ルイ14世
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ルイ14世
III. 親政の開始

1661年にマザランが死亡すると、23歳のルイはみずから政務を担当することを宣言、宰相をおかず、数人の重臣からなる最高国務会議を主宰し、重要な事柄についてはみずから決定をくだした。また全国を30ほどの徴税管区に区分し、それぞれに派遣された地方総監は、国王の代理として行政を一手に掌握した。また、パリをはじめとする都市には警察奉行がおかれて、警察業務をはじめとする都市の行政が、王権のもとに一元化されるようになった。

最高国務会議には、財務、軍事などの最高責任者が出席したが、なかでも重要な位置を占めたのは財務総監のコルベールだった。コルベールは、地方行政、財務の責任者だったが、重商主義理論にもとづく経済政策を実施するために、商工業、海運、海軍、植民活動など広範な業務を担当し、実質的には宰相の役割をつとめた。彼のもとで貿易が拡大し、国家主導型の商工業が発展、フランスはイギリスにつぐヨーロッパ第2の経済大国となった。

ルイの人事政策の特徴は、コルベールのような平民、もしくは下級貴族を行政の責任者として登用したことにあり、これによって真に有能な者をえらぶとともに、貴族の影響力を低下させた。ルイの治世の数十年の間に実権をうばわれた名門貴族層は宮廷貴族となり、王のあたえる称号や俸給に期待して生活する存在になりさがっていく。