貴族
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貴族
II. ヨーロッパの貴族

古代ギリシャ、ローマ時代にも貴族は存在し、国家の支配層として活動したが、彼らの権力基盤は、王やその側近の子孫であるという血統の優位性にあった。それに対して中世や近世につらなるヨーロッパの貴族は、侵入してきたゲルマン人が5世紀に西ローマ帝国をほろぼしたのち、土地保有権を基盤とする社会体制、すなわち封建制とともに誕生した。ローマ帝国崩壊後の社会や経済の混乱の中で、征服などにより広大な土地を所有する者が登場し、彼らはやがて、所有地の一部を他の者にわけあたえ、その代わりに課税権や裁判権を行使し、役務の提供をうけるようになった。土地をあたえた者は主君とよばれ、あたえられた者は臣下とよばれた。有力な主君たちがその国の貴族を構成し、彼らの位階は領地の大きさによってきまった。

フランス革命以降、ヨーロッパの国々で、世襲の称号を廃止する動きがめだつようになった。フランスでは、封建的特権が廃止され、1790年にすべての世襲の称号が廃止された。しかし、ナポレオン1世は新しい貴族をつくり、とくに軍事面で功績のあった者たちに称号や領地をあたえた。ナポレオンが失脚すると、復古王政で王位についたルイ18世が革命前の貴族身分を復活させ、第2共和政下(1848~52)でふたたび廃止されたが、ナポレオン3世によって元の形にもどされ、第3共和政下(1871~1945)であらためて廃止された。現代のフランスでは、世襲によって称号をうけついだ者は、それを姓の一部として使用できるとされているが、昔の貴族のような特権や名誉はなにもあたえられていない。

ドイツでは、貴族の称号は中世初期から1918年のワイマール共和国成立まで存在していた。18年以降、旧貴族による称号の使用は、名前の一部としてのみ認められることとなった。ロシアでは、ピョートル1世によって西ヨーロッパ諸国に近い貴族の称号が導入されたが、17年のロシア革命で撤廃された。スペインにはいまだに貴族の称号があり、イタリア、ベルギー、ポルトガルには儀礼的な称号のみのこっている。

中世から近代のイギリスでは、広義の貴族は上級の爵位貴族と下級のジェントリーにわけられ、後者は法的には平民として庶民院(下院)議員となることができた。爵位貴族制度は現在でも存在しており、男爵以上の世襲の爵位をもつ貴族と一代貴族は、終身の貴族院(上院)議員になる権利を保有している。イギリスの植民地として出発したアメリカ合衆国では、憲法の規定により貴族の称号は禁じられている。