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ロマン主義(美術)
I. プロローグ

美術では、1800年ごろから50年ごろに欧米でひろまった動向。

ロマン主義をひとつの様式、技法、思想にまとめることはできないが、一般にロマン主義絵画は、豊かな想像力、主観性、はげしい感情、夢幻性を特徴としている。古典主義や新古典主義が感情表現を抑制し、明快で完成度の高い表現形式をとるのに対して、ロマン主義美術は、はげしくとらえどころのない感情のありさまを暗示しようとする。ドイツの作家ホフマンは、ロマン主義の本質を「はてしない憧れ」であるといった。主題としては、野性的、神秘的な自然の様相、エロティックなもの、メランコリックなもの、畏怖(いふ)や情熱をよびさますような劇的なものをこのむ。

II. 18世紀の背景

ロマンティックという言葉は、18世紀のイギリスにおいて一般的につかわれるようになった。本来は「ロマンスのような」という意味で、中世の物語の伝奇的・空想的な特徴をあらわしていたが、あらあらしい光景、「崇高な」眺望、廃墟などを愛好する趣味があらわれはじめ、美的理論にもそれが反映して、美に対するものとして崇高さが強調され、ロマンティックという言葉も、そうした傾向とむすびつけて考えられるようになった。たとえば、イギリスの作家で政治家でもあったバークは、「美」を優美と調和、「崇高」を広大さ、曖昧(あいまい)さ、恐怖をよびさます力であるとした。

また、18世紀の間に、感情は、文芸においても行為の規範としても、理性よりも重要であるとみなされるようになった。こうした態度は、フランスの作家・思想家のルソーの著作に典型的にしめされている。イギリスとドイツのロマン主義の詩はすでに1790年代に登場し、その世紀の末までに感情と想像力への重点の移動は、イギリスの画家詩人ブレークの幻想的な挿絵、ブレークの友人でスイス生まれの画家フュッスリのおもくるしい悪夢のような絵画、スペインの画家ゴヤの陰鬱(いんうつ)な怪物の銅版画などの美術にも反映されるようになった。

III. フランス

フランスでは、ロマン主義の形成期は、ナポレオン戦争(1799~1815)と符合している。フランス・ロマン主義の最初の画家たちは、同時代の事件に着想をえた。グロは、フランドルのバロック画家ルーベンスに影響され、師ダビッドの重厚な画風から色彩豊かで感情的な画風へと変化をとげ、新古典主義からロマン主義へ移行しはじめた。彼はそれをナポレオンを礼賛する戦争画の連作で展開したのである。

フランス・ロマン主義の中心人物は、ジェリコーである。ジェリコーは、グロの様式の劇的で色彩重視の傾向をさらにすすめ、戦争画のテーマを英雄主義から苦しみの表現へと移行させた。「放火を逃れる傷ついた胸甲騎兵」(1814年)では、傷ついた兵士が足をひきずって戦場からさっていく。力強いタッチと明暗の対比は、人物の孤独と不安の意識を強めているが、そうした孤独や不安は、ジェリコーや他のロマン主義者にとって、人間の根源的状況を意味するものだった。

ふつうの人間の苦痛を英雄的スケールで描写したジェリコーの傑作「メデューズ号の筏(いかだ)」(1818~19)は、フランス・ロマン主義の巨匠ドラクロワの「キオス島の虐殺」(1824)でくりかえされるテーマである。ドラクロワは文学に題材をとることが多かったが、色彩を純粋な活力と感情の効果を生みだすためにつかうことによって、文学的意味や教訓的な意義をこえようとした。このような効果を彼は音楽に比較している。ドラクロワは、新古典主義の形態や輪郭線の強調を否定して、色彩によって画面を造形した。その際につかわれた中間色調は、色彩をくすませるのではなく、補色を並置することによって得られたものである。はげしくゆれうごくような印象は、微妙な筆づかいによって強調される。イギリスのロマン主義の詩人バイロンの作品からインスピレーションを得た「サルダナパロスの死」(1827)は、細部まで精確にえがかれている。きわめて暴力的な行為とダイナミックな構図のために混沌とした効果が生じ、その中に、身じろぎもせず無関心なようすで死をむかえつつある王の姿がのみこまれている。

