検索ビュー 中央アメリカ

この項目内で、特定の言葉で検索するには、[編集] メニューの [このページの検索] をクリックします。

入力した言葉とまったく同じ言葉で検索されます。見つからない場合は、別の言葉で検索してみてください。

中央アメリカ
I. プロローグ

北アメリカ大陸と南アメリカ大陸をむすぶ地峡部の総称。カリブ海と太平洋にはさまれ、グアテマラ、ベリーズ、エルサルバドル、ホンジュラス、ニカラグア、コスタリカ、パナマの7カ国がある。面積は52万1458km²。人口は3930万1385人(2003年推計)。

II. 自然と資源

厳密に地理学的な観点からみると、中央アメリカは、メキシコ南部のテワンテペック地峡にはじまり、パナマ地峡をへて南アメリカ大陸のコロンビア北西部をながれるアトラト川流域までをいう。

この地域はカリブプレートの西端に位置し、地殻はきわめて不安定である(プレートテクトニクス)。およそ2500万年前の中新世に、カリブプレートの下に太平洋プレートがしずみこみはじめ、土地が海面上に隆起した。初期の段階で1つの半島と島々が形成され、今から300万年前、散在する島々がつながって一続きの陸橋となり、南北両アメリカ大陸をむすぶ地峡となった。

火山が多く、現在、少なくとも14の活火山がある。地殻の隆起と沈降に連動して火山が噴火し、地震も頻発する。20世紀だけをみても、たとえばニカラグアの首都マナグアは2度にわたって地震の大被害をうけ、最近では1972年にマグニチュード6.3の直下型地震で1万人以上が死亡した。76年にはグアテマラのモタグア低地を震源とするマグニチュード7.5の地震により、2万2870人の死者が出た。この地震では、グアテマラ国民のおよそ4人に1人が家をうしなっている。

火山の噴火によってできた円錐形(えんすいけい)の山があちこちにあり、中央部の陥没した火口にはうつくしいカルデラ湖がみられる。

1. 地形

ユカタン半島の付け根からホンジュラス北部、さらにニカラグア北部にかけての山脈と、コスタリカ南部からパナマ地峡にかけての太平洋岸につらなる山脈の2つの山系があり、中央アメリカは全域にわたって起伏にとんだ地形をもつ。大きな火山は109あり、なかには標高4000mをこえるものもある。最高峰はグアテマラのタフムルコ山で、標高は4220m。西半球でもとくに火山活動の活発な地域である。

山脈を横切るように両大洋岸をむすぶ経路が2カ所ある。ひとつはニカラグア低地(サンフアン川河口からニカラグア湖までの一帯)で、もうひとつはパナマ運河地帯である。カリブ海沿岸は平野となっているが、熱帯雨林におおわれている。太平洋岸の海岸線の長さは約2830km、カリブ海側は約2740kmである。カリブ海側の沖合には、小さな島々がいくつかの群島を形成し、ホンジュラス領バイア諸島などの居住島もある。

2. 河川と湖沼

カリブ海にそそぐ川は中央アメリカでは長めのものが多く、太平洋側にくだる川は小さい。代表的な河川としては、グアテマラのモタグア川、ホンジュラスのウルア川、アグアン川、パトゥカ川、ホンジュラスとニカラグアの国境をながれるココ川、ニカラグアのグランデ川、エスコンディド川、ニカラグアとコスタリカの国境をながれるサンフアン川などがあげられる。カリブ海にそそぐ河川の中には小型船舶の水路として利用されている川もある。

湖としては、ニカラグアのニカラグア湖とマナグア湖、パナマのガトゥン湖があげられる。ガトゥン湖は、カリブ海と太平洋をむすぶ交易水路として重要なパナマ運河の一部を構成する。

3. 気候

北回帰線と赤道にはさまれる中央アメリカは、緯度の変化よりもむしろ標高の高低によって気候が変化する。大きく3つの気候にわけられる。標高900mくらいまではティエラカリエンテ(暑い土地)とよばれ、年平均気温は24°C以上である。さらにこれから約1800mまでの間をティエラテンプラダ(温暖な土地)といい、年平均気温は18~24°C程度である。これより高い標高3000m強まではティエラフリア(寒い土地)で、平均気温は13~18°Cである。人口はティエラテンプラダに属する高原地帯や山間部盆地に集中している。

