクス産業である。1990年代後半に中南米の生産拠点としてアメリカのインテルが進出、現在ではマイクロプロセッサーなどの製品が輸出の大きな柱に成長した。そのほか、化学製品や薬品、紙、繊維製品などの製造、コーヒーやチーズの加工、製材などがおこなわれる。総発電量は2003年で年間77.3億kWh、その79%が水力発電による。原子力発電はおこなわず、地熱発電や風力発電に力をいれている。
| 3. | 通貨と外国貿易 |
通貨単位はコロン(1コロン=100センティモ)。1950年に設立されたバンコ・セントラルが通貨発行銀行で、外貨準備もおこなっている。2003年における輸入総額は73億8814万1100米ドル、輸出総額は58億39万6800米ドルだった。おもな輸出品はマイクロプロセッサーなどのコンピューター部品、バナナ、コーヒー、パイナップル、医療機器、化学薬品、繊維、砂糖など、輸入品は工業用原料、エレクトロニクス用部品、機械類、化学薬品、原油、食料品など。貿易相手国は、アメリカ合衆国、オランダ、メキシコ、ドイツ、日本、グアテマラ、ベネズエラ、ブラジルなどである。
1963年に中米共同市場に参加したことで中央アメリカ諸国との貿易は増大したが、その後、共同市場の重要性はむしろ低下している。95年、ACS(カリブ諸国連合)の設立に参加した。自由貿易をめざす同連合には、CARICOM(カリブ共同体・共同市場)諸国と、カリブ海に面するラテンアメリカ12カ国が参加している。2004年5月にはアメリカと、コスタリカをふくむ中米5カ国が中米自由貿易協定(CAFTA)に調印。カナダ、メキシコ、チリ、ドミニカ共和国やCARICOMと自由貿易協定(FTA)をむすんでいる。
| 4. | 交通 |
鉄道の総延長は950km(2005年)で、サンホセと両海岸地方をむすぶ。道路の総延長は3万5330km(2004年)で、その24%(2004年)が舗装されている。パン・アメリカン・ハイウェーが約680kmにわたって国内をはしる。サンホセは高原地帯にある周辺の諸都市と道路でむすばれている。
航空路では、国内航空会社数社が国内線を運航している。サンホセ近郊にあるフアンサンタマリア国際空港には、コスタリカ航空のほか外国の航空会社がのりいれている。
| 5. | コミュニケーションと労働 |
コスタリカには30局以上のラジオ局と、国営と民放のテレビ局が数局ある。日刊紙はラ・ナシオン、プレンサ・リブレ、ラ・レプブリカなど7紙(2004年)で、発行部数は32万部(1996年)である。電話は1000人当たり321回線(2005年)となっている。
2005年の総労働人口のうち、15%が農業に、22%が製造業に従事している。そのほかは公務員や民間のサービス業などの就労者である。労働運動はあまり活発ではない。
| V. | 環境問題 |
コスタリカの国土は、中央アメリカで1、2をあらそう意欲的な環境保全プログラムによって保護されており、国土の23.5%(2007年)が公園や保護区に指定されている。コスタリカははやくから債務・環境スワップ(外国からの債務を、それにみあう自国の環境保全を実行することで帳消しにしてもらうこと)に積極的にとりくんできた成果である。また、環境保全につとめながら経済力を強化するため、エコツアー・ビジネスを定着させた。これは、「何ももちこまない、何ももちださない」を基本にすえ、旅行者にその土地の自然のすばらしさを紹介し、環境を尊重したツアーによって自然保護の意識を高めようというものである。
しかし、貴重な森林資源をまもろうとする努力にもかかわらず、保護区以外では森林の伐採が進行中である。家畜の放牧場にするため土地を開墾し、樹木を切りはらい、しかも輸出用に貴重な熱帯木材が切りだされている。それによって土壌の浸食がひきおこされ、コスタリカの豊かな生物多様性が危険な状況においこまれている。南北アメリカをつなぐ地峡にあるというその位置と、国土が豊かな熱帯雨林におおわれていたことから、コスタリカにはきわめて多種多様な種が生息してきた。しかし現在では多くの種の個体数が減少しており、絶滅が危惧(きぐ)される種もある。
| VI. | 政治 |
コスタリカでは、1949年に制定された憲法にもとづいて政治がおこなわれている。行政権は大統領と2名の副大統領にあり、正副大統領は国民の直接選挙によってえらばれる。任期4年で再選はみとめられない。得票数が投票総数の40%をこえない場合には、当選とみとめられない。18歳以上の国民に投票が義務づけられている。約20名からなる内閣が大統領を補佐するが、首相はいない。
