ルイ14世
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ルイ14世
IV. 対外戦争

ルイの治世は、戦争の時代としても知られる。対外戦争のはじめは1667~68年のフランドル戦争だった。これは、65年に死亡したスペイン国王フェリペ4世の娘だった妻マリア・テレサの相続権を主張してスペイン領ネーデルラント(今日のベルギー)に侵攻したもので、獲得した領土は少なかったが、うばったフランドルの12の都市は、のちの戦争の際に軍事的拠点として利用された。72~79年にはオランダに軍をすすめてオランダ戦争をおこし、その結果スペインからフランス東部のフランシュ・コンテを、また北部の諸都市をうばった。

1688年には、男子相続者が絶えたファルツ公家の出身だった義理の妹エリザベート・シャルロットの相続権を口実にラインラントに出兵した。これが97年までつづいたファルツ戦争、もしくはアウグスブルク同盟戦争とよばれる戦いで、フランスはほぼ全ヨーロッパを敵とすることになり、なんの戦果をあげることもできなかった。

晩年には1701年にスペイン継承戦争をおこしている。スペインのハプスブルク朝の断絶にともなってルイ14世は孫のアンジュー公フィリップ(のちにフェリペ5世)をスペイン王にたてた。イギリス、オランダ、オーストリアなどがこれに反対し、戦争は14年までつづいた。最終的にスペイン王位はブルボン家のものとなったが、その代償にフランスは仏領アメリカ植民地の一部などイギリスに多くをゆずり、世界貿易でのイギリスの優位が確定した。

この間、フランスの軍隊組織は大きな変化をとげた。ルイの幼少時代の軍隊は、中世以来の伝統にしたがって、名門貴族がみずからあつめた兵員をひきいて参加するものだった。このため、フロンドの乱は王国軍どうしがあらそうかたちになった。陸軍卿ル・テリエは、名門貴族にあたえられた称号をしだいに名誉職化し、王の任命した士官に実権をもたせて、国王直属の軍隊としての性格を強め、また地域ごとに抽選で兵士を徴集する一種の徴兵制を導入した。さらにル・テリエの子ルーボワは、訓練の方式を統一するなど、近代軍制の基礎をかためた。

戦争の規模の拡大にともなって、フランス陸軍は1667年代の6万5000人から17世紀末の45万人にまで増強され、ヨーロッパ随一の陸軍国となった。