カリブ海沿岸地方と山脈の東側斜面では、太平洋沿岸地方や山脈の西側とくらべ、年降水量が2倍も多い。太平洋岸は、寒流のカリフォルニア海流によって生じる安定した冷気の影響で比較的年降水量が少なく、1000~2000mmである。カリブ海の温暖な海水は大気中に大量の水分を放出し、これが北東風によって陸上にはこばれていく。この水分を多くふくんだ空気が山脈の斜面にそって上昇し、その過程で濃縮されて大量の降水をもたらす。とくにニカラグア東端のモスキトス海岸は降水量が多く、サンフアンデルノルテでは6350mmをこえる年降水量を記録している。カリブ海に面するベリーズやホンジュラスでは、ハリケーンにみまわれることも多い。

4. 植生

中央アメリカは、かつて隔絶していた南北両アメリカ大陸という2つの生態系を橋渡しする役割をはたしている。カリブ海沿岸の標高約1000m以下の一帯には、高温多湿な気候を反映して、南アメリカ大陸にみられるような熱帯雨林が広がり、ヤシ、シュロ、シダ、蔓植物、着生植物などがめだつ。太平洋沿岸の低地にも熱帯性の森林が広がる。

標高1000~1600mの高原地帯には、マツやカシの樹林など北アメリカ大陸と類似した温帯性の植生がみられる。グアテマラの高地部には、メキシコやアメリカ合衆国に似たサバナが広がる。コスタリカの3100m以上の地域には、南アメリカ大陸のアンデス山脈の樹木限界より上でみられるような背丈の高い高山植物がみられる。

5. 動物

中央アメリカの動物相はおおむね南アメリカ大陸のそれと同じであるが、北アメリカ大陸との関連性もみいだせる。マーリーやオポッサムなどは南アメリカ大陸と同系のものが生息し、ネコ科のジャガー、オセロット、ジャガランディ(ヤマネコの一種)、マーゲーなども同様である。一方、ピューマ、ハイイロギツネ、コヨーテなどは北アメリカ大陸が原産である。このほか南アメリカ大陸と共通する動物としては、アルマジロ、アリクイ、ナマケモノなど、また北アメリカ大陸と共通する動物としてはシカがあげられる。

東岸内陸部の潟には、大型の草食性海獣マナティーが生息する。大型のアオウミガメやイグアナも生息している。ボア、ブッシュマスター(大型の毒ヘビ)といったヘビも無数にみられるほか、インコ、ケツァール、オオハシなどの鳥類も多い。魚介類も多く、とくにニカラグア湖には淡水ザメがみられる。

6. 天然資源

ホンジュラスおよび高地ニカラグアに発見された金銀をはじめとするさまざまな鉱物資源が、はやくからスペイン人入植者の関心をあつめた。ホンジュラスには鉛、亜鉛、銅、低品位鉄鉱石が大量に埋蔵され、ニカラグアの太平洋岸沖には天然ガスが相当量あることが確認されている。グアテマラのイサバル湖付近には大量のニッケルがあり、またチナハの近くには石油が埋蔵されている。パナマはセロコロラドに大量の銅を埋蔵している。

III. 住民

中央アメリカの多くの国では、アメリカ先住民とメスティソ(おもにスペイン人とアメリカ先住民との混血)が人口の大部分を占める。カリブ海沿いの細長い地域では、黒人とムラート(白人とアフリカ系黒人との混血)が多い。ベリーズでは、人口のおよそ30%をムラートが占める。コスタリカでは、人口の圧倒的多数がスペイン系白人である。エルサルバドルとホンジュラスは、住民の約90%がメスティソである。グアテマラは、住民のおよそ44%がマヤ族、キチェー族などのアメリカ先住民で、ほかは少数の白人とメスティソである。ニカラグアとパナマは、住民のおよそ70%がメスティソで、ニカラグアの白人は17%、黒人は9%。パナマの白人は10%、約14%が黒人である。