立法権は一院制の議会にある。議員定数は57で任期は4年、直接選挙によって選出される。おもな政党に、改革派のPLN(国民解放党)とPUSC(キリスト教社会連合党)の二大政党と、2000年にPLNから分派した市民行動党(PAC)、右派の解放運動党(PML)などがある。また、司法機関には、最高裁判所、上訴裁判所、破棄院(最高位の上訴裁判所)のほか、各州ごとに下級裁判所がある。死刑は廃止されている。
| 1. | 厚生 |
平均寿命は男74.8歳(2008年推計)、女80.1歳で、西半球でも上位である。1970年代に国民の健康維持を目的とする諸制度が整備された。しかし、医療衛生設備は都市部に集中している。42年にもうけられた社会保障制度は、65歳未満の被雇用者全員に加入を義務づけている。
| 2. | 防衛 |
正規軍は、1948年に政権をにぎったPLNにより解体され、49年制定の憲法第12条で軍隊(常備)の保有を禁止した。中米紛争中の83年には永世非武装中立を宣言した。4500人の市民警備隊と3200人の地方警備隊が国の安全をになっている。
| VII. | 歴史 |
この地域には前5000年にはすでに人間が居住していた。しかしコスタリカの先住民は人口も少なく、アメリカ大陸各地にみられるような高水準の文明をきずくにはいたらなかった。スペインの軍隊や宣教師が到来したとき先住民ははげしく抵抗したが、中米地峡部をおそった疫病とスペインとの戦いで大量の死者を出し、この地からのがれた者も多かった。
| 1. | 植民地時代 |
1502年にコロンブスがカリブ海沿岸部をおとずれ、コスタリカ(「豊かな海岸」の意)と命名する。しかし、先住民がはげしく抵抗したことと、この地方に金銀がとぼしかったことから、スペインの征服はほかの地域よりもおくれた。61年にカバジョンが植民地化に成功すると、62~65年にバスケス・デ・コロナドがおとずれ、カルタゴをはじめとする入植地を中央平原に建設した。現在もこの地域に人口が集中している。
1570年以降はメキシコシティを主都とするヌエバエスパニャ副王領(→ 副王制)のグアテマラ総督領に属したが、スペイン植民地時代を通じてコスタリカはニカラグアの一地域にすぎなかった。その結果、グアテマラシティから遠く資源にもとぼしいコスタリカは、中央アメリカの他地域にくらべてスペインの直接的な干渉や規制にしばられることが少ないまま発展することができた。こうして、あまりめだつことのなかったコスタリカは、独自性の強い地域となった。
入植したヨーロッパ人は先住民を隷属させることもできず、農業や鉱業で利益がみこめる周辺地域のように、アフリカから奴隷をつれてくる余裕もなかった。そのためコスタリカの人々は小さな土地を耕作して自給自足の生活をいとなみ、ラテンアメリカに共通する極端な貧富の格差は生まれなかった。また、中央アメリカの政治経済の中心地にくらべて、行政府の役人や教会組織の幹部もあまりおとずれなかった。したがって、コスタリカはラテンアメリカの歴史の本流からとりのこされたままだった。
18世紀後半、スペインが農産物のもたらす利益を重視するようになったためタバコ栽培が拡大し、このときはじめて為政者たちはコスタリカに注目するようになる。
| 2. | 国家の形成 |
タバコの輸出によってコスタリカ植民地はうるおい、19世紀初頭には中央アメリカの政治や学問の面でコスタリカ人が頭角をあらわすようになった。1821年、メキシコ帝国にくわわるかたちでスペインからの独立を達成し、24~38年は中央アメリカ連邦に参加したが、のちに同連邦を解体させることとなる内紛に関与することはさけた。
ラテンアメリカ各地にみられた自由主義と保守主義の対立はコスタリカにもあらわれ、くわえてカルタゴ、サンホセ、エレディア、アラフエラなどの都市が主導権をあらそったが、サンホセが優位にたった。1838年、連邦の解体にともない共和国となったが、完全な独立は独立宣言が発せられた48年である。しかし、19世紀中葉において特筆すべきことは、コーヒーが主要な輸出産業に成長したことであろう。
保守派のモラによる独裁政権(1849~59)のもとで、コスタリカは、1855年にニカラグアの大統領位をうばったアメリカの冒険家ウィリアム・ウォーカーに対する抵抗運動を率先して展開した。59年の無血クーデタでモラが退陣すると、トマス・グアルディアに代表される自由主義派の統治がつづいた。
1870年代には、鉄道建設をはじめとするさまざまな公共事業に多額の外国資本が投入された。アメリカ人キースのおこしたバナナ・プランテーションは、99年にユナイテッド・フルーツ社となる。同社は沿岸低地帯を開発し、鉄道などの交通・通信網を整備した。しかし、こうしたことによってコスタリカは外国の市場や資本への依存度を高めていった。