IV. ドイツ

ドイツ・ロマン主義の詩や哲学と同様に、ドイツ・ロマン主義絵画は、自然は神的なものの表れであるという考えにささえられていた。こうした考えによって、ルンゲの神秘的・寓意的な絵画にはじまる象徴的風景画の流れが生まれた。この流れを代表するドイツ・ロマン主義の巨匠はフリードリヒである。平明で繊細なスタイルでえがかれたフリードリヒの瞑想的作品は、そこはかとない神秘的感情とメランコリックな孤独や隔絶感の間をさまようような風景画である。「氷海」(1824)では、巨大な氷塊がつみかさなった下に、難破船の残骸がのぞいている。人間の野望に対する自然の勝利の記念碑を思わせるこの作品には、彼のロマン主義的ペシミズムがきわめて直接的に表現されている。

ドイツ・ロマン主義絵画のもうひとつの流れとして、ナザレ派とよばれるグループがある。ナザレ派は中世の宗教美術の精神と様式をとりもどそうとした。その代表的画家はオーバーベックである。ドイツ・ロマン主義の伝統につらなる画家の中で注目されるのは、絵の題材をドイツの神話やおとぎ話からとったシュウィントである。

V. イギリス

ドイツと同じくイギリスでも、ロマンティックな感情にみたされた風景画がロマン主義絵画の中心的表現となったが、イギリスの画家はもっと革新的な様式や技法を生みだした。パーマーがえがく風景画には、無邪気で素朴なスタイルと、ブレークに由来する幻想的な宗教感情がみとめられる。コンスタブルは、多くのロマン主義の詩人や画家が好んだ荒々しい自然の風景から転じて、深い感情をこめて静かなイギリスの風景をえがいた。戸外で制作した最初の大画家だった彼は、かがやく色彩と幅ひろく厚みのあるタッチをつかって新鮮な画面をつくりあげた。ターナーは、ロマン主義の画家のだれよりも革命的な画面を生みだした。17世紀のフランスの画家クロード・ロランを彷彿(ほうふつ)とさせる風景画から出発した彼は、後期の作品では、光と色彩の雰囲気の効果に専念するようになった。たとえば、「吹雪」(1842)のような作品では、雲と霧や雪と海が、渾然(こんぜん)一体となってひとつの渦にまきこまれている。

VI. アメリカ合衆国

アメリカのロマン主義絵画は、合衆国北東部のあらあらしい自然を霊感の源としたハドソン・リバー派によって代表される。アメリカ最初の風景画家オールストンは、主観的感情をみなぎらせた詩的な風景をえがいて、ロマン主義をアメリカに導入した。ハドソン・リバー派を代表するイギリス生まれのコールは、原生林やそびえたつ山々を描写して、精神的偉大さを表現した。コールの弟子チャーチは、ハドソン・リバー派の様式を南米やヨーロッパやパレスティナの風景に適用した。

VII. 後期ロマン主義

19世紀半ばには、ロマン主義絵画は、本来のロマン主義運動の情熱をうしないはじめた。後期ロマン主義の中で傑出した成果は、フランスのバルビゾン派の平穏で趣のある風景画である。同派にはコローやテオドール・ルソーらがいた。イギリスでは1850年以降にラファエル前派がドイツのナザレ派の中世趣味を復活させた。

VIII. 影響

ロマン主義の影響は、その後につづく絵画にいきわたった。コンスタブルからバルビゾン派をへて印象主義にいたる系列もたどれるが、より直接的なロマン主義の末裔(まつえい)は象徴主義である。象徴主義は、ロマン主義の主観性、想像力、不思議な夢のようなイメージという特徴を、さまざまなやり方で強め、磨きをかけた。20世紀の表現主義やシュルレアリスムはこうした傾向をさらにすすめた。ある意味では、あらゆるモダン・アートは実質的にロマン主義に由来するといえるかもしれない。現在、芸術においては自律性、オリジナリティ、自己表現が第一と思われているが、それは伝統的な古典的原理に反対するロマン主義がつくりだした考え方からきているのである。日本では、ロマン主義の影響をうけた画家として、藤島武二、青木繁などがあげられる。