1. 人口

中央アメリカでは、特定の都市や町に人口が集中する傾向がみられる。ベリーズの場合、首都ではないベリーズシティが最大都市になっているが、ほかのすべての国では首都が最大の都市になっている。コスタリカの中央高原メセタセントラルでは、人口密度が1km²当たり385人に達しているが、ホンジュラスやニカラグアの広大な東部地域では、4人をしたまわっている。

多くの地域で人口が急増しており、1980~87年の人口増加率をみると、ニカラグア3.4%、グアテマラ2.9%、コスタリカ2.3%、パナマ2.2%だった。こうした急増の原因は、おもに高い出生率の維持と死亡率の低下によるもので、近い将来に中央アメリカの総人口は4000万人に達するものと予想されている。

2. 言語と宗教

英語を公用語とするベリーズをのぞき、すべての国がスペイン語を公用語としている。グアテマラのキチェー族、マヤ族、ケクチ族、ホンジュラスのチョルティ族などの先住民は代々もちいられてきた言語を使用するが、スペイン語を話す先住民もいる。宗教はカトリックが圧倒的多数だが、コスタリカ、ホンジュラス、パナマでは福音主義、メソディスト、モルモン教が勢力を拡大しつつある。

3. 文化

中央アメリカには、マヤをはじめとする先住民の文化と、スペイン植民地時代にスペインからもたらされた文化の影響が色こくのこっている。しかし、マス・メディアや近代的な文化制度がととのっている都市部では、大きな変化が生じている。

各国は教育機関を数多く設置したが、就学率のアップが今後の課題となっている。15歳以上の識字率はコスタリカやパナマは高いが、エルサルバドルは81.2%、ホンジュラスは77.2%、グアテマラは71.9%、ニカラグアは68.2%にとどまる。

IV. 経済
1. 農業

各国の産業で、圧倒的に大きな比重を占めるのが農業と牧畜である。コーヒー、バナナ、サトウキビ、綿花などの換金作物はおもにプランテーションで生産され、アメリカ合衆国やヨーロッパに輸出される。トウモロコシ、豆類、キャッサバ、米などの国内消費用の農産物は、小規模な農場で栽培される。農家ではニワトリの飼育が盛んである。牛は西部の雨の少ない地域で大規模に飼育されている。プランテーションなどでは近代的な農耕技術が導入されているが、一般の農家は伝統的な農法がほとんどで、生産性も高くない。

2. 林業と水産業

中央アメリカのおよそ40%が森林におおわれている。ベリーズでは、はやい時期にヨーロッパ人が染料の原料材を入手しようと活動を展開し、やがてマホガニー、チクル、マツ材を伐採・搬出するようになった。今日、中央アメリカでは林業の重要性は低いが、マツを中心に、マホガニー、シタンなどの硬材が伐採・出荷されている。

水産業では、大小各種のエビがベリーズ、エルサルバドル、パナマの沿岸で漁獲され、主としてアメリカ合衆国に出荷されている。1960年代半ば以降、パナマでは魚肉・魚油製造業が発達した。中央アメリカでは、国民1人当たりの魚介類消費量は少ない。

3. 鉱業

相当量の鉱物資源の存在がみとめられているにもかかわらず、採掘量は少ない。エルサルバドル、ホンジュラス、ニカラグアでは少量の銀・金・鉛・銅・アンチモンが採掘される。グアテマラでは石油を産出する。

4. 製造業

中央アメリカの製造業は、サトウキビ、コーヒー、綿花、材木、魚介類などの加工が大部分を占める。このほか1950年代以降は、必需品の輸入削減をはかるために、大都市圏で、塗料、洗剤、タイヤ、紙製品、肥料、殺虫剤などの工業が発達した。しかし、その規模は小さく、従業員数10人以下の工場がほとんどである。エネルギー供給能力に限界があることや、輸送機関の発達の遅れ、市場規模の小ささなどが、大規模な工業の発達の阻害要因となっている。

