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| III. | ローマ征服下のガリア |
ローマ人はしだいにガリア・キサルピナ全域に進出するようになり、多くの植民市をもうけた。前49年にカエサルは、これらの植民市の住民にローマ市民権をあたえ、この地域から、詩人のウェルギリウスやカトゥルス、歴史家のリウィウス、雄弁家で著述家のプリニウス(大)とプリニウス(小)らがでた。
やがてローマ人はアルプスをこえて、征服地を拡大し、ピレネー山脈に達した。アルプスとピレネー山脈の間の領地は、ガリア・プロウィンキア(属州ガリア)とよばれるローマの属州になり、地中海沿岸の都市ナルボ(ナルボンヌ)が首都にさだめられた。カエサルの遠征は、前51年のガリア・トランサルピナ全域の征服によっておわり、新しい属州アクイタニアがきずかれた。
前27年にローマ皇帝アウグストゥスは、ガリアを4つの行政区にわけた。アルプスからセベンヌ山地にいたるガリア・ナルボネンシス。カエサルのきずいた元のアクイタニアに14部族をくみいれ、リゲル(現ロワール)川を北の境界とするアクイタニア。ロワール川、セーヌ川、ソーヌ川にかこまれた地域からなる、ルグドゥヌム(現リヨン)にちなんで名づけられたガリア・ルグドゥネンシス。北海を北の境界とする、セーヌ川とライン川にはさまれたガリア・ベルギカである。この行政組織は、後4世紀に皇帝ディオクレティアヌスが帝国の再編成をはかって2つの管区にまとめるまで存続した。
1世紀中葉、皇帝クラウディウスは、ガリアのローマ化を盛んにすすめた。以後帝政ローマの時代に、ガリアは「ローマの平和(パクス・ロマーナ)」のもとで、ローマと親密な関係をたもって繁栄した。
4世紀末に西と東にわかれたローマ帝国は、ゲルマン人の侵入もあって西ローマ帝国が5世紀に滅亡、ガリアはゴート族、フランク族、フン族とたてつづけに侵入をうけて、ローマの支配は徐々にうしなわれていった。そして、486年にフランク王クロービスが、ガリア地方最後のローマの拠点を征服して、メロビング朝の基礎をきずき、中世ヨーロッパの幕が切っておとされた。