貴族
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貴族
III. 日本の貴族

日本の古代では豪族と区別するために、律令国家などの国家体制に寄生し、直接的な在地支配からは切りはなされた存在であることを条件とする。

古代の律令制下では三位(さんみ)以上を貴、四・五位を通貴(つうき)といい、あわせて貴族といった。貴族の子は父祖の位階に応じて蔭位をうける対象となり、一定年数のサイクルでその身分が子孫にひきつがれる体制となっていた。奈良時代には約1万人の官人のうち100人前後が貴族で、現実には大伴・橘・藤原・多治比など数家にかぎられていた。このうちから最高官庁である太政官の執政者がだされた。

平安初期~中期に藤原氏がほかの貴族層をおいだすと、貴族社会は藤原氏のとくに北家(ほっけ)一門と源氏・平氏ら賜姓皇族でほぼ独占される。律令国家支配機構がくずれると、彼らは各地の豪族から荘園の寄進をうけ、大土地所有者となった。本質的には律令国家機構に寄生していたために寄進をうけたのであって、寄進で大土地所有者となったために貴族になるわけではなかった。

武家が政権をうばった鎌倉時代には、貴族は武家に対応して公家(くげ)とよばれ、室町時代には政治権力も勤務すべき官司もうしない、ほとんど有名無実の存在となった。しかし彼らは、その後も伝統的な権威をつかい、婚姻関係によって武家社会の上層部に巧みにとりついた。

1869年(明治2)すでに武家貴族となっていた大名などと一体化して、新たに華族とよばれることとなった。その華族制度も1947年(昭和22)に廃止された。