V. 歴史

コロンブス来航以前、メキシコからコロンビアにいたる地域にはさまざまな先住民が多数居住していた。なかでもマヤ族は、高度に発達した特色ある文明をきずいた。マヤ文明はグアテマラ高地で前1000年以前におこったが、300~900年に、現在のグアテマラ北部、ホンジュラス、ベリーズ、メキシコのユカタン半島に独立した自治都市国家をきずき、絶頂期をむかえた。マヤ族の統一性は、政治的というより文化的なものであったが、その文明の影響は広範囲におよんだ。芸術や科学の水準は同時期のヨーロッパを凌駕(りょうが)していた。

しかし900年を境に衰退し、メキシコから侵入してきたトルテカ人に征服されてしまった。スペインによる征服直前の中央アメリカの総人口はすでに600万人に達していたと考えられているが、ふたたびこれだけの人口に回復するのは20世紀になってからのことである。

1. 植民地時代

1502年のコロンブスの来航を機に、スペインによる中央アメリカへの進出が開始された。コロンブスは、ホンジュラス湾からパナマにかけての沿岸を航海した。「この地域には多数の人間が居住し、海からみえる山脈のむこうには莫大な富がある」とのコロンブスの報告に刺激をうけたスペイン政府は、ただちに征服に着手した。最初に進出をこころみたのはコロンブスの息子ディエゴで、彼はイスパニョーラ島から中央アメリカにわたった。

スペイン人の探検家バルボアは1510年にパナマのダリエンに入植地を建設したが、これはアメリカ大陸におけるスペイン初の本格的植民地だった。彼は13年には太平洋岸に到達している。しかし、バルボアはパナマ総督ペドラリアス・ダビラにより19年に処刑された。ダビラは植民地の拡大をはかり、19年にパナマ市を建設、ここからニカラグアとホンジュラスの平定にのりだした。

その後は、パナマ、イスパニョーラ島、メキシコをそれぞれ拠点とするスペイン人同士の凄惨な争いが展開された。そして、メキシコの征服者コルテスの忠実な部下アルバラドが、最終的に中央アメリカ全域をほぼ制圧した。

征服者たちは先住民を多数殺害したが、これを上まわる数の先住民が、天然痘、ペスト、赤痢、インフルエンザなどのヨーロッパからもたらされた疫病の大流行で死亡した。スペイン人は先住民を奴隷もしくは農奴化し、本国からもちこんだ諸制度にもとづく農業社会をきずいた。しかし、スペイン人は当初は少数にとどまり、また都市に居住したため、先住民の習慣や伝統がきえることはなかった。

植民地時代の中央アメリカは、法制度上2つの地域にわけられていた。グアテマラ総監領はチアパス(現在はメキシコ最南の州)からコスタリカまでをふくむ。この地域は、名目上ヌエバエスパニャ副王領の一部だったが、ある程度の自治がゆるされた。主都アンティグアグアテマラには、官吏、聖職者、地主や商人など植民地上層部があつまった。中央アメリカの残りの地域(現在のパナマ)は、重要な地峡横断経路をふくめてペルー副王領下のヌエバグラナダ(現在のコロンビア)に帰属した。

17世紀にスペイン本国の国力がおとろえると、植民地上層部の自治権力が強まった。彼らは教会や植民地政府の協力を得て、先住民とメスティソを支配した。

2. 中央アメリカ連邦

1821年、グアテマラ総監領のスペイン系を中心とする上層部は、メキシコの統率にしたがいながらスペイン本国の支配から離脱した。この地域はイトゥルビデのひきいるメキシコ帝国に併合されたが、23年にメキシコ帝国が崩壊すると自由主義勢力が権力をにぎり、チアパスと、ボリーバルの指導のもとに独立したグランコロンビアの一部のパナマをのぞいた地域で、中央アメリカ連邦を創設した。

中央アメリカ連邦は、スペイン的伝統を拒否する共和主義的改革と経済開発をうちだしたが、それは野心的ではあっても現実性にとぼしかった。その結果、地域主義が高まり、上層部はたがいに権謀術策にはしり、内戦が勃発(ぼっぱつ)した。1834年、自由主義派により首都はグアテマラシティからサンサルバドルにうつされたが、自由派の政策は上層部のうちの保守派と農民のはげしい抵抗にあった。