| 3. | 民主主義と安定した政府 |
19世紀末から20世紀初頭にはコスタリカも政情不安と無縁ではなかったが、軍事的解決ではなく、より秩序だった政治的解決を志向していたといえよう。軍人より教師のほうが多いこと、ほかの中央アメリカ諸国より生活水準が高いことは、コスタリカの人々の誇りだった。
経済の基盤はやはりコーヒーだったが、都市部で勢力をのばしつつあった中産階級は、より近代的な政党を組織して、コーヒー産業を基盤とする少数者の政治支配に挑戦する姿勢をみせた。改革派のPRN(国民共和党)は1936年、コルテス・カストロを擁して政権をかちとり、さらに40年にはカルデロン・グアルディアを大統領に当選させた。
1948年の選挙でPRNは敗北したが、権力の座をゆずらなかったため内乱に発展、次の選挙でフィゲレス・フェレルひきいる新興勢力のPLN(国民解放党)がPRN政権を打倒し、コスタリカの最大政党となった。49年にはPLN政権下で、軍隊の保有を禁止する条文で知られる現行憲法が制定されている。
以後、穏健政策をとる政権がつづき、コスタリカはラテンアメリカ随一の民主国家となった。フィゲレス自身は1954~58年、70~74年の2度にわたって大統領をつとめる。その後もPLNが政権をになったが、78年には野党連合に政権をうばわれた。
1980年代初頭にコスタリカの人口が急増したため、経済は困難に直面した。82年、モンヘ・アルバレスを大統領としてPLNが政権に復帰。このころ、70年代末期からつづく中米紛争がはげしくなり、コスタリカは隣国ニカラグアの反政府親米ゲリラとの関係を深めたため、同国との緊張が高まった。憲法でうたう軍隊保有の禁止は一時ゆらいだが、モンヘ大統領は83年に永世非武装中立宣言を表明した。つづく86年には、PLNのアリアス・サンチェスが大統領に就任。アリアスは中央アメリカ諸国の指導者の合意をとりつけ、同地域の平和と安定を推進すべくつとめた。これがみとめられ、アリアスは87年にノーベル平和賞(→ ノーベル賞)を受賞している。
1990年2月、元大統領カルデロンの息子カルデロン・フルニエルがキリスト教社会連合党(PUSC)の候補として大統領選に出馬し、勝利した。94年2月の選挙ではフィゲレス元大統領の息子フィゲレス・オルセンが大統領に当選し、PLNが政権にかえりざいたが、98年2月には、キリスト教社会連合党のロドリゲス元経済企画相が与党PLN候補をやぶって大統領に選出され、国会選挙でもキリスト教社会連合党が過半数を制した。ロドリゲス大統領は財政をたてなおすための開放経済政策をすすめ、2000年3月には電力や通信部門の民営化をはかる法案を議会に提出したが、国民の反対論が強く断念した。9月には大統領再選へむけて憲法の改正を提案したが、憲法裁判所は違憲としてしりぞけた。1990年代前半にはじまった経済の停滞は回復傾向をみせた。コスタリカ政府は2001年4月にカナダと、5月に中米5カ国との自由貿易協定(FTA)に調印した。
2002年2月の大統領選挙は接戦となり、与党キリスト教社会連合党のアベル・パチェコ議員が4月の決選投票でPLNのロランド・アラヤ元公共事業運輸相に勝利した。パチェコ大統領は親米路線をとり、03年のイラク戦争では「平和とテロとの紛争では中立ではいられない」としてアメリカを支持。04年5月には、アメリカと他の中米4カ国とともに中米自由貿易協定(CAFTA)に調印、同年8月にはドミニカ共和国も調印した。9月、最高裁判所は、パチェコ政権のイラク戦争支持表明を憲法と国際法の精神に反するとして支持表明の取り消しを命じている。04年後半には、1990年代に大統領に就任したカルデロン、フィゲレス、ロドリゲスら大物政治家による汚職スキャンダルが次々と発覚し、政治不信が広がった。CARICOMとのFTAが2005年5月に国会で批准、発効した。
パチェコ大統領の任期満了にともなう大統領選挙が2006年2月におこなわれ、ノーベル平和賞受賞者でPLNのアリアス元大統領と、市民行動党(PAC)のオットン・ソリス元国家計画・経済政策相の争いとなった。争点はコスタリカだけ批准がすんでいない中米自由貿易協定への加盟問題、すなわち新自由主義をめぐるものとなった。アリアスは加盟推進派で、中米自由貿易協定への加盟は「経済の活性化につながる」と主張、一方ソリスは「経済自由化は農業など国内産業に打撃をあたえ、貧富の差を拡大する」と主張し、まずしい人々を中心に支持をえた。選挙は大接戦となったが、アリアス元大統領が当選、5月に16年ぶりの大統領に就任した。07年10月には中米自由貿易協定加盟の是非を問う国民投票がおこなわれて、批准を支持する票がわずかに不支持をうわまわった。