| 検索ビュー | ロマン主義(文学) | 項目ビュー |
| I. | プロローグ |
1790年ごろから1850年ごろにかけて全ヨーロッパ的規模で展開された文化運動。ロマン主義は、18世紀の啓蒙主義(→ 啓蒙思想)、新古典主義、唯物論のような合理的で普遍的な理性にもとづく文学、思想に対する強烈な反動であり、前世紀の文学、思想がしばしば無視した人間の感情的、非合理的な側面に目をむけた。その特色は文学にもっともよくあらわれている。具体的には、自然に対する深い感情移入、自然および人間の魂の根源の探求、人間の内面への関心、生成の重視、個々の民族と文化の尊重、中世や外国への関心、個人の独自性の強調が特徴である。ロマン主義という用語は、元来、中世の物語を意味するロマンスに由来する。
| II. | ロマン主義の源流 |
新古典主義や啓蒙主義の普遍的、合理的傾向に対し、個人の内面の感情を重視し、非合理的なものを志向する潮流はすでに18世紀にみられた。そのような潮流としては、ドイツ文学における反啓蒙主義的な文学運動シュトゥルム・ウント・ドラング、人間の原初の自然状態を理想化したルソーの自然思想、「オシアン作」とされた古代ケルト(→ ケルト人)の憂愁をおびた物語詩に対する熱狂、感傷小説における感情崇拝、シェークスピアの再評価、恐怖と怪奇にみちたゴシック小説の流行、イギリスのメランコリックな墓地派の詩、古いバラードやロマンスへの関心があげられる。これらの潮流は、後につづくロマン主義を準備した。
一方、産業革命の進展による社会の近代化、フランス革命のとなえた自由の精神、ナポレオン戦争がもたらした英雄崇拝や国民意識の覚醒は、ロマン主義が成立する社会的背景となった。
| III. | ロマン主義の展開 |
ロマン主義は、18世紀の末、ドイツとイギリスにおいて、他に先駆けて成立した。
| 1. | ドイツ |
ドイツのロマン主義は、1790~1800年に、ティーク、ノバーリス、シュレーゲル兄弟(→ A.W.フォン・シュレーゲル:F.フォン・シュレーゲル)たちを中心に台頭してきたイエナのグループからはじまる。この時期、ロマン主義は、知性的、未来志向的、普遍的な傾向をもっていた。
1804年までにイエナのグループは離散し、まずハイデルベルク、ついでベルリンがロマン主義の中心となる。この時期の代表的な作家は、アルニム、フケー、シャミッソー、ホフマンである。イエナのグループにくらべると彼らは、情緒的、歴史的、民族的な色彩が強い。
1830年代のフランスの七月革命を境に、ドイツのロマン主義は、「ビーダーマイヤー」とよばれる小市民的で節度ある傾向と、ハイネに代表される社会批判の方向へとわかれていく。→ ドイツ文学の「ロマン主義」
| 2. | イギリス |
イギリスでは、ロマン主義は、ワーズワースとコールリジの共著「抒情歌謡集」(1798)の出版をもってはじまる。初期の代表者は、ワーズワース、コールリジ、サウジーなどの湖畔詩人たちである。
ついで、ナポレオン戦争をへて、バイロン、シェリー、キーツたちが台頭し、イギリスのロマン主義は頂点に達する。とくにバイロンの因習破壊的な詩とスコットの歴史小説はヨーロッパ大陸にも大きな影響をあたえた。
1820年以後、ロマン主義は、産業革命の急速な進展と、それに対応したベンサムやミルを代表とする功利主義の台頭によって、しだいに衰退していく。→ イングランド文学の「ロマン主義の時代」
| 3. | フランス |
フランスでは、ロマン主義の本格的な高揚はドイツやイギリスとくらべてややおくれる。まず19世紀の最初の20年にシャトーブリアンとスタール夫人が活躍し、ロマン主義的な文学がうけいれられる素地をつくっていく。
つづく1820~30年の文学的論争の時期をへて、30年のユゴーの「エルナニ」上演の成功でもってフランスのロマン主義は決定的な勝利をおさめる。この時期、演劇、詩、小説のさまざまな分野で傑出した才能をしめしたユゴーを筆頭に、抒情詩にひいでたラマルティーヌ、独自の才能を発揮したスタンダール、バルザック、ジョルジュ・サンド、幻想的な小説を書いたノディエ、ネルバル、ゴーティエたちが輩出した。
しかし、1840年を絶頂としてロマン主義はおとろえていき、50年代には写実主義にとってかわられる。→ フランス文学の「ロマン主義運動」
| 4. | イタリア、ロシアなど |
ロマン主義はヨーロッパのほとんどの国々でみられた現象である。イタリアでは詩人マンゾーニとレオパルディ、ロシアではプーシキン、レールモントフ、ゴーゴリ、アメリカではポー、クーパーなどをロマン主義の作家、詩人とみなすことができる。