1838年にグアテマラの農民指導者カレラがグアテマラシティを占領したころから連邦は崩壊にむかい、39年、中央アメリカ連邦は解体した。この解体により誕生したのが今日のグアテマラ、ホンジュラス、エルサルバドル、ニカラグア、コスタリカの5カ国である。

3. 中央アメリカの共和国

19世紀の中ごろまでには、スペインにかわってイギリスがこの地域を左右する最大の外国勢力になっていた。17世紀に海賊と木材搬出の基地として出発したベリーズの港も、中央アメリカの外国貿易をささえる最重要港に成長していた。イギリスの影響力はカリブ海沿いにパナマにまで達し、1862年にはベリーズが正式にイギリスの植民地(イギリス領ホンジュラス)となった。しかし49年以後、カリフォルニアの金鉱にむかう最短ルートとして中央アメリカが利用されるようになると、アメリカ合衆国もイギリスに対抗するようになった。

1850年、クレイトン・バルワー条約がむすばれ、米英間の紛争のいくつかが解決された。しかし、55年には一攫(いっかく)千金をもくろむアメリカ合衆国の山師ウォーカーが部下をひきいてニカラグアに侵入し、権力をにぎった。57年、中央アメリカの保守派は統一軍を形成し、イギリスの支援をうけてウォーカーを追放した。一方、55年にパナマ鉄道が完成したことから、中央アメリカの商業の中心はベリーズからより交通の便がよい太平洋岸の港へとうつり、こうしてしだいにイギリスの影響力は小さくなっていった。

1870年以降、自由主義派の独裁政権があいつぎ、秩序と進歩の名のもとにコーヒー産業を奨励し、地域の代表的な輸出品にそだてた。また、多様性にとんだ農業の犠牲の上に、外国資本が支配する大規模なバナナ園がつくられた。とくに1900年以降、アメリカのユナイテッド・フルーツ社が、バナナ帝国としてこの地域の経済に大きな勢力をほこった。同社は鉄道の敷設、海運の整備、そのほか関連事業を展開したが、地元の中央アメリカでは反感をこめて「タコ」とよばれた。アメリカの資本と政治力は、03年のパナマ独立のころから圧倒的な支配力をもつようになった。アメリカは中米司法裁判所の設立に協力したものの、12~33年にアメリカ軍がニカラグアを占領し、同裁判所の有効性をみずからそこねた。

20世紀にはいり経済成長がすすむと、新興の中産階級が勢力をのばし、伝統的な特権階級の支配体制をおびやかすようになった。コスタリカを皮切りに、20世紀半ばまでにすべての国で改革あるいは革命政党が出現した。

4. 内戦の頻発と和平

20世紀後半、近代化への道をあゆむ中央アメリカ諸国は、その多くが貧困、政情不安、社会正義の欠如といった問題をかかえていた。ニカラグアを長期にわたって支配していたソモサ家が1978~79年に左派のサンディニスタにより打倒されると、アメリカは反革命勢力コントラへの積極的支援を開始した。この結果、両勢力とも多数の死者をだし、大きな損害をこうむった。イラン・コントラ事件

このニカラグア内戦は、チャモロ大統領の誕生によってコントラが武装解除して1990年に終結。またパナマでは、政治的抑圧と腐敗がアメリカの干渉をまねき、コロンビアの麻薬カルテルと通じていたといわれるノリエガ将軍が、89年にアメリカ軍により実権をうばわれた。翌年にノリエガは逮捕され、アメリカでの裁判によって有罪の判決をうけた。

エルサルバドルでも1980年代を通じて内戦がつづいたが、92年、ゲリラ側と政府との間に和平協定がむすばれ、停戦が実現した。中央アメリカで最後まで解決しなかったグアテマラの内戦も96年末には和平が実現し、翌年に武装解除している。99年12月31日には、パナマ運河地帯の主権がアメリカからパナマに返還された。