NATO(北大西洋条約機構)
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NATO(北大西洋条約機構)
IV. 歴史

1950年代に入り、朝鮮戦争の勃発(ぼっぱつ)によって冷戦はアジアに拡大する。それにともない、NATO加盟国数も冒頭にしるしたように増大していった。60年代はNATOの性格が問いなおされた10年間だった。66年にはフランスが軍事機構から脱退し、また68年のチェコスロバキアの改革にワルシャワ条約機構軍が介入したことは、東西冷戦下におけるヨーロッパの安全保障のあり方をあらためて問いなおすものであった。

1972年にアメリカとソビエト連邦(ソ連)の間でSALTI(第1次戦略兵器制限条約)が調印され、75年にはヘルシンキで全欧安全保障協力会議(ヨーロッパ安全保障協力機構)が開催された。このように、70年代には東西間の緊張緩和がある程度みられたが、70年代末からふたたび緊張は激化し、NATOは冷戦の一方の担い手としての役割をはたすようになった。

1980年代後半のゴルバチョフ政権によるペレストロイカとつづくソ連解体(1991年12月)によって、東西関係は根本的に変化した。90年10月にはドイツが統一され、91年になるとワルシャワ条約機構が解体した。

こうした中で、NATOは冷戦後のヨーロッパの安全保障機構として、新たな姿を模索し、東ヨーロッパや旧ソ連諸国の中からあらわれたNATO加盟希望国への対処が重要な問題となった。その動きにロシアは反発したが、1997年5月にNATOとロシアの協力関係をさだめた「基本文書」が調印され、両者の信頼関係の枠組はつくられた。そのもとで、99年3月にまずポーランド、チェコ、ハンガリーがNATOへ正式加盟した(第1次東方拡大)。