| IV. | ロマン主義の主要テーマ |
| 1. | 自然 |
ロマン主義者たちは自然に深い共感をよせた。啓蒙主義をへて懐疑から不信仰におちいった彼らは、自然の中に神をみいだすことで新しい宗教体験をつくりだした。このような自然神秘主義(→ 神秘主義)は、ワーズワースの詩、ノバーリスの詩や小説、フリードリヒの絵画などに反映している。
ロマン主義の自然観を典型的にしめしているのは、ドイツの哲学者シェリングの自然哲学である。彼は、自然は目にみえる精神、精神は目にみえない自然であって、両者は根元的に同一であると考えた。自然の中に精神をみる彼の自然観は、ニュートンに代表される機械論的な自然観を否定し、「生ける自然」というみずからを産出し生成していく有機的な自然像を提示することになった。
| 2. | 人間 |
ロマン主義者たちは人間の「昼」の側面よりも「夜」の側面を重視した。詩人たちはこのんで夜を詩にうたい、作家たちは怪物や幽霊を小説にえがき、哲学者たちは夢や狂気や無意識に関心をよせた。彼らは、啓蒙主義者とちがって、人間を、感性と悟性だけの機械的な存在ではなく、より複雑で多面的な内面をもつ存在ととらえた。こうして理性よりも直観のうちに創造の才を発揮する天才が重視された。
また人格の完成を重視する古典主義に対し、ロマン主義では人格の成長が重視され、一個人の知的感情的発展過程を描写する教養小説が、とりわけドイツでこのんで書かれるようになる。
| 3. | 国家、民族、歴史 |
ロマン主義者たちは、個人の独自性を尊重する見方を国家や民族に広げた。彼らは、人類を普遍的な観点からとらえることよりも、個々の国家や民族がもつ独自の歴史や特徴に目をむけたのである。ナポレオン戦争における国民意識の高揚をきっかけに、グリム兄弟がおこなったような民話や民間伝承の採集と研究、各民族言語の使用、スコットらの歴史小説の創作、ロマンスやバラードなどの中世の文学作品の再評価が盛んになる。
このような各国民文化の源泉に対する熱心な探求は、ロマン主義独自の歴史観も大きな役割をはたしている。啓蒙主義が、つねに社会はよりよき方向にむかい、過去は現在におとるとする進歩史観をとなえたのに対し、ロマン主義は、過去、とりわけ中世を高く評価し、近代化された現代は堕落した状態にあると考えた。このような歴史観は、一方では現実逃避という否定的な側面をもつと同時に、一方ではドイツのヘルダーの研究にみられるように、過去の時代の独自性を相対的な観点から評価することを可能にした。
| V. | その後のロマン主義 |
19世紀も半ばをすぎると、リアリズムと自然主義が台頭し、ロマン主義は大きな文学潮流としては表舞台から姿をけす。しかし、ロマン主義のいくつかの要素は、のちの象徴主義、シュルレアリスムにうけつがれることになる。一方では、ロマン主義は、近代世界そのものにもきえることのない刻印をのこしている。たとえば、無意識の発見はのちのフロイトの精神分析学として結実し(→ 精神分析の「無意識の発見」)、国民意識の覚醒は現代のナショナリズムのもととなったのである。
| VI. | 日本の浪漫主義 |
ヨーロッパのロマン主義に該当するような日本の文学運動は、「浪漫主義」とよばれ、1890~1900年代(明治中期)に生じた。森鴎外と嵯峨の屋お室を先駆者として、1893年(明治26)創刊の「文学界」において日本の浪漫主義が確立される。その中心人物は北村透谷である。彼は、ヨーロッパの文学やキリスト教から直接影響をうけ、情熱的な評論や恋愛至上主義的な詩において、個の尊厳と自由をうったえた。透谷の死後は、島崎藤村の抒情的な詩が「文学界」の浪漫主義をひきつぐ。
ついで1900年代に浪漫主義の中心となり、より芸術至上的な傾向をしめしたのが、与謝野鉄幹が主宰した詩歌中心の雑誌「明星」である。なかでも与謝野晶子は、奔放な想像力とはげしい情熱をたたえた詩を書いて、「明星」の浪漫主義を代表した。エゴイズムを肯定して個人主義的な思想をとなえた高山樗牛、神秘的な幻想小説を書いた1890年代末から1900年代にかけての泉鏡花も、この時期の浪漫主義の一面をしめす。
浪漫主義はやがて自然主義にとってかわられるが、耽美の追求という要素は、のちに自然主義の反動として生まれた1910年代の耽美主義にうけつがれた。ただし、耽美主義は、もっぱら人工的な美の享楽のみを重視した点で、先行する浪漫主義とことなる。耽美主義の代表者は、「スバル」「三田文学」を本拠にした森鴎外、上田敏、北原白秋、木下杢太郎、永井荷風、谷崎潤一郎、佐藤春夫らである。